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2020年9月26日土曜日

二巡目のブックカバー記録

単純な記録として、今回はtwitterで @kiwa_tom さんからいただいたブックカバーチャレンジというネズミ講……再び。コメントなし、次の方への申し送りなしで淡々と写真だけ挙げていった記録に、こっそりここでコメントを。私の書籍への意地汚い執着は奥床しい彼女にもバレていたので、お話をいただいたのだと思います。

【2020/9/18】樋口州男『将門伝説の歴史』

某所喫茶店での図書館読書を突発的に。北関東の人間という、あまり思い入れもないアイデンティティに無理矢理立ち止まっているのは、ひとえに既存体制へのもやもや感をこじつけて、将門の怨霊に頼りを寄せているから。それはともかく、よくわからない利根川水運の文化との関わりという宿題とも重なる収穫。書誌をたどれる道筋をつけた優しい先生の入門書。


【2020/9/19】ポール・オースター編『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』

凧と缶ビールの話がいちばん好き。暮らしの中の景色をクロッキーみたいにとどめる記録。

【2020/9/20】伊藤比呂美『青梅』

思春期の読書です。たぶん高校生。結局、自分には遠い感覚であると更年期の今は思うけど、なんかこういうこともわからないといけないという青臭い向学心に駆られていた。でも好きだったのは本当。枯れた草が生えている荒れた河原の景色とか。

【2020/9/21】橋本治『革命的半ズボン主義宣言』

これも高校生の時の読書。広告屋になるか…とか思っていたチャラい展望をきっぱりと排除して、もう小説家になるしか未来はないと思い詰めた。そういう青春ですね。小説家にはなれなかったけど、少しは真面目に生きるきっかけになったかもしれないから、まあいいか。

【2020/9/22】アーサー・ケストラー『スペインの遺書』

こういう本は、読んでいて高揚する。20代だな。今読み返すと違う印象になるかも。引っ越しに伴う蔵書の大量処分を生き延びて、やはり手元に置いておきたい本。ババアになったらまた読もう。

【2020/9/23】中川正文、梶山俊夫『ごろはちだいみょうじん』

世の人がもてはやす再開発にいちいち腹を立てる自分を形成したのは、幼少期に読んだこれとか『ちいさいおうち』の教育的効果なんだろうか。お人好しなごろはちのだらしなーい笑顔と、関西弁のちょっと意地悪で皮肉な語り口。大人になって読むと、本当に泣いてしまうんだ毎回。

【2020/9/24】チャールズ・M・シュルツ『Peanuts』

結局2巡目は古い本ばかりになりました。小学生がこの変なユーモアがわかるのか、という疑問もありましょうが、よくできているのです。不本意ながら、ルーシーとペパーミントパティとサリーとマーシーを全部足して割ったら私になるのかも。定番化してここ10年くらい夏の間はこれしか履かないビルケンのサンダル、ペパーミントパティのサンダルみたいだな。女の子らしい格好を教師に強要されて辛くなっちゃうエピソード、彼女と一緒に胸を痛めていた。

2020年5月7日木曜日

「自粛」の枝葉の話

閉鎖された遊具

自粛要請という言葉自体が矛盾しているのだが、なんとなく人々は外で遊ぶのも気後れして、殺気立って買い物している。トイレットペーパーの品不足は急に解消した。納豆も戻りつつあるが、今度は小麦粉が消えている。みんな何をしてよいのかわからず、とりあえずできることが買い物くらいしかないのだろう。消毒用アルコールとマスクは相変わらずほぼ品切れのまま。

そんな東京の連休の谷間に、フェイスブックで回ってきた「ブックカバーチャレンジ」の7日間の記録を再録する。1冊ごとに誰かにバトンを回すルールだけど、私にはそんなに友だちがいなかったから、これは「盲腸線」になった行き止まりの支線の終点。


【2020/4/30】1日目『ゆうかんな女の子ラモーナ』

『チョコレート戦争』(※友だちが私に回してくれた際の選書)で思い出したこと。大人の押し付けてくる不条理な決めつけを拒否する……というのは、そういえば子ども時代の自分にはとても大切な主題でした。大人と子どもの力関係は圧倒的に不平等で、大人の権力の前に、子どもは圧政下の細民のごとく無力なのです。そんなのフェアじゃない!と憤慨するのですが、「つべこべ屁理屈を言うんじゃありません!」と一蹴されてしまう毎日。

この力関係を逆転することが今は無理なのだとしたら、せめて子どもの頃の悲しみや悔しさを絶対に忘れない大人になってやる、と自分に誓ったのです。つらかった日々をのほほんと懐かしんだりしたら許さないからな、と、拙い字で未来の自分に宛てた言葉が、私の日記帳には残っています。

『ゆうかんな女の子ラモーナ』(Beverly Cleary作、松岡亮子訳、学習研究社刊)は、そんな小学校2年生の自分にとって唯一無二だった物語。

舞踏会に招かれるお姫様じゃなくても、魔法が使える伝説の少年じゃなくても、自分の頭で納得いくまで考えたり、笑われたって毅然として主張したりしなきゃいけない重要な場面が暮らしにはいくつもあって、そういう日々の冒険に「勇敢」に立ち向かう小学生ラモーナの悲喜を描いています。

原題は『Ramona the Brave』とのこと。すごいタイトルです。原作は1975年刊行、日本での刊行が1976年なので、日米の違いはあれど生活描写がリアルな感じなんですね。人気の「ヘンリーくん」シリーズの姉妹編になりますが、私は断然ラモーナです。


【2020/5/1】2日目『The Stray Shopping Carts of Eastern North America: A Guide to Field Identification』 

お年玉を全部持って、空のリュックを背負って神田に行くのが正月行事になった高校生くらいから、私の書棚は無秩序に膨張し始めました。本屋や古書店でバイトをすると、社割と客注というドーピングによってさらに箍が外れた。その後も稼ぎが入れば本を買い、稼ぎがなければブックオフで100円の本を漁る……と、欲望の限りを尽くすことに。
しかし、溢れた本を送り付ける「実家という名のブラックボックス」にも限りがある。家屋敷と蔵書を子孫代々伝えられる人はごく少数で、自分はそういうご身分でもありません。最近の引っ越しを機に、六畳一間の安アパートの床まで埋め尽くしていた雑多な本をついに数百冊処分しました。精鋭だけ残したつもりなんだけど、あれだね。柿ピーのピーナツがいくら大事に見えても、ピーナツだけ集めたら、それはもう柿ピーじゃないから。やっぱり悲しいです。
というわけで、どれだけ欲にかまけて駄本を貪っていたかという例として、2日目は『The Stray Shopping Carts of Eastern North America: A Guide to Field Identification(北米東部の逸出ショッピングカート:野外同定の手引き)』(Julian Montague作、Harry N. Abrams刊)。栄えある2006年「Diagram Prize for Oddest Title of the Year」受賞作。その名のとおり、変な表題の本に与えられるイギリスの賞なんですが、仕事絡みで当時そのニュースを読んで、つい。
各地に生息する「迷えるショッピングカート」の生態写真が満載。わかりやすいカラーチャートで簡単に種を同定できる便利なフィールドガイドです。まあ、こういう本は一生手元に置いておこう。

【2020/5/2】3日目『うるしの話』

高校生の時に、『牛乳・乳製品』という食品規格の専門書みたいな本を図書館で何度も借りた。普通科しかないうちの高校になんでそんな本があったのかはわからないけど、アイスクリームとアイスミルクの乳脂肪分の違いとか、工業的な製法とかを読んでいると、自分の悩みからいちばん遠い場所に退却できる気がした。

 『うるしの話』(松田権六作、岩波書店刊)も、同様に頭のノイズを消せる本。著者は7歳から漆芸の修業をして、東京美術学校の教授にもなった「漆聖」。技法の話も科学の話も面白いし、語り口もよい。

とにかく漆は丈夫だという説明があるのだが、なんで実家のお正月の重箱は洗剤使うなとか、絹布で拭けとか、おっかなびっくりだったのか不思議。それは本物ではなく安物の漆器ですぞ、ということになるのかな。南洋航路の豪華客船のテラスのドアを漆で仕上げて、ほら潮風にもびくともしない……という話があって驚く。本当なんだろうか。気になります。


【2020/5/3】4日目『機械と芸術との交流』

「実家という名のブラックボックス」が永遠ではないことを2日目に記したが、飽和状態の実家から発掘した『機械と芸術との交流』(板垣鷹穗著、岩波書店刊、1929年)を4日目に。

エンジニア(昔の用語では設計技師)であまり人文系には関心がなかったと思われる祖父の意外な蔵書で、ロマンティシズムから解放された合理的な機械の美をよしとする不思議な檄文の連続である。何だこりゃ、と面白半分に読んでいたら、リシツキーやマレーヴィッチ、メイエルホリドなどというロシア・アヴァンギャルドの作家や、バウハウスの建築などが出てきて、そのあたりの作品が早くから知られていたことがわかった。ジガ・ヴェルトフの「映画眼よりラディオ眼へ」全文所収。キノ・グラースざんすね、つまり。

ブックデザインも凝っているのだが、東洋の小国にアヴァンギャルドを紹介しようというテンションの高さが何となく気恥ずかしい本。歴史でしか知らなかったことの、昔の受容の雰囲気が垣間見えて面白いです。

【2020/5/4】5日目『戦車と自由 チェコスロバキア事件資料集』

『戦車と自由 チェコスロバキア事件資料集』(みすず書房編集部編、みすず書房刊)。チェコスロバキアで「プラハの春」から1968年のソ連侵攻に至るさまざまな資料を集めたもの。事態の推移にかかわる文書や記事から、占領下の街の落書きや小咄まで収めてある。刊行されたのが1968年11月という速報性がすごい。インターネットは疎か、テレビの衛星生中継すら覚束ない時代に、生々しい情報の結節点たるべく、書籍という媒体にどれだけの知的労力や資源が集約されていたのだろう……と気が遠くなる。
政治家や官僚のものだった社会を、自分たちの社会として取り戻そうとする市民たちの知恵と工夫と高揚感。この本をわくわくして読んだ頃には遠い国の歴史的な出来事でしかなかったことが、3月11日以後に「路上に出た」途端に、いろいろ突然リアルになった。この本のように、きちんとした記録を残せばよかったと思います。
そして、東京に戦車は侵攻してこなかったけど、何だろう、この無力感は。息をひそめてこっそり語るアネクドートの諦念まじりの笑いさえ、いまの日本では難しいみたい。不屈のプラハ市民みたいになれるかな。ならなきゃな。若きハヴェルだってがんばってたんだ。がんばらなきゃ、いけないんだけど……。

【2020/5/5】6日目『はるかな国 とおい昔』

こどもの日の6日目は『はるかな国 とおい昔』(W.H.ハドソン著、寿岳しづ訳、岩波書店刊)。
郷愁をもって語る子ども時代というのは、どの程度都合よく美化されているものか分からないけど、植物や動物とのかかわりを、幼い不安や驚きのまなざしを通して綴った美しいお話。ダレルの『虫とけものと家族たち』と同じく、生きものが親しい友である日々は、ユートピア的でありながら、子ども時代特有の静かな孤独にも裏打ちされている。
ダレルもハドソンも、まあ西洋人の植民地での子ども時代の回顧ということになるから、無垢な振りをするのも大概にしなさいよ、というのが現代の評価になるかもしれない。
でも、「よそ者」として自我を獲得せざるを得ない子どもの話に肩入れしてしまう癖が私にはあるみたい。大好き。

【2020/5/6】7日目『エンジン・サマー』

最終日は『エンジン・サマー』(ジョン・クロウリー著、大森望訳、福武書店)。 ビザンティンってどこだっけ、ゲルマン民族大移動って何だっけ、などという頭の悪い会話をしていた連休の最終日。歴史として記された昔のこと、実際にはどんな暮らしがあったのだろう。文字資料を失って滅びた世界で細々と生き残った人間が口伝えする混沌の歴史がこの小説の仕掛けだが、あまり筋を説明すると野暮になる。
おそらくまた、世界は後戻りできない変わり方をするでしょう。今までに書かれたたくさんの「世界終末もの」の小説でも想像できなかったような方向へ。新しいことに順応する力を失いつつある老いた自分がこの先の世界で生き延びていけるのか、あまり自信はありません。
単純なスローガンや、即効性のあるノウハウではない、「希望」の長い長い道のりを描くことは、文学にしかできないことだと思います。
それは武器にはならないかもしれないけど、耐水マッチくらいの頼もしさはあるのではないでしょうか。これから、沈む船から積み荷を捨てながら辛うじて生きるような未来が訪れても、いつかポケットにしまっておいたマッチに救われる日がくるかもしれません。

2020年3月13日金曜日

鳥のいざなう方へ



ある日馴染みのない町をぶらぶらしていて、感じのいい古本屋を見つけた。そういう時はとりあえず入口に並ぶ廉価本でも何か1冊手にして、店の中を覗いてみるのが癖になっている。友人が一緒だったので中をじっくり見分する時間はなかったが、店頭の棚に初山滋の絵本があったので、買って帰ることにした。自分の世代ではあまりピンとこないが、祖母が好きだった挿絵画家だ。その程度の浅い縁でも、とにかく本屋で何か買いたいという衝動が起きたときには口実になる。きれいにビニールでパックしてあったので中身は見なかった。

帰宅して夕飯後に、そういえば今日は絵本を買ったんだよな……と、かわいらしい淡い色彩で描かれた小鹿の表紙をようやく開いてみた。「キンダーおはなしえほん傑作選」だから、せいぜい幼稚園の年長さん向けかなと、一杯機嫌のまま気楽に読み始めたのだけど。

そのようにして、心の準備も何もない状態で、熱くて冷たい激しい言葉に出会った。知らない詩人だった。まったく油断していた。

詩:吉田一穂/絵:初山滋『ひばりはそらに』
フレーベル館2007年発行(1969年キンダーおはなしえほん6月号初出)

有名な詩人らしい。松岡正剛の千夜千冊などにも記事があった。この人の本業の詩に分け入っていく勇気はいまはない。『ひばりはそらに』の話をしよう。

◆◇◆

かわいらしい希望の物語を予感させる最初の見開き。あっけらかんと伸びやかにスキップする半袖の女の子は、主人公の小鹿に自らを重ねられる小さな読者の姿を物語のはじまりに描いたのだろうか。足取り軽い小鹿と歩を揃えて、虹の掛かる空を見上げている。

むねを はって 、こえ たかく
うたいながら いこう!
そらには、にじが かかっていた。

「ひばりのおちるほうへいこう」と小鹿は歩き始める。「ろばさん あおくさ、さがしに いかないか」と旅に誘うが、「はたらく ろばに かいばが あるよ」と、小鹿の誘いは実にあっさりと拒まれた。歩を進めるにつれて、同じ静かな拒絶ばかりが続く。

町に行くのだと汽車に乗る豚、豚が喜々として向かった町ではハムやソーセージが市場に並び、ニワトリが自らの卵を売っている。ロバはパンを作り、オウムは自分の声を忘れて人まねする。どの動物も小鹿の道連れになることはない。

繰り返しの描写を経るうちに、穏やかに満ち足りたけものたちの背景に、何かが隠蔽されている不安が高まる。虹や「ひばりのなくそら」がいざなう自由へと向かうはずの小鹿は、その旅路でただ「ひとにかわれたとりやけもの」の不自由に出会った。彼らの素朴な平和は、他者の支配する世界に受動的に安住し、自らの不自由に鈍感であることによって保たれているものだった。その危うさに付きまとう不穏な気配は、ページを繰るごとに小鹿と読者の前にひたひたと忍び寄り、ついには「たかのはねのついたや」に射られて落ちる鷹の登場によって、破綻を決定的に露わにする。

街はもはや目指すべき場所ではなくなった。森への退却を経て「むねを どきどきさせて たにまへ にげこんだ」小鹿は、谷底でふと躓いた貝殻をそのまま蹄で掘り出した。「おや? こんな ところに かいがらが」と訝しがる小鹿に、貝殻は海の美しさを歌い始める。谷底がかつて海だったと貝殻に告げられた小鹿は、山に登って海を眺めた。

「あっ あれだ! うみは。くもを かぶった やまの むこうに みえる、あおいのが うみだ。きらきら ひかって、まるで におうようだ!」

小鹿の声に誘われて出てきた雷鳥は、海の向こうに「ひろい ひろい くに」があることを教え、「ながい あしと つよい つのを もっている きみが、なにを おそれる ことが あろう。わたしたちの おやたちだって、いちどは みんな、うみを こえてきたのです」と、小鹿に新しい希望を伝えた。

小鹿は海を目指した。もう旅の道連れは当てにしない。ただ一人で、「ひばりの あがる そらの もと」を目指して川を下っていく。ついにたどり着いた海の、磯の匂いと海風、波の音。塩辛い水。海のかなたに霞む紫色の山を見て、「どうして うみを わたろうか!」と決意する小鹿。

苦労して海を渡った小鹿は、どんな希望の地に上陸したと思いますか。

花咲き青草が輝く野を期待して最後のページをめくると、意外な景色が待っていた。茨に覆われた「ひとの けむりも たたない あれち」。しかし、鮭が川を遡るその地に誇らしく鹿は降り立つ。その地の空に高く上がるひばりを描いて、物語は終わる。

◆◇◆

自由とは……と思う。吉田一穂の問いかけは厳しい。ひばりの舞う空を目指したいとは思わないのか。所与の世界を疑わずして、そこから一人で旅立つ勇気なくして、憧れているだけでは、目指す高みにたどり着けない。しかし青年の足は強いはずだ。いつか道を示してくれる友とも出会い、また君が友を助ける日も来るだろう。君の理想を疑う者は置いていけ。軽々と訣別せよ。それが自由を目指す旅なのだ、と。

たぶん世の中には、きわめて大雑把に分類すると、ひばりの高く上る空に憧れる人間と、そんなことは頓着しない人間がいると思う。後者の生き方のほうが賢くて、経済的にも社会的にも成功するんだろう。これから育っていく小さな人間に、大人は何を伝えたらいいのか。それはやはり、ひばりの鳴く空への憧れを胸に抱えて、海をも渡っていく勇気のほうだと自分は思う。だから、博士や大臣なんていう安っぽい「将来の希望」などではなく、ただ一人で荒地へとたどり着く旅へといざなうこの詩は、やっぱり「希望」の物語である。厳しい旅だが、辛くはないよ。わくわくする楽しい冒険なんだから。初山滋の絵は、最初から最後まで優しい。

坂口安吾は「空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。」と書いた。まったくそうだ、と思う。「ひばりの おちる ほうへ」行きたいと思わない人間とも、私は話をしたくない。いや、自分ももう年だから、なかなかそうはいかなくて……という現実も分かるんだけど、せめて未来のある子どもには、混じり気なしの、そういうきらきらした希望を語りたいよね、って思うのだ。

というわけで、ページを閉じた後の余韻ったら、もうね。油断しててこういう本に出逢うと、呆然としてしまうのよ。

2017年1月24日火曜日

外付け記憶装置の不全

いい年になっても、「生まれて初めて」は起こりうる。生まれて初めて鍋を焦げ付かせるとか。

たまたま買ったばかりの鍋に、肉じゃがを仕込んで火にかけた。そのまま仕事をしているうちに、打ち合わせが入って、終わってみたら、半ば炭に変わった夕飯が鍋底に張り付いていた。明日の朝ごはんも兼ねていたはずなのに、すべておしゃかというわけ。ちょっとでも気にかけていればよかったはずという仮定法過去な感じの、誰のせいにもできない理由で、それでもえらく受動的に突き付けられた絶望の黒い鍋。

大人だから泣いたりしないけど、ちょっともう、今すぐに仕事も辞めて、涙さえも凍り付く白い氷原とか、ごらんあれが竜飛岬北のはずれとか、そういった方面に一人で旅立ってしまいたいような衝動に駆られましたね。

(あ、ちなみに、糖度の高い玉ねぎがいちばん焦げ付くのだなあ、という、仕方なく実証的な豆知識が得られたことを記しておきます。)

◆◇◆

で、たかが炊事の失敗でこんなに悲しくなるという地味な発見の果てに、そういえば、村上春樹の小説にはスパゲティの茹で加減を失敗しただけで死にたくなるような女の子が出てくる、といった評を、昔読んだことを思い出した。私が村上春樹を読んでいたのは主に高校生のころだから、まだ『ノルウェイの森』が謎のベストセラーになる前の誰かのエッセイではないかと思うんだけど、誰が評していたのかさっぱり思い出せない。

あ、『火野鉄平のブックジャック』かなあ? だとしたら単行本は持ってないから、中学生の3年間だけ読んでた『ビックリハウス』かもしれない。火野鉄平ムカツク、って思ってた女子中学生当時の感覚は、山形浩生ムカツク、って思ってた女子大生崩れ当時の感覚と近いなあと今になってオバサンは思うけど、もうオバサンになってしまったので、今でもやっぱりムカツクわーとか言っても、おのれの教養コンプレックスが際立つだけで、ぜんぜん可愛くないよな。これも余談だけど。

◆◇◆

今年になって、とある成り行きから『常陸国風土記』を入手しなくちゃ、って決めた。で、誰かが、戦後ようやく岩波文庫が入手できることになって買いに行ったが、売っていたのは大して興味のない『常陸国風土記』だったけどとりあえず買った、みたいなことを書いていたよな、と思った。

ところが、さて丸善なんかに行ってみると、まず岩波文庫の目録には『常陸国風土記』はないのである。まあ品切れか、とネットで調べても、『風土記』はあっても『常陸国風土記』は見当たらない。これは思い違いか、ということになって、じゃあ誰の記述だったんだろうと調べたが、自分で思い出さない限り、いくらGoogle先生でもそこまでは上手に教えてくれない。終戦時に学生だった理系の人ではなかったかなあ、と当たりをつけて、山田風太郎の『戦中派不戦日記』じゃないかしら、と必死でページをめくってみるが、どうやらそれらしき記述はないみたい。うーん。夜中に滅茶苦茶な書棚と、書棚の膝の高さのあたりから連続して床で地層を形成している本の雪崩を漁ってみたけど、もうどうにもお手上げで諦めました。

これからもっと年を取るでしょ、持ち家も子孫もないから、本だって処分していかなきゃいけないし。

そうすると、こんなふうに朦朧とした物語の断片だけが、鍋の表面に浮いてくる灰汁のように、もろもろと漂うことになるのだろう。そのたびに、思い出せない過去との折り合い方に恐怖しながら、でも最後には全部忘れてしまうんだろう。空っぽの老婆になっても笑っていられるような、そんな未来が来ればいいんだけど。

どうなんだろう?

表参道交差点。卒業して初めて働いた街で
よくお使いに行かされた山陽堂がまだある。














2016年4月17日日曜日

原色少年植物図鑑

幸いなことに、死なないように、飢えないように、怪我したりしないように、老人ホームは本当に至れり尽くせりだ。それでもそういう場所では、かつてひとかどの大人であったはずの個々の尊厳を含めて、衰えた老人に関心を向けて無駄な時間を割いてくれる人はいない。仕方ないことです。十分にありがたいのですから、それくらいのこと、高額なサービスには資金の足りないうちみたいな家庭(それでも恵まれていると思います)にとっては、そこまでは望めないです。 無能な娘は、色鮮やかな植物図鑑を開いて、庭にあったレンギョウの話、叔母が栽培に失敗して枯らしてしまったブドウの話、祖母が憧れていたワレモコウの話、四ツ谷駅近くの中央分離帯で捨てられた種が実っていたスイカの話、母が故郷から持って来て植えた「オンコの木」の話、おままごとに重宝したマユミの実の話、とりとめもなくページを指差して話す。父は数時間も笑いながら、自分でも懸命にページを繰ろうとして、植物図鑑に見入っていた。「これは、季節の順番になっているんだなあ」と、数十回も繰り返し驚いていた。 そうだよ、春に咲く花から掲載されているの。牧野富太郎の『原色少年植物図鑑』。おばあちゃんの牧野植物図鑑は大人用のだったけど、これは私が古本屋で買ったか、職場の資料整理で捨てられるものを貰ってきたか、そんなのだよ、確か。持って来てみたんだ。植物の名前がわからなくて困ってしまったら見ればいいかな、って。 ビワのページで、「私、近所の空家の枇杷の実をね、盗んで食べようと思ったんだけど、背が届かなくて残念なんだよね。ヒヨドリに全部食べられちゃうの悔しくってさ」と言ったら、いちばんウケた。笑いのツボがよくわからん。奥深いなー、認知症ライフ。 最後のページに父の名前を書いて、「いつでも見られるように置いておくよ」って言ったら、「いや、持っていきなさい」と勧められてしまった。そうだね、ありがとう。じゃあまた面白そうな本があったら、持ってくるからさ。


原色?

2016年4月4日月曜日

郵便ポストが赤いのも……

読み進めていた牧野智和『日常に侵入する自己啓発:生き方・手帳片づけ』を、本日床屋さんの髪染め時間(白髪多すぎて、なのに半年近く放っておいて大変でした……)で読了。

いわゆる自己啓発本はお好きですか? 私は残念ながら読みません。ぼんやりと、自分は何で読まないのかな……と考えるに、うーん。ビジネス的な成功に描かれるような人物像に近づきたいという向上心がないからかな、とか。

そこに提示される成功者の定義に、まったく関心がないとかね。

と、実も蓋もない大雑把な感想ですが、著者は、そういう私の怠惰な直感に対して、きちんと精緻な分析をしています(例えば以下のp.282)。
つまり、かなり多くの啓発書においては、仕事における習熟・卓越を目指す男性(性)、自分らしさを志向する女性(性)という前提が、驚くほど何も顧みられることなく自明のものとされている。自己啓発書を通して確認され、また啓発される「今ここ」とは、概してそのような前提に枠づけられた「今ここ」なのである。やはり前著でも述べたことだが、私たちが数多流通する啓発書を手にとり、「自分自身の問題の解決につながると思い自己適用するまさにその瞬間に、さまざまな社会的変数(少なくともこの場合はジェンダー:筆者注)の分散をさらに再生産することに貢献してしまうのではないか」(牧野自著「自己啓発の時代」引用p.245)と考えられるのである。
 そうなんですよ。自己啓発書の説く「あなた自身が変わらなきゃ」は、もっと歴史的な(あるいは単に権力の)恣意で構成されたはずの社会的な拘束を不問にしたままで、むしろ「あなたが変わることで世界は変わる」と強要する欺瞞があるわけです。男女それぞれの通俗的価値観に追従する改善策、手帳術による時間のマネジメント、片付け術による空間のマネジメント、と、わかりやすく例を挙げて解説している本書は、ベストセラーにランクインしたそういうそれなりに人々から望まれる需要を、(私みたいに)安易に唾棄することを誠実に回避しながら、丁寧に分析することで却ってそのイージーな本質を曝露しているのね。

著者の指摘する「アイデンティティ・ゲーム」の行き着く先の不毛さったら、それを著者は「コントロール可能性への専心」と定義するが、どうなんでしょ(p.288-289)。
私的空間からノイズを除去し、「好き」等の一元的な意味によって再編成と安定化を図る――。このようにして、自らがその影響をコントロールできるような解釈の枠組みを、眼前にひらける世界のあらゆる対象へと付与し、逆にそれでもコントロール不能なものはノイズとして排除する。だからこそ幾度か述べたように、「社会」は変えられないものとしてあっさりと思考停止の対象とされてしまうのである。自己啓発書が書店に居並び、その位置価を浮上させるような社会とは、このような感情的ハビトゥスが位置価を高め、また文化資本として流通するような社会だといえるのではないだろうか。
上司の言うことを理不尽に感じたり、女に生まれたばっかりに変な不利益を受けたとしても、しょうもない政府のせいで変な法律が成立したとしても、「誰かを恨むよりは自分が達観すべく、世界の思いなしようを変える」ことのほうがよりソフィスティケイテッドな身振りだなんて、どこかの誰かに言われたら? 

そりゃあ、何でも世の中のせいにして、不甲斐ない自分を甘やかすのは格好悪いし、そんなコドモの恨みつらみだけでは、いずれ壁に突き当たるのは確かだ。だからといって、 「すべては自分の心次第ですから、嘆かず恨まず自分自身の内面を磨くのみです」で全てを済ませてしまったら、それはそれで安易すぎる。「カエサルのものはカエサルに」みたいに、きちんと切り分けないとね。

自分の外に神様を想像することは、世間の掟にびくびくするのよりも、かなり潔い。人智を超えた存在の前に、すべての人間の最善は「それでも及ばない」というゴメンナサイを意識せざるを得なくて、だからこそ人間の作った掟に盲従することを相対化できるんだ。よく、「神に善悪を委ねたら自分は何も考えなくていいなんて、どこまで主体性がないんだよ」って言う人もいるけど、そういう設定を想像することによって、自分の責任=世の中に働きかけて変えなければ、という、誰のせいにもできない個々人に課せられた主体性が生じるかもしれない。

と、変に途中から何で「神様」みたいな突拍子もないワードを使うことによって却って混乱するじゃないか……というブーイングを予測しつつ、だってそれが近代史ってもんじゃないの? と、悪態つくわけです。突拍子もない概念ではあろうが、その補助線が便利だから、とりあえず使ってみてるの。自分の知性の頼りなさを確かめるために。

人間の作った決まりごとなんて、人間の不便にぶつかったら話し合って変えていくしかないし、そこんとこは真面目に喧嘩しなくちゃ。

そんでヨブは、神様相手にだって、そういう喧嘩を打って出たんぜ。

残念なことに、ヨブに向かって「売り言葉に買い言葉」した神様は、そうそう最近雄弁ではないから、「こんな世の中が義と言えるでしょうか」という喧嘩は、まあ人間どうしで何とかしなくちゃならないみたい。圧倒的な神の沈黙。応答しない無言の神に訴え続ける徒労。

だったら、微力ながらデモにでもいくし、変なこと考えてるクソ親父には投票しないから。それは微々たることでも、少なくとも「部屋を片付けたら人生が変わる」なんて殊勝なことは、思っちゃいないもんでね。

Yokohama View from "Rainbow Warrior"

2016年3月23日水曜日

お茶の間の深遠

連休に図書館で借りた本のうち2冊、さらっと読めるものを読了したのでメモなど。2冊とも精神科の臨床医による著作だけれど、たまたまの偶然。

1冊は春日武彦『残酷な子供 グロテスクな大人』。帯を見てもどういう本かよくわからず、読了してもよくわからないが、じわじわと無意識下に沈殿して、次第に大きく裂けていくひび割れの端緒を作るような本。精神科医である著者がここで捉えている主題の縦糸は、人間の「内なる子供性」が「大人であることとの折り合いのつけ方を間違える」と生じる、ある種の「グロテスクさ」である……らしい。

しかし、その問題を叙述する方法は、症例研究でもないし、筋道立った理論でもない。著者自身の子ども時代の経験や、さまざまな文学作品に登場する人物の振る舞いが断片的に切り出されて横糸となり、いつの間にか縦糸と交差して織物となる。先に輪郭線があって、その中を整然と塗りつぶしていくような叙述ではなくて、糸が絡まっていくうちに結び目に模様があらわれるのだが、最後まで織物の輪郭はぎざぎざと不定形なままのような。

文学であれば当たり前の叙述方法であろうけれども、このようなジャンル(いちおうは精神科医の書く医学エッセイということになるのか)では不思議な印象です。しかし、著者にとってはこのような書き方でしか書き得ない主題として、その主題と自分自身との距離を誠実に計った結果なのだと思う。『病んだ家族、散乱した室内』を読んで以来、春日氏は「著書を見かければ手にとってみよう」という書き手なのだが、今のところハズレはないですね。

世界の外にいるとは、世間の文脈へ嵌め込まれる以前へと回帰することである。そしてそのような状態にあって不可解なものに遭遇したとき、我々ははじめて世界の肌触りを知ることができる。その際に生ずる感情が「驚き」なのであり、その体験をいたずらに「説明」によって鈍化させ、無難で怠惰な日常へと組み込んでしまうことはまさに退屈な大人として生きていくことに他ならないだろう。

生の一回性とでも呼べばよいのか。圧倒的な外部との出会いによって、自分が組みかえられるような瞬間を子どもが経験する。外側から意味を付与するのが難しい、そういった「驚く人」のありようを、さまざまな文学の断片によって描こうとしている。そうだ、自分にもそんな経験が必ずあるのだが、それを記す方法はないのか。おそらく詩のようなものになるのだろう。そんなことを考えたが、果たして著者の書きたかった主題と関連するのかどうか。

まあ、テクスト=織物だからよいのですよ、ということにして。社会問題を症例として類型化し、外部から分析して処方箋まで用意するような本ではない以上、その問題意識が自分の内側に向いてしまうのも、当然の読後感になるかもしれません。著者がグロテスクさを感じる「内なる子供性」とは、既存の言葉によって意味を与えられている役割に自らをなぞらえて、自家撞着してしまうような対象であるようだ。そういう幼稚なナルシシズムに無批判な聖性を見出そうとする陳腐さを拒否しなければ、「詩」を生きる瞬間は立ち現れない。おそらく詩人は、その瞬間を描き得ない詩は詩ではないことを知っているはずだ。……うまく書けるかどうかはともかくとして。

◆◇◆

すっかり変な感想文になってしまったが2冊目。上田諭『治さなくてよい認知症』。どこかで書評を読んだのかな、それで。これはねえ、認知症になってしまった父親と、それを認めたくない母親のせめぎ合いの狭間で、自分はこういう言葉を欲していたのだと思います。

周囲の家族が最初、ご本人の変化に驚き、指摘したり注意したりしてしまうことはやむを得ない当然のことです。しかし、それは認知症という病の診断を受けたいま、もうやめましょう。物忘れやできなくなったこと、失敗することを、嘆いたり治そうとしたりすることをやめてほしいのです。励まそう、できるようになってほしいと思って声をかけておられるのかもしれません。しかし、いくら指摘し、声をかけても、結局できないことがほとんどなのです。ご本人には、励ましと受け取ることができません。叱られた、恥をかかされた、と思ってしまいます。
私は父母の傍にいないから、想像でしかないんだけど、母は毎日父を叱咤していたと思うんだよね。「俺はバカだからわからないんだ!」と怒鳴ったことまであったみたい。いま、父と母は別の施設にお世話になって、母と離れた父は、ずいぶんと穏やかさを取り戻したようだ。でも、教養や知性ある頼れる存在であった夫が、何もできなくなっていくことに耐えられなかった母の気持ちもわかる。

母が父にぶつけた苛立ちを、私はきっといま母にぶつけている。母は認知症ではないが、不自由な身体で余計なことをして怪我しそうになる。私はそれを叱り飛ばしている鬼のような娘だ。

たとえば父が粗相をしても、別に醜悪さを感じることもなく、彼を恥ずかしがらせまいと努めて淡々と後始末をした自分が、何故母親にはイチイチ苛立つのか。おそらく、親の役割を期待してしまう「子どもとしての甘え」が、父よりも母に対して強かったのだろうね。「プライドばかり高くて困る(何もできないのに)」という家族の悩みに、「しかし、本人はその点だけが自分の支えなのだということをわかってあげてほしい」と説く言葉に、そうなんだよなあ、と鬼娘は反省するのだけど、老いの衰えを許せない心情の裏には、いつまでも(自分よりも)しっかりしていてほしい(しっかりしているはずだ)という依存心があるんだと思う。

そういう気持ちに折り合いをつけていかないと、鬼娘から親思いの娘への転身は図れないのだろうが、何か意外だったな、自分にそういう気持ちがあったこと。

老いは回復可能な病ではない。だからかつてあった姿を期待しても、それは相手を苦しめるだけ。そうではなく、ありのままの姿を肯定するのが愛なのよ、と言う結論に至るわけだけど、何だか老親に限らず、いろいろな人間関係への態度への応用可能性を考えてしまうわね。

◆◇◆

……というような2冊をダシに、日常と地続きにある「得体の知れないもの」とのつき合い方について、ちっとは気の利いたことを書いてみようという表題だったが、本当に単なるメモに終わってしまいました。お粗末様。

国立競技場と一緒に取り壊される団地







2014年12月15日月曜日

朝の町を自転車で走るノンちゃん

石井桃子の『ノンちゃん雲に乗る』を図書館で借りて、最近初めて読んだ。実家の本棚にあったが、叔母のどちらかが子どものころの愛読書だったのではないかと思う。自分には少し難しいかなあと思っているうちに、読む機会を逸して、私も大人になってしまった。カバーのない黄ばんだ表紙の小型の本が、いまもたぶん、実家の雑多な本の山のどこかにまぎれているはずだ。

母が弟に買ってきた『君たちはどう生きるか』は、結局弟に見向きもされない間に、もう20代半ばになっていた私が夢中で読んだ。当時中学生だった弟に、この本を読ませたかった母のロマンはなんとなくわかる。『ノンちゃん…』は、祖母が「おもしろいから、読んでみるといいよ」と言っていたけど、結局は上記のような次第。そんで、40代半ばで鼻水たらして泣きながら読むという、似たような展開になりました。ばーちゃん、すまん。。

『ノンちゃん雲に乗る』は、親切な謎解きをしないまま、いくつもの疑問を残して終わる。

雲のおじいさんは、何者なのか?
なぜノンちゃんは、最後まで「ほとんど長吉さんと口をきいたことが」ないままだったのか。なぜ長吉は「兵隊に出ていったきり」帰ってこなかったのか?
おじいさんの「ある日のにいちゃん」の話を聞いて、なぜのんちゃんは泣いたのか?
「ハナ子ちゃんの冒険」の話で、おじいさんはノンちゃんに何を伝えたかったのか?

だから、この本を読む子どもは、読みながら、読み終えた後もずっと、そういうことをぼんやりと考え続けて、ノンちゃんが「ああ、雲の上の話は、とてもむずかしいのです」と思うのと同じく、生きていくうえで簡単に答えの出ない不条理を丸ごと抱えながら、ただおじいさんのくれた星を時折見上げて、大人になる困難な道のりを元気に歩いていくんだろう。
「でも……いつかきっと、と、ノンちゃんは思うのです。一生のうち、いつかきっと一度、あの雲のことを、はじめからおしまいまですっかり、だれかに話してみよう。たとえば、こんな日がこないでしょうか。」という、これはそういう物語。安易な教訓への回収を拒み、読み手の数だけ生まれるそれぞれの新しい物語への橋を架けるような、物語というかたちでしか語れない「文学」についての物語でもある。

コペル君やおじさんは、最初から最後まで難しいことを議論していたけれども、ノンちゃんは理屈をこねずに、身近にいる大好きな人たちのことを語ろうとして、どうしてもうまく語れなかったのがいいな。言い尽くすことの困難なことをたくさん抱えながら、ノンちゃんは大人になって、「ひゅう! と風をきって」、自転車で突っ走る。

「だれもいやしない! だれもいやしない。あたしがいやなんだ……。あたしが、うそきらいなんだァ……。」
と声を振り絞って大泣きした女の子が大人になって、自転車で走っていくその先には、未来がまだ丸ごと待っていて。

もはや娘をもつこともかなわない歳になった私も、小学2年のノンちゃんと一緒に泣いて、これから世の中に出て行く若者のノンちゃんと一緒に、朝の空気を吸い込みながら、颯爽と自転車で走っていく。
私にとっての「雲の上の話」を語る方法を、おそらく模索しながら……ということでしょう。

見上げるほど背が高い皇帝ダリア。



2014年6月27日金曜日

夢みる論理[1]

……ところで、この狂言には一つ気がかりの幕があるとかいうはなしで、その仔細と申せば、おととし五月のこと、これは芝居ではなくて実録も実録、かの野州無宿の富蔵という入墨者と上槙町の藤十郎という浪人者がふたり組んで、おそれげもなくお城にしのびこみ、御金蔵をやぶって盗みとった小判四千両、ついにお仕置になった一件は世間にたれ知らぬものはない。今度の芝居、もし上役人がわるく勘ぐって見るときには、かの四千両の一件にまぎらわしいとにらまれるような労ともいえませぬて。上役人の横車にはいつものことながら迷惑しております。泥棒がはびこるような世の中なればこそ、舞台にも白浪が出ようというもの。世のありさまには手をつけるすべもしらないのに、狂言綺語の芝居のほうをたたこうとは、その心配があるだけでも、無法の沙汰というほかない。そのひまに、ほんもののぬすっとが大手を振って大牢をやぶったとなると、上役人はどうするか。 
 石川 淳 『至福千年』 (岩波文庫、1983年)

最近でも、マンガの描写が、風評被害を助長するとか何とかかんとか、フィクションに目くじらを立てる役人連中などがおりました。科学的に検証可能な「事実」の正確な反映なんかを、所詮は絵空事である物語に求めるのは野暮なことで、だからたかがマンガのことと、正直この騒ぎは、私は冷ややかに横目で受け流してた。

新約聖書を読んでいると、前から不思議に思うことがあって、イエスという人は何でまあ回りくどい喩え話で諸々の教説を語ったのだろう、と。単純に善悪の教えを説くのであれば、効率のよい話し方はほかにあるような気がする。
そもそも、ものの是非だのを最小限の労力で言い表すとすれば、a+b=c という単純な構造の積み重ねでもって、つまりは、論理の言葉を用いるのが合理的なはずだ。それでもなぜか、イエスは場合によってはいかようにも誤解しうる物語でもって、人々に道理を説いた。

なぜなんだろう。

そのほうが重々しくてありがたい感じがするから……とか、聞き手の理解力に合わせて自分の身に置き換えやすい表現にしたから……とか、いろいろな説が立てられるだろうが、今のところ私は、
「そういう言い方でしか言えない種類の物事を語っているから」
というのが、いちばん腑に落ちる説明であるような気がする。

つまり法律の条文であるのならば、aはbという決め事の違反であるから、cという罰則が適用されるという理屈をストイックに規定しておかないと、解釈によってはbという決め事はaを是とすることも否とすることもできる、というのでは役に立たない。そうやって用意周到に論理構造を作りこんでおいてすら、現実に起こる出来事に対して法律を適用するのは、そんなに機械的にうまくいくものではないだろう。
それでは、自然科学の法則ならばどうか。数学や物理法則は、同じ条件下であれば常にひとつの現象が再現可能で、ゆえにそれは不動の事実ということになる。そういう性質の事象を表現するための言語が、自然科学の理論であり数式であるわけだ。

もういちど、イエスの言葉という例に戻るならば、殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え。また「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」。帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。
そういった戒めを列挙するだけでも、ものの道理を説くことはできたのかもしれない。だけどイエスはそうはしなかった。野に咲くゆりの花の美しさや、出来栄えが気になる葡萄や麦のこと、おなかを空かせた人の気持ち、夕焼けで明日の天気を知ること、そういう回りくどい話をたくさんしてみせた。

そういった物語を通してしか言えないことが、確かにある。
人は昔から、むしろ物語によって、世界の成り立ちや自分たちの出自を了解し、部族や集団で共有することによって、善悪や真偽の枠組みにしてきた。ほら、日本という国がどうやって始まったかということだって、国生みの神話によって支えられているでしょう。
しかし、集団が大きくなって成員が流動化したり、別の物語を信じる外部の集団と付き合わなければならなくなると、じつは無自覚な信憑の「確からしさ」によってのみ支えられる物語の「真実」は、成立しなくなってしまう。

そこで、物語に代わって、善悪や真偽といった意味を組み立てて他者と共有するための最小単位として、論理や数学、法律という道具が必要になったんだろう。
しかし、それでも人間にとって、物語によって世界を了解する旧来の癖は、そうそう簡単に捨て去れるものではない。物語として了解される価値観を、自然科学において確かめられる真偽と同一視してしまうこともあれば、人間の決めた約束事である法律が規定することを、動かしがたい善悪を表す物語として感受してしまうこともある。
人間は、その本性において、物語でしか語れないことと、論理でしか語れないことを、きっちり区分することが、どうにも苦手なのだと思う。両方、自分たちでつくった約束事によって、それぞれに異なる方法で「意味」の析出をしているだけのことなんだけれども。

だから、物語が「正しく」て論理が「悪」であるとか、その逆であるとか、そういうことは言えないわけで。また、「フィクションと事実を正しく分別できない人間は阿呆である」とかも、なかなか簡単に言えないわけで。ただ、その意味生成の道筋の違いがあることぐらいは、ちょっとは意識しておきたい……という自戒ぐらいは、せめて言っておこうか。

などと、拙い頭でぐだぐだと思い悩んでいたら、意外な本から補助線を見つけた(つづく)。


何でも官邸団。今度は集団的自衛権
閣議決定やめてください、の巻。(6/17)







2014年5月7日水曜日

風化の速度

前回の『東京古社名刹の旅』のメモは、あまりにも大雑把。たぶん後になって読んだら、書いた本人すら何のことかわからなくなっているだろう。それでは「過去が忘れられていく」スピードの速さにびっくりしたよ、という感想があまりにも間抜けな皮肉になってしまう。ということで、自分用の備忘録たる本来の目的を果たすべく、多少の補遺を加えておきます。

寺社というのは、そもそもの「縁起」がそうであるように、その土地にまつわる出来事を背負う場所なのだ。神話に見られるような、時の権力(世俗的な/宗教的な)の正統性を説明する機能があるだけではなく、とくに、東国という辺境の比較的新しい歴史が委ねられる「東京」の寺社であるせいか、その地域に暮らす人々が強く感情を動かされた出来事の記憶が伝えられている印象。
寺社縁起の構造分析といった技術すら持ち合わせていないんだけれど、この本に挙げられた古社名刹の見どころを、寺社にゆかりの文物や物語が喚起しようとする感情の色合いによって、素人なりに大別してみた。

a「美しいもの、珍しいもの」=建築、工芸、名木、庭園
西光寺(瑞江)の立木観音、寄木神社(品川)の長八漆喰扉絵、善福寺(元麻布)の逆さ銀杏など

b「恐ろしい出来事」=災害、事故の記憶
善養寺(小岩)の浅間山噴火供養塔、本妙寺(巣鴨)の振袖火事供養塔、海福寺(目黒)の永代橋落橋事件供養碑など

c「びっくりした出来事」=スキャンダル、事件の記憶
宝蔵院(小岩)の幕府叛徒討伐の縁呼石、西福寺(王子)のお馬塚、祐天寺(目黒)の塁塚など

d「ありがたい出来事」=霊験、偉業を記念する
三囲神社(向島)の室井其角の雨乞い、安養寺(雑色)の子育薬師、成願寺(中野坂上)の長者伝説など

e「なつかしい出来事」=先祖や遠い故郷の記憶
慶元寺(喜多見)の江戸氏菩提、大国魂神社(府中)の出雲系国造祭祀、信松院(八王子)の武田氏松姫と落人など

……と、分類してみたものの、a~eは必ずしも並列的な関係ではない。寺社に残っている「もの」(a)は、その謂れを語る「物語」(b~e)と不可分である場合がほとんどで、後世の目から見た美術的な価値に還元される純粋な鑑賞物と同義ではない。また、あらゆる物語は、身近で下世話な時事の話題(b、c)であっても時を経るにつれ、寺社のありがたみを高める言い伝えの数々(d、e)へと回収されていく。
つまりは、そこにありありと現存する「もの」が、雑多な歴史の断片を連ねた「物語」の証として刻む場所である、というのが、寺社がその固有の土地において果たす機能である、と一概に(大雑把にいえば)いうことができるのではないか。

しかし、東京という人の流動の激しい土地にあって、寺社のこのような機能は、もはや風化しつつあることも確かだ。石碑に刻んでも、立派なお堂を建てても、昔の物語は忘れられてしまう。この本で知った江戸の諸々の世間話は、地史に疎い自分にはほとんどが初見だった。それを忘れずにいようなどと都合のいい主張をする気はないけど、その土地のおぼろげな来歴すら感じることなく表面に建てられた街だけを間借りするのは、それはそれでつまらないことだ。

最近逝去したガブリエル・ガルシア=マルケスの小説を、南米ならではのマジック・リアリズムだなんて、遠い海の向こうの話に限定することは怠惰なことで、きっとどんな新興住宅地にだって、人の暮らすところにはその土地の地霊のようなものが跳梁跋扈しているんだから、その声を聞こうとすることはけっして無駄ではないはず。
なんて、そんなことをつい考えてしまう自分は、年取ったのかな。
うーん。

連休中のサイクリングで通った、福生の造り酒屋。
玉川上水から水を引き、周囲の農地にも分水していた。




2014年5月1日木曜日

昨日の続きの明日がいつか歴史になって

原発大好き親父が経営している新聞社だからって、色眼鏡で見てはいけなくてよ、たぶん。

思いがけない休日に、自転車で近隣を走り回る贅沢。いくつかの図書館に行った。税金の滞納分を納めた後だったりしたのが余計に、公立図書館の恩恵に浴そうっていうケチくさい根性もあったかもね。

歌舞伎だので面白おかしく語られたニュース、地元では誰一人知らぬ偉人の行状の顕彰、関東の話だから、江戸時代の話が主だったりするが、府中に中央政府とのつながりがあった時代のことなども。稲葉博『東京古社名刹の旅』(読売新聞社、1987年)を、図書館で借りてきて読んでいました。

私は東京の出身ではないから、それでも10年以上はそこここに寄生しているので、見知った場所の昔の話として、面白く一気に読んだ。再開発で古い町並みが壊されたとしても、さすがに寺社を壊すのは気が引けるのでしょう。古刹を手がかりに、その町の古い顔が見えてくるから、「古めの寺や神社のない町に住むとろくなことはない」という実感を、年寄りの少ない町に住んではいけないという玉条とともに守ったこと、改めて省みるわけです。

とはいえ、かつて住んでいた近辺にあった吉良上野介の墓所をもつ寺が、本来の江戸である東のほうから移転したことも、たまたま知っていた。火事に地震で、町ごとが田舎に移住していく。そういうこともあるのだ。その意味では、寺社でさえけっして不動の歴史を刻む場所ではない。

しかし、まあ、それよりもなにより。

忘れられてしまうことの膨大さに、くらくらした。
有名な事件も人も、石碑に刻んでも物語を残しても、結局は消えていってしまう。
青黴の生えたような伝統を、四角四面にありがたがる必要はないけれども、やはり木と紙でできた国の軽薄さなのかな。たかが江戸時代のことすら、忘れられていくさまが、博学の人の語る地史との現在からの隔たりの遠さを前にして、これはさすがに愕然とするものがある。

ならば、どうなの。
いま自分が生きている時代の問題は、どんなふうに伝えられて/消えていくのかな。


同じ頃、自転車ででたらめに遠出したら、旧い豪農の庭地を見たり、多摩の「はけ」を越える道のりに四苦八苦したり。
町に刻まれる暮らしの記憶を、どうやって辿ろうかなどと野望を抱くゴールデンウィークでございました。

妙正寺川のこいのぼり。

2013年4月13日土曜日

大好きだったお爺さんのこと


カート・ヴォネガットが死んだのは2007年の4月11日。

ネットに溢れた追悼文を漁って、気に入ったものを和訳して友人に配ったりした。そのときの後書きがあるんだけど、今読むと、なんだか偉そうで嫌だな。「3.11」の前後で、自分が変わったとか変わらないとか、あまり考えたことはなかったのに、ちょっとだけそんなことを考えた。結局はKVの文明批判や資本主義批判を、リアリティをもって受け止めていなかったんだろうか。アメリカの「9.11」以後を本気で憂いていたKVの苦言にしても、どこか自分にとっては他人事だったのかもしれない。

あれ以来、「清志郎が生きていれば…」とか、「筑紫さんが生きていれば…」とか、みんないろいろ考えると思うけど、「KVが生きていれば…」と思うことがある。でも、死んでしまった人は死んでしまった人で、生きている人間がため息ついてばかりいるわけにもいかない。
そして、彼の言葉は、今でも、だれもが読むことができるのだから。
何もしないでいるわけにもいかないだろうし。

過去に書いたものが、今の自分と乖離してしまっても、その言葉と生きていくことを厭わない変態として、ここに記録しておきます。

◆◇◆

「マンガ本の哲学者に過ぎない」(2007)

 大好きなアメリカのSF作家を追悼した記事を集めて小冊子を作って配る、という目下の自分の関心事を職場でこっそりと隣の席のお姉さんに話したところ、「それってまさにオタクがやることじゃないですか」と笑われた。彼女は職場には内緒でライトノベル(十代の子がマンガの代わりに読む小説のこと?)を出版している現役の作家でもあり、アニメやマンガといった共通の教養を解する者たちだけが内輪で楽しむコミケ(色んなマンガのパロディとかをマンガや小説にして載せた同人誌を売っているコミック・マーケットの略称?)というイベントとかにも参加している人で、自虐気味ながら「オタク」を自称している。
私にはまったくそういう教養がない(オタクなどという低俗なカルチャーに属する人間ではないという嫌味な自負だな)ので、わざとらしく困惑しつつ、やんわりと彼女の言を否定した。いやあ、別にそういうオタク的な内輪ウケを狙ったわけではなくて、ヴォネガットという人はSF作家というよりもアメリカ文学の代表作家と見なされつつある人だし、ええと、今やっている作業は、大学時代に授業で書いた構造分析的なヴォネガット論によって巻末を締めくくろうとしているところであって……云々。すると彼女は、深いため息をついてこう言った。「だから、まさしくそれがオタクのすることなんですよ」。

今回、私の手元に集まったヴォネガットの追悼記事をリストにしてみると、約70編ほどのタイトルとなった。相当の数だが、それはもちろんファイルして残す記事を選択しての結果で、世界中でヴォネガットの死に際して彼を追悼するために生産された文章の量は、さらに膨大な数に上るだろう。実際、Googleが発表している検索キーワードの頻出ランキングでも、彼の死後すぐにはKurt Vonnegutの語が上位に挙げられていた。
ここに収録した記事は、女子大生が書いた学生新聞の記事などもあるけれども、一応は何らかの公的な媒体に署名記事として書かれたものであって、ほとんどはプロの文筆家によるものである。そのほかに、ネット上に公開する自分の日記(ブログ)などに書かれた「親父の本棚にあったから読んだら意外とイケてたよ」とか「自分のヒーローなので彼の死はショックだった」といった、普通のファンによる短い感想文の類いも数多くあった。
以前、ネット・コミュニティでは、耄碌した老作家が大学の卒業記念講演で「人生で最も重要なことは、屋外で日焼け止めを塗るということであります」といった脈絡のない滅茶苦茶なことを口走って学生を困惑させたという笑い話が流布していて、それがヴォネガットだという噂になっていた(実際は全く別人だったのだけど)。そのエピソードからも垣間見えるように、アメリカのネット世代のティーンエイジャーには、とりあえず名前だけは知っているものの、現役作家としてのヴォネガットの存在に馴染みのない者も多いようだ。かといって、アメリカでヴォネガットの小説が全く顧みられなくなったという訳ではなく、むしろモダンクラシックとして評価される状況が既にある程度確立しつつあって、例えば高校や大学の文学の英文学の授業で取り上げられたり、各地の図書館の読書講座における課題図書の定番にもなっていた。また、1997年に『タイムクエイク』を発表して以来、断筆を宣言したヴォネガットであったが、その『タイムクエイク』も、断筆後の彼が唯一不定期連載を持っていた社会主義的リベラル誌『イン・ディーズ・タイムズIn These Times』に掲載されたエッセイをまとめた2005年の『祖国のない男A Man without Country』も、アメリカのベストセラー作品となった。
結局、『ニューヨーク・タイムズ』の追悼記事にある「特に1960年代から70年代の若者にとっては、アメリカのカウンターカルチャーの文学的アイドルであった。アメリカのどこでも、ジーンズの尻ポケットやキャンパスの寮で、そこここのページの角を折って印をつけた彼のペーパーバックを目にすることができた」という解説が、アカデミックエリートから一般的な教養層までを含めた、ヴォネガットに対するアメリカの模範解答的な評価と言えるだろう。マーク・トウェインと比較して「アメリカならではの庶民的な文学的伝統の継承者」と見なすことも、本当に多くの記事に見られた。
その一方で、オタクのエリートとでも言える経歴をもつアンドリュー・レナードが激怒していたように、同じ追悼記事では、ヴォネガットに対する「マンガ本の哲学者に過ぎない」という評価についても触れられていた。先に引いた「カウンターカルチャーのアイドル」という表現と併せて、ハイカルチャー指向の『ニューヨーク・タイムズ』が言外に言いたいことはつまり、ヴォネガットの作品はまともな芸術としての文学としての評価は微妙なところがある(青臭い理念をSFコメディの形式で描いた小説として、血気盛んな若者の熱狂的な愛読書にはなるが、十分な分別を身につけた大人にならばいつかはそこから巣立ち、もっと深遠な文学と対峙するはずだ)……ということであろう。

小説家としての引退を宣言してからもヴォネガットは、アメリカの好戦的な姿勢と過度の商業主義、弱者切捨ての競争原理や、環境破壊をもたらす高度工業化社会などへの批判者として知られていた。特に、9.11事件以降のアメリカの愛国主義的熱狂には辛辣な態度を取り、『イン・ディーズ・タイムズ』のようなオルタナティブ・メディアにおいて、祖国への批判と幻滅をエッセイとして綴った。『ローリングストーン』誌は、「私はエレミヤだよ」とアメリカの現在への絶望を語るヴォネガットの姿を、「ナチスの捕虜となっても、母親の自殺にも耐え抜いた彼であったのに、彼を打ち砕いたのはジョージ・W・ブッシュだった」と題して描いているDouglas Brinkley. Vonnegut's Apocalypse. 2006/08/09
今回集めた追悼文の中には、米英の労働運動団体やヒューマニスト団体、人権擁護活動などの団体による声明も多い。その一方で当然というか、共和党的な保守主義者やガチガチのキリスト教原理主義者、対アラブ強硬派のシオニストなどからの評判はきわめて悪く、タカ派的報道姿勢で知られる「FOXニュース」(ここに収録した地方ニュースとは別のケーブルTV番組)では、ヴォネガットの死に際してまで、かなりの悪意に満ちた冷笑的コメントが流された。アメリカにおけるリベラル対コンサバティブという非常に単純な対立図式に限定した場合、ヴォネガットの表象的位置付けは明確であり、マイケル・ムーアがアメリカの弱者切捨ての医療制度を皮肉った最新作『シッコ』のエンドロールに、「すべてにおいてありがとう、カート・ヴォネガット」というメッセージを記したあたりが、その辺の雰囲気をよく表していると言えるかもしれない。

ヴォネガットの作品自体を文学的に再検証するような追悼文があまり見られなかったことが、私としては不服だった。本当にヴォネガットは「マンガ本の哲学者」に過ぎず、文学としては見るべきもののない、稚拙な思想家もどきの道化的存在だというのだろうか。そこで、ヴォネガットの「人となり」――ドレスデンの捕虜体験や母親の自殺という個人的経験――からではなく、彼の作品そのものの構造によってヴォネガット作品の文学的な意義を説き明かそうとした野心作を、ここに収録する予定だった。タイトルは『Original Sin and Original Virtue: Reading Kurt Vonneguts Dystopian Novel』という。この論文の作者によれば、ヴォネガットの作品に繰り返し現れる反ユートピア的イメージは、現代文明への批判を為す上で、主題の設定と修辞的な戦略に一貫した特徴を持っているという。科学技術の過大評価への批判的態度と、ダーウィンの自然淘汰説を社会に適用することへの異議が主題であり、そしてそのように歴史を進歩の連続として見ることへの反論として、非線形的時間モデルを提起することが、ヴォネガットの修辞的な戦略であるそうだ。
書いたのは34歳にして大学生だったカウンターカルチャー(オタク?)の敗残兵、つまり私だ。多くの参考文献からの正確な引用もあって、それなりに説得力もあるのだが、改めて読み直して見ると、どうもこの論文の作者にはあまり文学的な教養がないらしい。しかも、母国語ではない言葉で書いているためか、時々小学生の読書感想文のような幼稚な論理展開が露呈されている。「というわけで、ほらね、つまり、ええと、ヴォネガットは、技術的発展がもたらす人間疎外を告発したのでした」みたいな。自分のヴォネガット論を読んでいるうちに、うーん、こういうレベルの読者がむきになればなるほど、だからヴォネガットなんて「マンガ本の哲学者」に過ぎないのさ、その程度の読者だけが喜ぶ作家じゃないか、ということになってしまうのかなあ、と悲しくなってきた。
しかし、それでも私は、とにかくヴォネガットが好きでたまらないらしい。課題を提出したイギリス人の先生に「わーお、ヴォネガット! へえ、そういえば僕も若かりし頃には読んだもんだけどなあ。すごい昔だよ。」と笑われた筆者の野心作から、一部を引用してみよう。ちょっとだけ我慢して、この人の涙の訴えに付き合ってほしい。

アメリカでSF作家として成功を収めたカート・ヴォネガットは、『Dictionary of Literally Biography, 20th Century American Science Fiction Writers』において「反SF」小説家として定義されている。SF研究家のトマス・M・ディスクは、ヴォネガットを反SF作家と定義するに当たって、彼の小説の以下のような特徴を挙げている。「文学性を‘最優越’と見なす価値観と、高い理想、そして枠にはめられることへの拒絶である」(Disch xi)。しかし、この説明になお欠けているのは、優れた小説家としての自負に満ちた彼の試みが、なぜジャンルとしてのSFと矛盾するものであり、なおかつ、なぜ彼が現実には手法としてのSFを選択したのかという疑問に対する説明である。ヴォネガット自身のSFへの姿勢そのものを検証することによって、そのことは明らかにされねばならないだろう。
実際、ヴォネガットはSFの文学的価値を、より正統的なジャンルの小説と同等に見なしているのみならず、このジャンルならではの特別な機能を認識している。ヴォネガットの小説『スローターハウス・ファイブ』の登場人物であるエリオット・ローズウォーターは、作中で「SF」の特徴的な意義をこのように定義している。エリオットは、『カラマーゾフの兄弟』のような古典的作品は「人生について必要なことはすべてそこに書いてある」としてその価値を認めつつも、「でもそれだけじゃもう足りないんだ」(Slaughter. 96)と言う。もしも文学の本質が人間の生と深く関わるものであるのならば、文学が扱うテーマが人間の社会の歴史的な変化に伴って変質を要請されることは避けられない。科学の発展の影響力は、今や古典的小説が経験し得なかったような新しい問題を投げかけている。科学技術は人間の生にどのような変化をもたらすのだろうか。それは人類の未来をより幸せにするものなのだろうか。SFが果たす役割の可能性のひとつは、このような疑問に対して「こと足りる」答えを見いだすことであろう。ヴォネガットは現代における小説のそのような使命を自覚していた。したがって、彼はSFというジャンルをあえて自ら選んだのである。
 カート・ヴォネガットにとって、科学技術は人間の未来に対する万能の解決策ではない。それはおそらく、ゲーンズバーグが1926年にSFについて定義した下記のような無邪気な概念とは相容れないものである。「科学的事実と予言的ビジョンの魅力的な融合であり、[……]今日のSFで描かれる新しい冒険は、未来には実現不可能ではなくなるだろう」(qtd. in Clute 311)。このようなSFの枠組みからの逸脱という意味において、ヴォネガットは真に「反ジャンル」的な小説家であると言えるだろう。彼の小説に見いだされる科学の進歩への予言的イメージは、楽観的なものではなく「ディストピア=反ユートピア」である。ヴォネガットの提示するディストピア的イメージを検証することは、人間の行いがもたらす帰結を再考し理解することにつながるであろう。

SFというジャンルに、実は私はことさらの興味を持っていない。まして、日本のオタクたちが大好きな『ガンダム』だの『エヴァンゲリオン』といったSFアニメの、戦争ごっこの自己陶酔的なヒロイズムにはいい加減うんざりする。第二次世界大戦で、ドレスデンで捕虜となって自分の頭の上に連合国から爆弾を落とされたドイツ系アメリカ人が描くSFが、戦争の英雄的側面への賞賛を可能にするわけがない。「戦争中のわたしたちは、子供時代の終わりにさしかかったばかりの愚かな青二才だった」と、『スローターハウス・ファイブ』の序文に記したときのヴォネガットは、既に若者ではなく、40代の半ばに差し掛かっていた。ベトナム戦争の時代、それに異を唱える若者たちの愛読書となったヴォネガットの作品は、9.11以降も、イラク戦争に異を唱える若者たちに再発見された愛読書となって、その「カウンターカルチャー=対抗文化」における文学的機能をそれなりに果たし続けている。
それに比して、日本の「サブカルチャー=副次的文化」の文脈でいっときもてはやされたヴォネガットが、一貫した語りの構造を破壊する断章的形式の目新しさや、表面的なニヒリズムばかり注目され、歴史的・政治的な文脈における意義を考慮されることなく消費されたことが、私はとても不満である。若者の青臭い理想に力を与える80歳の作家を持てなかった国に生きながら、正統的な大人の文化と断絶した世界に引きこもってしまった日本の「サブカルチャー」の未熟が、悔しくて仕方ない。『宇宙戦艦ヤマト』ではなく、『スローターハウス・ファイブ』を読んでいたら、『猫のゆりかご』を読んでいたら、それでも世界の終末に備えてサリンを地下鉄に撒いたりできただろうか。あの世代が、私の世代なのだ。

『カラマーゾフの兄弟』だけでは足りない、という現代の諸問題に対して、ヴォネガットの小説は、有効な解決策になる便利な処方箋を提示するわけではない。しかしその代わりに、ヴォネガットは無教養なティーンエイジャーでも理解できるような平易な祈りの言葉を贈る。例えば、赤ん坊の洗礼を無理やり頼まれたローズウォーター氏が考えた、生まれてくる子どもたちへの挨拶。

「こんにちは、赤ちゃん。この星は夏は暑くて、冬は寒い。この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。なあ、赤ちゃん、きみたちがこの星で暮らせるのは、長く見積もっても、せいぜい百年くらいさ。ただ、ぼくの知っている規則が一つだけあるんだ。いいかい――なんてったって、親切でなきゃいけないよ。」(浅倉久志訳『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』)

あるいは、セクシー女優ワイルド・モンタナハックが裸の胸にぶらさげている、アル中で死んだ母親の写真を入れたロケットの表面に刻まれた、アルコール依存症患者自助更生会のお祈りの言葉。

「神よ願わくばわたしに変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ。」(伊藤典夫訳『スローターハウス・ファイブ』)

もしくは、こんなひどい世の中に赤ん坊を送り出すのは間違いではないか、と手紙で尋ねてきた妊娠中の女性に、ヴォネガットが答えたという返事。

「わたしはこう答えた。聖者に、つまり、非利己的で、しかも有能な行動をしている人びとにでくわすたびに、わたしは生きがいに近いものを感じる。聖者はきわめて意外な場所に現われる。だから、親愛なる読者よ、ひょっとするとあなたも、やがて彼女の赤ん坊が出くわす聖者であるかもしれず、いつかはそんな聖者になれるかもしれないのだ。わたしはオリジナル・シン(原罪)の存在を信じる。わたしはまたオリジナル・ヴァーチュー(原徳)の存在をも信じる。自分のまわりを見まわそう!」(浅倉久志訳『タイムクエイク』)

名言集というのはアメリカ人の大好きなものの一つのようで、アメリカには「今日の名言(Todays Quote)」などの表題で、色んな有名人の言葉を抜書きしたウェブサイトが大量にある。ヴォネガットの印象的なフレーズは、そういう抜粋集にもよく好まれて掲載されているが、もちろんこういった言葉は、小説全体の文脈の中で読むと、人生を簡潔に要約していると称する類いの、口当たりがいいだけの格言として存在しているわけではない。しかし、おそらくヴォネガットの著作を読んだことがないはずの消防士たちが、本編の冒頭に挙げたローカルニュースにあるアルプローズ消防団に贈られた言葉を、自分たちの士気を高めるキャッチフレーズに使っていたりするのを見ると、ヴォネガットの単純な言葉が心に届く射程が相当な広範にわたっていることがわかる。おそらく読んだことがないはず、というのは、作者の名前の綴りがひどく間違った(Curt Vonnegutとか)ままで、彼の言葉があちこちの地方消防団のサイトに転記されているのを見たからだ。こういうところも、彼が「マンガ本の哲学者」と言われてしまうところなのかもしれない。
ヴォネガットの登場人物には深みがないとか、中産階級的な理想主義を超え出るものでないとか、やはり「文学界の世界プロレス協会」出身の作家に対して、正統的なアカデミズムからの反応は冷たいものもある。しかし、宗教家でも思想家でも、学者でも社会運動家でもなく、一人の小説家である彼の言葉は、面白おかしい物語のかたちで贈られる、現代の世の中への祈りの言葉だ。人間がもう少し助け合って、他人の都合や未来のことを考えながら、親切を惜しまずに生きていければ、という祈り。現実がそうでないことを知っているからこそ、ヴォネガットの言葉はアジテーションや理性的分析や教条主義的主張ではなく、それぞれの事情で様々な生を送るすべての人に向けて、真剣に祈る言葉だったのだと思う。「わたしたちはぶらつくために、この地上に生まれてきたのだ。他のことを言う人がいても、言うことを聞いてはいけませんよ」という言葉で締めくくられる彼のエッセイ(『A Man without Country』に所収。別ヴァージョンの同じエピソードが『タイムクウェイク』にもある)は、近所の雑貨屋へ封筒を買いに行ったり郵便局の列に並んだりしながら、そこにたむろする様々な人たちを見つめて、他愛もないおしゃべりを楽しむ老作家の一日を生き生きと描いている。インド人の店主夫人の額のルビーや、郵便局の窓口にいるおしゃれな女性の毎日変わる髪形に驚嘆し、「すごくいい時間が過ごせた」と家に帰る。
彼を追悼するゆかりのある人たちが思い出すのも、何だか他愛もないエピソードばかりだ。おかしな電話をかけたり、階段に腰掛けて通行人を眺めたり、ズボンに焼け焦げを作っていたヴォネガット。子どものおもちゃに鍋釜を用意したり、ココアの袋をひっくり返したり。パーティーの席でうたた寝をしてグラスを蹴っ飛ばして、両足をジュースに浸してしまった7歳の女の子に、「おねむのあんよはジンジャーエールが飲みたくなるのさ。君くらいの年頃の男の子が前にそう教えてくれたよ」などと慰めるヴォネガットの言葉を、大きくなって友達のブログに書いていた女子高生――ジミー・ブレズリンの孫娘――もいた。「人生の意味は、生きるに値すべき、笑うべき瞬間にこそある。それは、不味いチキンサンドイッチであり、そこに意味があるのだ」とローリーン・ヴォネガットは書いているが、何よりもカート・ヴォネガット自身が、ガーディアン誌のアンケートの「いちばん幸福だったのは、どんな時、どんな場所でしたか?」という問いに対して、かつてこんなことを書いている。

「十年ほど前、わたしの本を出しているフィンランドの出版社の社長が、あの国の永久凍土のすぐそばにある小さい宿へ案内してくれた。わたしたちはあたりを散歩して、藪で熟したまま凍っているコケモモを見つけた。口のなかでそれを溶かしてみた。まるで天のだれかさんが、わたしたちにこの世界を気に入ってもらおうとしているような感じだった」(浅倉久志訳『死よりも悪い運命』)。

偉大な人の人生には一貫した主題があり、その追求の道こそがその人の思想であったと、歴史上の哲学者たちは振り返られることになるのだろうが、誰にでもあるはずの「凍ったクランベリーを食べて幸せを感じた瞬間」は、その思想にきちんと足跡を残しているのだろうか。私はそんなことがとても気になる。そんなの哲学には関係ないというのならば、やはり私は哲学者よりもカート・ヴォネガットの方が好きだし、いつか自分が死んだ後に残るものも、そのような思い出であればいいなあ、と願う。
だって生きていくってそういうことじゃないか、文学が向き合うのもそういう存在である人間の生なんだから、と、どこかで今も私は思っているから。

2013年3月27日水曜日

こどものくに


杉山公園の近くの本屋で、『よつばと』の12巻を買った。最近では『聖おにいさん』も『もやしもん』も、『万祝』すら中途挫折してしまったのに、めずらしく読み続けているマンガ。もともとそんなにマンガには執着がないんだけど、よつばちゃんが可愛くて仕方ない。女子高生や女子小学生といった、穿ちようによっては違う需要があるような登場人物たちを見ても、ただただ可愛らしいなあとへらへらしている。

在宅で翻訳などやっている独り者の「とうちゃん」が育てている身の上不詳のもらい子と、隣家の女の子3姉妹や、街の大人たちが織り成す他愛もないのどかな毎日。自分がどういう視点でこのマンガを面白がっているのかよく分からなかったんだけど、多分とうちゃんと彼の幼馴染(?)たちとの子ども時代を引きずったままの付き合いが心地よいし、よつばちゃんとさまざまな年頃のお姉ちゃんたちの関係も「あー、わかるなあ」って感じだし、近所の大人たちと子どもたちの距離感の「適当さ」も、何となく気持ちいい。それぞれに、自分なりの感情移入ができてしまう不思議。子どもの世界の記憶と、今や独り者の大人になった自分が、友人の子どもに遊んでもらうときのリアリティと、両方の視線を行き来しているような。

世界に「親」と「先生」しか大人がいないと、子どもと大人の付き合いって、すごく硬直化してしまう。このマンガに出てくる大人は、誰もそういう型どおりの指導的役割を担う気がないようだから、心地いいんだよね。そういえば子どもの頃には、父の友人たちとか、子どものいない未婚の叔父や、親戚や近所の大きいお姉ちゃんとかは、口うるさい大人を演じる気構えもなくて、可笑しな遊びを考案したり、酔っ払って間抜けなことをしてくれたり、本当に無責任に遊んでくれた。親なら叱るようなことでも、面白がって見逃してくれたり。そんな夢のような時間が流れていた幸福を思い出す。

オタクの願望を描いたマンガだとかっていう評論もあるみたいだけど、そういう頑なな趣味のない自分から見ても、そうだよな、性差と年齢に伴う役割なんか無化したユートピアで遊んでいたいって欲望は、ありなんじゃないのかな、って思ったりする。がんじがらめに定められた家族や大人としての女性や男性っていう既存の役割なんて、どうせならナシにしたいよなあって、オタクじゃなくても、きっと誰でも夢見るよね。だってそれだけじゃ、息が詰まるんだもの。社会人、保護者、妻、受験生、児童、後期高齢者、嫁入り前の娘、非正規雇用者、ニート、エグゼクティブ、われわれ庶民、富裕層……それだけじゃ。
何にせよ、そんな属性だけでは、いつものびのび明るく生きていけない。

監視する大人も、管理する上司も、値踏みして品定めする異性もいない世界で、ずっと遊んでいたい。風花ちゃんとしまうーのおしゃべりも、女の自分は「萌え~」とかじゃなく単純に、「そうそう、意外と高校生の頃って、男の子なんか関係なく、こんな感じで女の子どうしで馬鹿な話してたよなー」って、昔を思い出してしまうー……のデス。であった。

2012年1月12日木曜日

不可知論者ジェイコブズと義人ヤコブ


「君たちは啓蒙主義を軽視して勉強してないから……ちゃんとやったほうがいいですよ」と、なぜか現代神学の授業で牧師兼業の教授に言われたことがあって、その真意はわからずとも、なんだか印象に残っている。現役の大学生のころは全部すっとばしてポストモダンだけやってればいいと思ってたんだけど、大人になるにつれ、近代どころか確かに、近代に至るまでの歴史すらまるっきり無知であることが露呈していくことになります。

年が明けても依然として気が滅入る毎日から逃避したくなって、連休に阿佐ヶ谷の書源に行った。贅沢のできない失業中の貧乏人にとって、新刊書店に行くのは久しぶりかも。ランダムに並ぶ書棚の間をぼーっとさまよい、思いつきでなにか仕入れようという娯楽です。

手に取った順で、A.J. ジェイコブズ(阪田由美子訳)『聖書男』(阪急コミュニケーションズ、2011年)、ドナルド・ホール編(東雄一郎ほか訳)『オックスフォード版 アメリカ子供詩集』(国文社、2008年)、松田権六『うるしの話』(岩波文庫、2001年)を、本当に来月払うアテはあるのか? のクレジットカードで購入。逃げたい心が透けるようにわかる脈絡のなさ、だな。

やらなきゃいけないことを全部サボってする読書は楽しい。さっき、『聖書男』を読了した。ブリタニカ百科事典の全項目を読破する……というアメリカ的な馬鹿系チャレンジで名を上げたライターによる、似たような趣旨の次作です。信仰に熱心ではないジューイッシュの家系に育った不可知論者でエスクァイア編集者のニューヨーカーが、新旧訳聖書に書かれた祭儀規定を字義通りに守ろうとするとどうなるか、という一年間の実験を綴った面白おかしいエッセイ。日本語タイトルはどうかと思うけど、原題は『The Year of Living Biblically: One man’s Humble Quest to follow the Bible as Literally as Possible』とのこと。
リベラルな東部人が、政治的な頑なさをもつファンダメンタリストにとってのアメリカという異文化と対峙する違和感の記録でもあって、ジェイコブズたる著者が、祭儀規定に厳密な「別の人格」のヤコブとして生きてみることの苦行が描かれる。懐疑的な不可知論者といいつつも、なんだかんだでジューイッシュの伝統は体感している人だから、後半の新約部分になると、正統派を自認する宗派に対する葛藤のリアリティが希薄になってしまったのは残念な感じだけど、私も新約の知識があまりないし、放っておくとどうしてもユニテリアン的な気持ち(イエスが人間に見えちゃう……)に傾きがちだから、それなりの距離で最後まで着いていけた。

で、またしても、かなりラフな感想になる。
サイエンスとフィクションの関係をぐるぐる考えているけれども、自然科学の対極に置かれるのはおそらく、宗教なんだろうね。20世紀の日本におぎゃあと生まれて、宗教というのは無知蒙昧の極限であって、科学的な合理性の対極にある気味の悪い思い込みであるかのように、たぶんだれかに教えられて育った。しかし、「自立した個人」が世の中の自明の前提であるとか、そしてその集合体が「社会」であるかのように歴史を見るのが間違いであるとかは、小説の代わりに民話とかおとぎ話を読んでみるだけでも、なんとなく気がつく。
私たちが明治以降に輸入した「近代」とか「社会」というモノの言い方には、西欧がそういう概念を形成するまでにたどったドロドロの道筋がすっぽり抜け落ちていて、たぶんそのドロドロは、森羅万象を説明する唯一の原理であったキリスト教の世界像/権力/共同体規制からの「世俗化」という戦いの歴史であったことを、なぜか日本の「近代」や、さらに戦後の「民主主義」ですら、都合よく無視しちゃってるわけだよね。
それはきわめて意図的な無視であり、戦後ですら上手に守られた(隠された?)作戦だ。きっと、もともとは西欧文化と接した日本の知識人の変な焦りと自負心から生まれたもので(新井の哲学堂とかに行くと、井上園了の作りたかったテーマパークには、そんな不思議な必死さがあって驚く)、だからこそ国家神道みたいなものが形成されたことにもつながるんだろうけど。
それで、たまたまクリスチャン山盛りの大学に行ってから聖書学とか神学をかじってみたら、そのへんのミッシングピースが腑に落ちたことがひとつと、どんな宗教を基盤にするものであれ(特定の既成宗教である必要すらないのだが)、個人という単位が確立される以前の世界の物語がないと、やっぱり文学なんて痩せ細ってしまうのではないかなあ、という感触を手に入れた。

系統立てて学問をしている人には、こんなムニャムニャはもっとすっきり解決されているんだろうけどね、不条理な祭儀規定にのっとってヒゲを伸ばしてみたよ、と記念写真を撮るジェイコブズ/ヤコブみたいに、余計な回り道をすることが、たぶん私にも必要なんだ。ジェイコブズがヤコブに感じた違和感を確かめるような行為が、西欧の学問の上っ面をチョロっと撫でただけの自分にも、体感される必要があるんじゃないか。

頭でっかちで、知識もなく世の中にも疎く、運動不足で、直感的な想像力にも欠ける私が、あの日から街に出て歩く。言葉の生まれる場所を確かめたいと願った以上、こりゃあ回り道の苦行であると自分のなかで分裂しながらも。

もう、このへんの話は当分ぐだぐだになりそうだから、連続themeのはずが、乱暴にタグにしちゃいましたよ、というわけで、この項まだまだ続く。。

2011年12月20日火曜日

鷲になった夢をみたお母さん

「ああ、それならば、読んでいただくといいなあ、と思った本があります。鷲の話なんです」と言ったとき、何のことやら……とお思いでしたでしょうね。書棚から出して読み返してみると、難しい余韻のある、しみじみとした話でした。きりきりと身を切るような勇ましさだけが記憶に残っていましたが、そんなに単純な話ではありませんでした。
子ども向けに書かれたこの話を、私は大人になってから読みました。もし幼いころに読んでいたら、いったいどんなふうに考えたでしょう。それはうまく想像できませんが、子どもだった自分に、尋ねてみたいような気がします。

猛禽というのは、どうしてでしょう。
人間の私は、詩人でなくても、あれが勇敢で気高い生き物のように見えて、悠々と空を舞う姿に、見とれてしまいます。
とはいえ、実際に猛禽の飛行を目にする機会はなかなかなくて、私も高尾山や奥多摩で、かろうじて何度か遭遇しただけです。高いところを飛ぶ猛禽の同定は、素人の私には無理でしたが、なにか、あまり大きくはない鳥でした。いつか巨大な猛禽の飛ぶ姿を、どこかで見てみたいと思っています。
どこか呑気な鳶も、ああ見えて立派な猛禽の仲間です。金沢八景で潮干狩りの合間にビールを飲んでいた友だちは、肴にしていた串カツを手から直にさらわれて、本気で肝をつぶしていたっけ。風に乗って舞い上がる姿を見上げているぶんには、たとえ鳶だって、やはり晴れ晴れとした気持ちになる。

となりの国で勝利の祝宴がもよおされた晩、革命にやぶれた山の国はしずかでした。夫や子どもをうしなった女の心は、その晩どんなにかさびしかったでしょう。みんな、きょうは「鷲の心」という山の国の英雄が死刑にされる晩だといいながら、兄弟の生まれた家にあつまりました。女たちは、小さい子どもたちをつれていきました。その女たちの心のさびしさは、だれにわかるでしょう。しかし、そのさびしさにもかかわらず、女たちは小さい子どもたちを無限の空にさしあげて、この山の国をすくうため、こののこった子どもたちにも「鷲の心」をあたえてくださいと祈りました。
ワシリー・エロシェンコ(高杉一郎・編訳)「鷲の心」『エロシェンコ童話集』(偕成社文庫、1993年)

鷲になって、自分が救えなかった人たちが死んでしまった谷の上をぐるぐると飛んでいるという不思議な夢をみた、あるお母さんの話を聞いて、昔読んだこの話を思い出しました。
明日お会いするときに、忘れないように本を持っていきますね。

2011年11月9日水曜日

勇敢な女の子とオレンジぐま

「プラハの春」について古い本を引っ張り出していたら、こんな記述が出てきました。とても印象的で、気に入っているエピソードです。
ソヴィエト軍の占領から1年後、821日の「屈辱の日」を間近に控えて、かつて人びとが集まって討議を交わしたヴァツラフ広場では、小さな若者のデモ隊が警察と衝突し、二十代の若者が二人、威嚇射撃の流れ弾で死にました。警察と軍隊は、市民が集まらないよう、広場で睨みを利かせています。

それでも、市民たちは、こっそり、深夜か早朝、三色か、黒のリボンで飾った、菊やバラやグラジオラスなどの季節の花々を、騎馬像の台石に捧げにくるのです。わたしは、毎日の午後、捧げられた花束をきれいに並べて壜にさし、水をやっている、勇敢なお婆さんとあいさつを交わすようになりました。聖人像に捧げられる花束の数は、市民の抵抗の気迫と姿勢の度合いをあらわす「気圧計」です、とわたしに耳うちした市民もいました。
ボヘミアの守護聖人ヴァツラフ公の騎馬像は、ソ連がこの広場を占領したその日から、ひとつの深刻な象徴だったのです。
藤村信『プラハの春、モスクワの冬』(岩波書店、1975年)

これから年をとっても、「勇敢なおばあさん」になれるだろうか。
そんなふうに思う私は、絵本や物語に颯爽と登場する「勇敢なおんなのこ」が大好きな子どもでした。
例えば、『ももいろのきりん』のるるこちゃん。クレヨンの木を独り占めするオレンジぐまをやっつけに、きりんのキリカとクレヨン山に向かいます。「なんていさましい女の子だろう。ぼくもおうえんしよう。」と、力の強いオレンジぐまの意地悪に困りながらも、それまで縮こまっていた動物たちは、勇気を出して加勢について行きます。
で、オレンジぐまに向かって、みんなでこんな歌を歌う。

オレンジぐまは わるいやつ
オレンジぐまは よくばりで
おまけに たいした いじわるだ
オレンジぐまに ようはない
中川梨枝子;中川宗弥『ももいろのきりん』(福音館書店、1965年)

絵本の中では、強欲で意地悪なオレンジぐまは「悪い奴」、とても単純です。
大人になると、何が悪で何が善なのか、世の中そんなに単純じゃない、と、みんなが言う。
確かに、そりゃそうだ。
でも、「勇敢なおんなのこ」になりたかった単純な私は、そんな子どもだった自分のことを、忘れられないんだと思います。
というか、「忘れたら、負け」みたいな、強迫観念なのかもしれません。

キリカがオレンジぐまをやっつけたあと、るるこちゃんはこう言います。
「ああ、あたし、ほんとうはあのオレンジぐまがとてもこわかったの。」
それもまた、勇敢なおんなのこの、正直な気持ち。

こわいけど、がんばりましょう。