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2014年5月7日水曜日

風化の速度

前回の『東京古社名刹の旅』のメモは、あまりにも大雑把。たぶん後になって読んだら、書いた本人すら何のことかわからなくなっているだろう。それでは「過去が忘れられていく」スピードの速さにびっくりしたよ、という感想があまりにも間抜けな皮肉になってしまう。ということで、自分用の備忘録たる本来の目的を果たすべく、多少の補遺を加えておきます。

寺社というのは、そもそもの「縁起」がそうであるように、その土地にまつわる出来事を背負う場所なのだ。神話に見られるような、時の権力(世俗的な/宗教的な)の正統性を説明する機能があるだけではなく、とくに、東国という辺境の比較的新しい歴史が委ねられる「東京」の寺社であるせいか、その地域に暮らす人々が強く感情を動かされた出来事の記憶が伝えられている印象。
寺社縁起の構造分析といった技術すら持ち合わせていないんだけれど、この本に挙げられた古社名刹の見どころを、寺社にゆかりの文物や物語が喚起しようとする感情の色合いによって、素人なりに大別してみた。

a「美しいもの、珍しいもの」=建築、工芸、名木、庭園
西光寺(瑞江)の立木観音、寄木神社(品川)の長八漆喰扉絵、善福寺(元麻布)の逆さ銀杏など

b「恐ろしい出来事」=災害、事故の記憶
善養寺(小岩)の浅間山噴火供養塔、本妙寺(巣鴨)の振袖火事供養塔、海福寺(目黒)の永代橋落橋事件供養碑など

c「びっくりした出来事」=スキャンダル、事件の記憶
宝蔵院(小岩)の幕府叛徒討伐の縁呼石、西福寺(王子)のお馬塚、祐天寺(目黒)の塁塚など

d「ありがたい出来事」=霊験、偉業を記念する
三囲神社(向島)の室井其角の雨乞い、安養寺(雑色)の子育薬師、成願寺(中野坂上)の長者伝説など

e「なつかしい出来事」=先祖や遠い故郷の記憶
慶元寺(喜多見)の江戸氏菩提、大国魂神社(府中)の出雲系国造祭祀、信松院(八王子)の武田氏松姫と落人など

……と、分類してみたものの、a~eは必ずしも並列的な関係ではない。寺社に残っている「もの」(a)は、その謂れを語る「物語」(b~e)と不可分である場合がほとんどで、後世の目から見た美術的な価値に還元される純粋な鑑賞物と同義ではない。また、あらゆる物語は、身近で下世話な時事の話題(b、c)であっても時を経るにつれ、寺社のありがたみを高める言い伝えの数々(d、e)へと回収されていく。
つまりは、そこにありありと現存する「もの」が、雑多な歴史の断片を連ねた「物語」の証として刻む場所である、というのが、寺社がその固有の土地において果たす機能である、と一概に(大雑把にいえば)いうことができるのではないか。

しかし、東京という人の流動の激しい土地にあって、寺社のこのような機能は、もはや風化しつつあることも確かだ。石碑に刻んでも、立派なお堂を建てても、昔の物語は忘れられてしまう。この本で知った江戸の諸々の世間話は、地史に疎い自分にはほとんどが初見だった。それを忘れずにいようなどと都合のいい主張をする気はないけど、その土地のおぼろげな来歴すら感じることなく表面に建てられた街だけを間借りするのは、それはそれでつまらないことだ。

最近逝去したガブリエル・ガルシア=マルケスの小説を、南米ならではのマジック・リアリズムだなんて、遠い海の向こうの話に限定することは怠惰なことで、きっとどんな新興住宅地にだって、人の暮らすところにはその土地の地霊のようなものが跳梁跋扈しているんだから、その声を聞こうとすることはけっして無駄ではないはず。
なんて、そんなことをつい考えてしまう自分は、年取ったのかな。
うーん。

連休中のサイクリングで通った、福生の造り酒屋。
玉川上水から水を引き、周囲の農地にも分水していた。




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