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2013年11月6日水曜日

地学の先生に訊きたかったこと

先生ご無沙汰しております。
喪中のお知らせをいただき、ご結婚され、生まれたお子さんも大きくなられて……というご家族の移ろいに感慨を覚えながら、ふと、昔の年賀状でのやり取りを思い出しました。
「先生に教えてほしい疑問があります」と記したら、「いつでもどうぞ」とお返事をいただきました。しかし、あまりにくだらない質問なので、堆積学の現役研究者としてご活躍されている先生にお尋ねするのも躊躇してしまい、今に至っております。

江戸時代の遺構の下には、弥生時代の遺跡があって、その下には海だった頃の魚の化石が埋もれている。地層の成り立ちというものはそういうふうに、下になるほど古いのですよね。断層とか褶曲とかで逆転することがあっても、基本的には、古い地層の上に、新しい地層が積もっていく。

そういう話を授業で先生に教わりながら、地学選択クラスでも成績最低な生徒だった自分の頭の中には、奇妙な光景が生まれていました。いつか私の歩いている地面も、新しい地層の下に埋もれていくのだろうか。化石になったトランジスタラジオの上に、スマートフォンの化石。フラッフィーパンケーキの化石の下に埋もれるティラミスの化石の下に埋もれる仮面ライダースナックの化石。

私もいつか化石になって、地中深く埋もれる。いま生きている時代の地表の上に降り積もる土、堆積する土、その上にやがて草が根を張り、木の幹がそびえる。

なぜなんだろうと、不思議に思います。
そんなふうに堆積が続いていくのなら、まるで鈴を入れた小さな箱を芯にしてぐるぐると糸を巻きつけ仕舞いには大きな手毬を作るように、雪玉を転がして雪だるまを作るように、地球はどんどん膨らんでいってしまうのではないかと、そんな想像をしたのです。
そういうことに、なるんでしょうか。

チャールズ・ダーウィンの『ミミズと土』には、ミミズの食餌行動が土の粒を細かくして、地上にある石ころなどが次第に土中に沈みこんでいくという観察があるそうです。遠大な地質形成の年代ではなく、短いタイムスケールに限定すれば、そんなことも理由になるのでしょうか。気になって入手したものの、どこか本の山に埋もれてしまって、まだきちんと読んでいないけれど。

堆積、風化、造山活動、地学のイロハもわからないまま、卒業してしまって情けない。
先生のせいではなく、怠惰な私のせいです。
理系の兄は、幼いころからずっと、私のことをバカだと言います。たぶんそれは、当たっています。

いつかまた、お勤めの博物館に遊びに行けたらいいなあ、と思います。

アンモナイトではなくでんでん虫(小金井公園)

2012年7月12日木曜日

嘘をつきました


ご卒業、おめでとう。
この教室でみなさんの顔を一人ひとり眺めるのも、こうしてみなさんの前でお話することも、今日が最後ですから、言わなければいけないことがあります。
先生は、みなさんに、嘘をつきました。

君たちの前途は明るい。希望に満ちた未来が待っている。
この学び舎で過ごした日々を糧にして、ここで築いた絆をいつまでも大切にして、立派な大人になってほしい。
そう言いましたが、嘘をつきました。

日々はいつも、涼しい木陰を与える大樹に守られた、緑の野原ではない。
青空を遮る墨色の雲は、きっと明日にも頭上を覆うだろう。
曇りない光を宿す君の目であれ、いつか、その日その日の雑事に追われ、ただ泥のような眠りだけをやるせなく求める夜が来る。
こんなはずではなかった、こんなはずではなかった、と。

ただ、私は思います。
おそらく、君の一途で生真面目な歩みが、そのような障壁に躓くときにも、「ああ、生きていくこととは、所詮そんなものだ」とか、「大人になるというのは、こういう現実と折り合うものなのだ」などと、したり顔で諦めたりしてほしくはない、と。
たかが、大人がだれでも当たり前に背負う重荷など、君の青臭い理想を、ひとかけらも損なうものではない。君の若い身体を貫く白くてまっすぐな骨を、灰色に捻じ曲げるほどの重みはないのだ。

だから、先生は、嘘をつきました。
老いて腰をかがめた私は、君たちのしゃんと伸ばした背骨を、斜に構えて拗ねた横顔を、天を仰ぐ口元から覗く八重歯を、誇らしく見上げています。

君たちが、先生のついた嘘を憎むことを、嘘をついた先生の卑小さを唾棄しながら、高らかに笑うことを、本当に心から、願っています。
ご卒業、おめでとう。
希望に満ちた未来に向けて、歩いて行きましょう。

(……そもそも、一人称が「先生」である人など、信用してはいけませんが。)

2012年4月27日金曜日

あなたが世界と呼ぶもの


怒鳴ったりして、ごめんなさい。
ずいぶん変な癇癪を起こしたものだと、後になってしょげている。
生身の人にではなく、直接に触れられない存在に向けた書き言葉が、こっそりと言い訳をするにはふさわしいような気がしている。

悩む人を目の前にして、他人ができることってなんだろう、といつも思う。たいていの場合、なにもないのだ。自分の苦しんでいることが、だれかに理解されるのであれば、人はそんなに悩んだりしない。
悩みというのは、その人が固有の存在として現に生きている在り様にかかわることだから、他人の経験則から出てくる助言なんて、結局はあんまり役に立たない。ひとり悩む人には、批判も助言も同情も共感も傍観も分析も慰撫も、ただ傷の痛みに塗り付けられる塩でしかない。「世界中のだれにも、私の悩みはわからない」、その孤独に、悩む人は涙を流す。
なにもできることがない他人は、せめて悩む人の空腹を満たそうと、カレーライスなんか作ってみる。悩む人は黙ってカレーライスを食べ終えると、壁に顔を向けて胎児の姿勢で眠った。時おり悪夢にうなされながら。

十七歳のときに、ひどく単純な事実にようやく気づいて、しばらくひとつの言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。「あなたは、私ではない」。そのとき、それは絶望のように思われたが、やたらと年齢を重ねたいまとなっては、その言葉はむしろ希望のように響く。
経験を代替することの不可能な、理解することの不可能な、そういう存在として、すべての人が生きていること。
自分の経験という限定がそれぞれに異なるからこそ、それを超え出る「われわれ」という連帯をあえて求めなくとも、自分とはまったく異なる他人の「ものの見方」に、ただ単純に救われることがある。私が私であることは、世界のほんの一部分を知っているだけのことにすぎないのだから。
いまは、そんなふうに思う。

あなたが世界と呼ぶもの、それが世界のすべてではない。
言葉は、個人的な経験どうしの間をつなぐために、本来は固有の事象を、とりあえず共有できる概念へと一般化するものだ。だけど、ひとつひとつの言葉にはいろいろな出自があって、言葉を使うひとの都合によって、いろいろな意味が背負わされている。気をつけないと、言葉は、だれかの都合を狡猾にあなたに押し付けて、世界をあなたが生きられない世界に変えてしまう。
あなたが世界と呼ぶものを、あなたの生きられる世界にするために、もういちど、ひとつひとつの言葉を、確かめてみなければならない。「世界」とか、「仕事」とか、「成長」とか、そういう言葉のひとつひとつが、自分固有の在り方と外界とのかかわりに、どのような意味を結んでいるのか。自分の思考をがんじがらめにする「お節介なだれかの物言い」に、知らずに閉じ込められてはいないか。

私が世界と呼ぶもの、それが世界のすべてではない。
私とあなたの間には、ただ言葉だけがある。そして、言葉は私のものでも、あなたのものでもない。だれの占有物でもないが、一回的な生の固有性が衝突する現場で、どうにかして、共有の方法を作り上げていくものなのだろう。

そんな話をしたかったが、うまくいかなかった。

怒鳴ったりして、ごめん。
あなたに届く言葉が見つけられずに、仕方なく無駄な祈りの言葉を、虚空に撒き散らすだけ。
どうかあなたの悩みが、終わりますように。
どうか世界が、あなたの生きられる場所になりますように。

2012年4月12日木曜日

ひよどり


ひよどりが頻りに桜の花を散らすのは
遠い昔に私たちの遠縁にあたる人たちが
きっと祝ったに違いない祭のようだ

幾人もの訃報を聞く三月が過ぎて
突然に薄黄緑にもろもろの枝が
芽吹き始めるこの週に

晴れた昼間を得て
上着を一枚脱ぎ
気の早い裸足に革のサンダルを突っかける
赤い自転車で用もないのに
川べりの道を桜の木の下を

去年の春を何ひとつ思い出せないこと
その傷の正体はわからないが

それでも
ひよどりの騒々しい凱歌が
春がまためぐり来ることの正しさを告げている

泣いている人すべて
泣かせてしまった人すべて
散る花の祝福のなかで
いずこか歩む道の定まりますよう

きわめて虫のよい祈りを唱えながら
後ろ姿に手を振る
不安定に背伸びするサドルの上
羽根や翼を持たない者は
せめて懸命に手を振っている


2012年2月21日火曜日

ブーメラン


だらだらと仕事が終わらず、昼休みを取れたときには午後四時を回っていた。デスクで黙ってPCに向かう人たちの間で昼ごはんを食べるのは嫌だから、コンビニで缶コーヒーとおにぎりを買って、近くの公園に行った。コートを着込めば、かろうじて青空の下では、二月の気温だって、やり過ごせる。

何も感じたくなかった。味わうことをしたくないから、コンビニのおにぎりなんか食べるんだ。どうでもいい缶コーヒーを流し込んで、ただ、煙草を吸う。塗装の剥げたベンチには、私ひとりしかいない。フィルターの際まで灰になれば、足元の地面で火を消して次の煙草。あとで吸殻を拾って捨てればいいでしょう、と、自分に向かって言い訳して、黙々と煙草を灰に変えていく。

「この仕事好きじゃないって、あなたを見てるとわかるの。そういう人に、仕事してほしくないの」。
ああ、そうですか。
そんな場面を思い出しても、その言葉自体がまるで他人事のように、知らない外国の映画で、台詞の意味もわからずに眺めているかのような、そんなような。

それから昨夜のこと。
黙って電話を切ったけど、なんて言えばよかったんだろう。
ええ、確かに私はあの男と寝ましたよ。
でも、それがなにか。
いつも遠くを見てるような、傍にいてもその場にはいないあの人の背中に、泣きじゃくる赤ん坊のようにしがみついたとて、それがなにか。

ベンチの向かい側に、大きな木がある。
なんの木かはわからない。
すっかり葉を落として、ただの裸木になり、ごつごつした幹を空に突き上げている。

そうだ、そういえば昨日も、今日みたいにここに座っていたとき、小さな子どもたちがあの木の根元にいた。砂遊びのシャベルで苦労して穴を掘って、そこになにかを埋めていたんだ。くすくす顔を見合わせて笑って、「秘密だよ」と言っていたっけ。
おそらくは、子どもたちの宝物をそこに埋めたのだろう。ビー玉なのか、きれいなすべすべの石ころだろうか。

ならばそれを掘り起こして、持ち去ってしまったらどうだろう。きらきら光る透明なビー玉ならば、車道のアスファルトに叩きつけて、粉々にして砕いてしまいたい。
秘密は、秘密のままではいられないこと。
宝物はいつか奪われること。
小さな胸を痛めて泣けばいい。
泣いてしまえばいいんだ。

五本目の煙草をもみ消して、木の根元へと私は歩いた。しゃがみ込み、宝物の埋められた場所を素手で掘り返す。長い爪と指の間に、乾いた土がぎっしりと詰め込まれていく。

掻き分けて、引っ掻くようにして、なにも。
なにも宝物は出てこない。
きっと子どもたちはとっくに、掘り起こして大切に持ち帰ったのか。

しゃがんだ両足の間に、土まみれの両手を所在無くぶらさげて、ふと、そのまま顔を上げた。
高い木の幹を見上げると、遠い梢の合間に引っかかっているのは、赤いブーメラン。
おもちゃのプラスチックのブーメランがひとつ。

なげかけたひとのてにもどるはずのもの。
もどらずとどまる、ただ、てのとどかないばしょに。
あきらめてみあげるだけの、そらにちかいばしょに。

爪に挟まった土を落として、ベンチの下の吸殻を集めた。ティッシュに包んで、コートのポケットに入れる。
そろそろ、仕事に戻ろう。
仕事の続きをこなしたら、今日は終電までに帰れるかな。
北風に背中を丸くして、高い木に背を向けて、歩き始める。


(オンデマンドラブポエム受注、なんとなく三回目です。Iさんゴメンナサイ。せっかくの叙情的なお写真から頂戴したお題に、こんなお目汚しを。虚構の物語の酸いも甘いも味わい尽くされておいでとお見受けするIさんなら、まあ、しょうがねえなあ……、とお許しいただけるかな、なんてね。ちょっと今夜は、こんな感じに女子をこじらせていまいました(笑)。力及ばず、申し訳ないっす。。あ、彼が撮影した、木の枝に引っかかった赤いブーメランの写真、こんな腐った言葉を誘発するようなものではなく、とても素敵な現実なんですってば。)

2012年2月3日金曜日

貴く腐る


見えてしまうことは
見たいと思わなくても
見なかったことにすることはできない

ついても平気な嘘は
どうしても嘘をつけないことを
守るための脆弱な武器だから

笑っている顔が
笑っているように見えないとしたら
それは疚しい人が自問すべきだと思う

5センチのヒールで踏み潰す吸殻
悔しくて歩道を蹴っ飛ばすと
また足首を挫いた

貴く腐る葡萄
蔓の先で貴く腐る
生きたまま腐る葡萄みたいに

本当のことは言わない
絶対に言わないって決めた
だれも知らなくていいことだもの

だから今日も
階段を駆け上って電車に乗る
転びそうになったことは内緒だ
約束の時間に着けばそれでいい
私は今日も気分がいい
髪をなびかせて気分がいい

(オンデマンド・ラブポエム製造マシーン第2弾、今度はNさんのリクエストにお応えしてみました。どーでしょう。変態仕事ですみません。。)

2012年1月24日火曜日

偽預言者の弁明(多摩川篇)


鎌で草を刈ったりして
背の高さほどにまで伸びた葦を刈って
ぎざぎざの葉で指に擦り傷を作ったりして

そこに空き箱の廃材で家を建て
家具調度なども整えて
錆びた鉄板で屋根を葺く
屋根から地面を見下ろして汗を拭くとき
少しは誇らしい気持ちにもなったでしょう

そこに澱みから水を引き入れ
なんだか池らしいものでも作りましょうか
いい加減な水草も植えつけて
青鷺がすっくと立てば見栄えもするような
平たい石も置いてみよう

覗き込んでみたら
ばら色の水晶のような小魚が
きらきらと日の光を撥ね返していました

存在しない夏の一日に
まだ知り合う前の私たちが
一緒に笑っていた子どものころ
急ごしらえに捏造した
その記憶を頼りに

ここからならばひとりで歩けると
ぎこちなく手を振ることもできましょう

書きかけて捨てた手紙の残骸に
いつか葦が生い茂り
そうしてまた次の夏がくる

雪の夜に思い出したのは
かつて未来であった存在しない夏のこと
遠くで眠る人の背中に結ぶ
擦り切れた銀色のリボンのような祈りなど

(not soberというタグを作るべきですかね。とりあえず、信じようが信じまいが、もう寝ます)

2012年1月5日木曜日

海を見たいと思った蛙は、跳ぶか這うか干からびるか?

汲んでも汲んでも 水の尽きない井戸
それは おそらく喜ばしいことだが

喉が渇いているのか
単に井戸の底を見てみたいという
罰当たりな望みに駆られているだけなのか

汲んだ水を 飲み干すのに疲れるくらいなら
少しは他のことも 考えてみればいいのに

汲めども尽きぬ 汲めども尽きぬ

きっと井戸の底に
安いピアスの片方でも 落としたような
もしくは
覗き込んだ暗い水面に映る
自分の泣き顔を消してしまいたいがために

だけど もし 井戸の底には川があって
海にまでも続いているとしたら

お皿を割っただけなのに あまりにひどく叱られて
そんな不条理をはかなんで井戸に身を投げた人を
真似るのは悔しいし

だから
赤い塗り椀でひとすくい
欠けた笠間焼のお茶碗でひとすくい
うどんのざるでひとすくい

この井戸端から離れることもかなわずに
迎えた新年ということになります

いただいた賀状への返礼も遅れておりますが
いましばらく ご猶予をいただければ幸いです

2012年 謹賀新年