2020年4月1日水曜日

The Boxer

おなじみの曲だけど、初めて歌詞をしみじみ読む。

生まれた場所にも住む場所にも愛など持てた験しもなく、嫌になったらいつでも逃げ出せばいいや…と思って生きてきた根無し草の自分には、傷ついて耐えるニューヨークに向けて今この歌を歌うポール爺さんの切なさはきっと分からない。

政治家がテレビの前で人気取りの愚策を弄しながら、妙に深刻な顔で押し付けの連帯を強制する陰で、きっとホームレスのおじさんも、高齢のタクシードライバーも、有給取れない居酒屋バイトの子も、風俗で働くお姉ちゃんもひどい目に遭う。

誰とも言葉を交わさずに生きていける街を便利だと思ううちに、引きつった笑顔でコンビニのレジを打つベトナムの若者に掛ける言葉など、探そうと思うこともなく、うつむいて仏頂面でレシートを受け取っていた。それが私の罪だ。

結局は外的な環境要因で生存が左右される生物の一種であること、その脆弱さを助け合うことでかろうじて生き延びてきた生物種であったこと、今さら青ざめて思い至るなら、どういう未来を考えようか。

どうやって、生きたり、死んだりしようか。



2020年3月13日金曜日

鳥のいざなう方へ



ある日馴染みのない町をぶらぶらしていて、感じのいい古本屋を見つけた。そういう時はとりあえず入口に並ぶ廉価本でも何か1冊手にして、店の中を覗いてみるのが癖になっている。友人が一緒だったので中をじっくり見分する時間はなかったが、店頭の棚に初山滋の絵本があったので、買って帰ることにした。自分の世代ではあまりピンとこないが、祖母が好きだった挿絵画家だ。その程度の浅い縁でも、とにかく本屋で何か買いたいという衝動が起きたときには口実になる。きれいにビニールでパックしてあったので中身は見なかった。

帰宅して夕飯後に、そういえば今日は絵本を買ったんだよな……と、かわいらしい淡い色彩で描かれた小鹿の表紙をようやく開いてみた。「キンダーおはなしえほん傑作選」だから、せいぜい幼稚園の年長さん向けかなと、一杯機嫌のまま気楽に読み始めたのだけど。

そのようにして、心の準備も何もない状態で、熱くて冷たい激しい言葉に出会った。知らない詩人だった。まったく油断していた。

詩:吉田一穂/絵:初山滋『ひばりはそらに』
フレーベル館2007年発行(1969年キンダーおはなしえほん6月号初出)

有名な詩人らしい。松岡正剛の千夜千冊などにも記事があった。この人の本業の詩に分け入っていく勇気はいまはない。『ひばりはそらに』の話をしよう。

◆◇◆

かわいらしい希望の物語を予感させる最初の見開き。あっけらかんと伸びやかにスキップする半袖の女の子は、主人公の小鹿に自らを重ねられる小さな読者の姿を物語のはじまりに描いたのだろうか。足取り軽い小鹿と歩を揃えて、虹の掛かる空を見上げている。

むねを はって 、こえ たかく
うたいながら いこう!
そらには、にじが かかっていた。

「ひばりのおちるほうへいこう」と小鹿は歩き始める。「ろばさん あおくさ、さがしに いかないか」と旅に誘うが、「はたらく ろばに かいばが あるよ」と、小鹿の誘いは実にあっさりと拒まれた。歩を進めるにつれて、同じ静かな拒絶ばかりが続く。

町に行くのだと汽車に乗る豚、豚が喜々として向かった町ではハムやソーセージが市場に並び、ニワトリが自らの卵を売っている。ロバはパンを作り、オウムは自分の声を忘れて人まねする。どの動物も小鹿の道連れになることはない。

繰り返しの描写を経るうちに、穏やかに満ち足りたけものたちの背景に、何かが隠蔽されている不安が高まる。虹や「ひばりのなくそら」がいざなう自由へと向かうはずの小鹿は、その旅路でただ「ひとにかわれたとりやけもの」の不自由に出会った。彼らの素朴な平和は、他者の支配する世界に受動的に安住し、自らの不自由に鈍感であることによって保たれているものだった。その危うさに付きまとう不穏な気配は、ページを繰るごとに小鹿と読者の前にひたひたと忍び寄り、ついには「たかのはねのついたや」に射られて落ちる鷹の登場によって、破綻を決定的に露わにする。

街はもはや目指すべき場所ではなくなった。森への退却を経て「むねを どきどきさせて たにまへ にげこんだ」小鹿は、谷底でふと躓いた貝殻をそのまま蹄で掘り出した。「おや? こんな ところに かいがらが」と訝しがる小鹿に、貝殻は海の美しさを歌い始める。谷底がかつて海だったと貝殻に告げられた小鹿は、山に登って海を眺めた。

「あっ あれだ! うみは。くもを かぶった やまの むこうに みえる、あおいのが うみだ。きらきら ひかって、まるで におうようだ!」

小鹿の声に誘われて出てきた雷鳥は、海の向こうに「ひろい ひろい くに」があることを教え、「ながい あしと つよい つのを もっている きみが、なにを おそれる ことが あろう。わたしたちの おやたちだって、いちどは みんな、うみを こえてきたのです」と、小鹿に新しい希望を伝えた。

小鹿は海を目指した。もう旅の道連れは当てにしない。ただ一人で、「ひばりの あがる そらの もと」を目指して川を下っていく。ついにたどり着いた海の、磯の匂いと海風、波の音。塩辛い水。海のかなたに霞む紫色の山を見て、「どうして うみを わたろうか!」と決意する小鹿。

苦労して海を渡った小鹿は、どんな希望の地に上陸したと思いますか。

花咲き青草が輝く野を期待して最後のページをめくると、意外な景色が待っていた。茨に覆われた「ひとの けむりも たたない あれち」。しかし、鮭が川を遡るその地に誇らしく鹿は降り立つ。その地の空に高く上がるひばりを描いて、物語は終わる。

◆◇◆

自由とは……と思う。吉田一穂の問いかけは厳しい。ひばりの舞う空を目指したいとは思わないのか。所与の世界を疑わずして、そこから一人で旅立つ勇気なくして、憧れているだけでは、目指す高みにたどり着けない。しかし青年の足は強いはずだ。いつか道を示してくれる友とも出会い、また君が友を助ける日も来るだろう。君の理想を疑う者は置いていけ。軽々と訣別せよ。それが自由を目指す旅なのだ、と。

たぶん世の中には、きわめて大雑把に分類すると、ひばりの高く上る空に憧れる人間と、そんなことは頓着しない人間がいると思う。後者の生き方のほうが賢くて、経済的にも社会的にも成功するんだろう。これから育っていく小さな人間に、大人は何を伝えたらいいのか。それはやはり、ひばりの鳴く空への憧れを胸に抱えて、海をも渡っていく勇気のほうだと自分は思う。だから、博士や大臣なんていう安っぽい「将来の希望」などではなく、ただ一人で荒地へとたどり着く旅へといざなうこの詩は、やっぱり「希望」の物語である。厳しい旅だが、辛くはないよ。わくわくする楽しい冒険なんだから。初山滋の絵は、最初から最後まで優しい。

坂口安吾は「空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。」と書いた。まったくそうだ、と思う。「ひばりの おちる ほうへ」行きたいと思わない人間とも、私は話をしたくない。いや、自分ももう年だから、なかなかそうはいかなくて……という現実も分かるんだけど、せめて未来のある子どもには、混じり気なしの、そういうきらきらした希望を語りたいよね、って思うのだ。

というわけで、ページを閉じた後の余韻ったら、もうね。油断しててこういう本に出逢うと、呆然としてしまうのよ。

2017年7月7日金曜日

水彩絵の具

絵が下手くそで、十代の頃はいつも描きながら泣いていた。頭の中に絵はあるのに、未熟な手でそれを描くことができない。

思い切って色数を絞ったり、わざと変な点描をしたり、鮮やかなポスターカラーや透明水彩やアクリル絵の具を使ってみても、全くうまくいかず、本当に絵の上に突っ伏して泣いてばかり。

だって、たかが生まれて十年余で、自分には「才能がない」なんてことを納得するのは、とても耐えがたいことでしょう? ようやく諦めることができたのは、大学生になって本気で修行してきた友人に出会ってから。「あんたの線は間違ってる」って私のデッサンに消しゴムをかける友人の正しさに、あっけらかんと笑えたとき。もう、自分は絵描きにはなれないんだからいいんだ、と、やっと安心できたような。

絵描きになろうとしてなれなかった父が先日死んだ。

瀕死の父の枕元で、とくにやることもないので、その友人(私があちら側にいることを教えてくれて、父がそちら側にいようとしたことに敬意を持ってくれた人)が父に贈ってくれたスケッチブックと色鉛筆を使って、無駄にいい加減な写実ふうの絵を描いていた。あじさいの、青とピンクのゆらゆらしたグラデーション。ほら、お父さん、6月だしさ、あじさい描いてみた。どうかな? ちょっと輪郭線が強すぎるかな、この線は変かなあ。ここ、影になるはずなのに、おかしいよね、私の明暗は。眼がダメなんだよね。うーん。

返事はない。小学校で描く絵にも容赦ない批評を加えていた父は、老い病んでもう意識もなく、もう私の絵を叱ることもなかった。

ぶひぶひと鼻水すすって、ただ下手くそな絵を描く。

他の家族も知らないところの、私と父の最後の時間。穏やかで、平凡な、入口も出口もないような。

いつになったら絵がうまくなるんだろ? ひょっとして、まだそんなこと思って生きていくのかな?

ずーっと下手くそでもいいけど。こんな機会でもあると、ただ絵を描いているだけで楽しかった昔のこと、少しでも覚えていられるだろうから、きっと。

羽化時の逆光でうまく写真撮れなかった

2017年3月13日月曜日

水と土

今年の3月11日には、あの時は意外と夜は寒くて、まだ春が遠かったあの感じを、体感でしみじみ思い出したよね、などという話を友人とおしゃべりしていた。通常なら1時間弱で通勤していた道筋を絶たれてバス停で長時間待っていた人と、近場の職場だったから遠距離通勤の人が帰れずに待機する会社に差し入れをした私と。

◆◇◆

随分と遡る話だが、今年の正月に母の要望で初詣に行った。電車もバスも路線がないのだが、車でなら行ける場所の神社に。そんな場所に立派なヤシロがあって、「文化不毛の地」だもんね、なんて軽視していた北関東の地元の未知の歴史に驚いた(卒論は近畿の寺社縁起を使ったのに、近場のスポットなんて知らなかったことを後悔した次第)。

それで慌てて、今は水運の歴史を付け焼刃で調べている。縄文海進とかその辺も踏まえて、今となっては鉄道もない陸の孤島なその近辺にあり得た人や物資の流れは、利根川流域の水運というキーワードがなければ説明がつかないという直観。すると、鉄道の沿線を「町場」の所在地だと思っている近頃の通念からは、がらっと異なる地理が見えてくるのね。近世から近代に向けての断絶に関しては、こんな話も。
「……つまり『舟揖ノ通スル水部』の両側は、すべて河岸地として官有地化することを強行した。政府の見解による河岸地とは、たんに水路の両側の部分だけの認識にとどまり、湊としての機能などはまったく考えていなかった。この認識は現在まで一貫して続いている。明治初期の河岸地・物置場の官有地化が一段落した後は、財政難を解消する一つの方策として、適当な相手を見つけては払い下げ処分をしていった。旧大名藩邸の物置場の多くは、明治10年代から20年代にかけて、民間の有力会社に払い下げられた。図34の物置場の変遷を地図上で追ってみると、相当の部分が藩閥と結んだ政商の所有になっている。河岸の場合も江戸湊の中心部の日本橋に限ってみても、魚河岸をのぞいて、周囲はいずれもしかるべき「会社」の手に移っている。そして大部分の河岸はのちに東京市の基本財産として移管された。しかしその後も切り売りが続き、現在ではほとんど、この基本財産はなくなった。」(鈴木理生『江戸の川東京の川』)
あら? どこかで聞いた話??政府の覚えめでたいどこだかが、ズルをしたとか、何とか。

近世だってちっともそこには、牧歌的な理想社会なんてありゃしないのだ。たかが利根川の水運というトピックをちょっと見ただけでも、儲かるネタに殺到して互いの足を引っ張り合い、「取り締まってくれ、アイツが悪い」と幕府に上訴……の繰り返し。互助的・自律的な市民社会の形成の契機はなかったのかなあ、と知人と雑談した。

江戸時代は循環社会……などという通念も多分に幻想かと思う。需要と供給の規模が限定的で、技術的にもそれ以上の開発が不可能だったからこそ、資源を枯渇させないで済んでいただけで、後世を見越しての資源管理なんて、あんまり考えていなかったような。金肥(鰯や鰊)の話、頭クラクラする。それが、水運の見せる相貌の一面であって。

それでも私は、なかったはずの歴史を捏造するような、物語をこっそりと作ってみたいと思っている。つまんない既得権益を守る人もいなくて、美しい景色の中で、出自の違う人間どうしでも、みんなが助け合っていた、とか。

◆◇◆

デモにも行かなかった今年の3月11日について。

これは中井。染物の川の昔。





2017年1月24日火曜日

外付け記憶装置の不全

いい年になっても、「生まれて初めて」は起こりうる。生まれて初めて鍋を焦げ付かせるとか。

たまたま買ったばかりの鍋に、肉じゃがを仕込んで火にかけた。そのまま仕事をしているうちに、打ち合わせが入って、終わってみたら、半ば炭に変わった夕飯が鍋底に張り付いていた。明日の朝ごはんも兼ねていたはずなのに、すべておしゃかというわけ。ちょっとでも気にかけていればよかったはずという仮定法過去な感じの、誰のせいにもできない理由で、それでもえらく受動的に突き付けられた絶望の黒い鍋。

大人だから泣いたりしないけど、ちょっともう、今すぐに仕事も辞めて、涙さえも凍り付く白い氷原とか、ごらんあれが竜飛岬北のはずれとか、そういった方面に一人で旅立ってしまいたいような衝動に駆られましたね。

(あ、ちなみに、糖度の高い玉ねぎがいちばん焦げ付くのだなあ、という、仕方なく実証的な豆知識が得られたことを記しておきます。)

◆◇◆

で、たかが炊事の失敗でこんなに悲しくなるという地味な発見の果てに、そういえば、村上春樹の小説にはスパゲティの茹で加減を失敗しただけで死にたくなるような女の子が出てくる、といった評を、昔読んだことを思い出した。私が村上春樹を読んでいたのは主に高校生のころだから、まだ『ノルウェイの森』が謎のベストセラーになる前の誰かのエッセイではないかと思うんだけど、誰が評していたのかさっぱり思い出せない。

あ、『火野鉄平のブックジャック』かなあ? だとしたら単行本は持ってないから、中学生の3年間だけ読んでた『ビックリハウス』かもしれない。火野鉄平ムカツク、って思ってた女子中学生当時の感覚は、山形浩生ムカツク、って思ってた女子大生崩れ当時の感覚と近いなあと今になってオバサンは思うけど、もうオバサンになってしまったので、今でもやっぱりムカツクわーとか言っても、おのれの教養コンプレックスが際立つだけで、ぜんぜん可愛くないよな。これも余談だけど。

◆◇◆

今年になって、とある成り行きから『常陸国風土記』を入手しなくちゃ、って決めた。で、誰かが、戦後ようやく岩波文庫が入手できることになって買いに行ったが、売っていたのは大して興味のない『常陸国風土記』だったけどとりあえず買った、みたいなことを書いていたよな、と思った。

ところが、さて丸善なんかに行ってみると、まず岩波文庫の目録には『常陸国風土記』はないのである。まあ品切れか、とネットで調べても、『風土記』はあっても『常陸国風土記』は見当たらない。これは思い違いか、ということになって、じゃあ誰の記述だったんだろうと調べたが、自分で思い出さない限り、いくらGoogle先生でもそこまでは上手に教えてくれない。終戦時に学生だった理系の人ではなかったかなあ、と当たりをつけて、山田風太郎の『戦中派不戦日記』じゃないかしら、と必死でページをめくってみるが、どうやらそれらしき記述はないみたい。うーん。夜中に滅茶苦茶な書棚と、書棚の膝の高さのあたりから連続して床で地層を形成している本の雪崩を漁ってみたけど、もうどうにもお手上げで諦めました。

これからもっと年を取るでしょ、持ち家も子孫もないから、本だって処分していかなきゃいけないし。

そうすると、こんなふうに朦朧とした物語の断片だけが、鍋の表面に浮いてくる灰汁のように、もろもろと漂うことになるのだろう。そのたびに、思い出せない過去との折り合い方に恐怖しながら、でも最後には全部忘れてしまうんだろう。空っぽの老婆になっても笑っていられるような、そんな未来が来ればいいんだけど。

どうなんだろう?

表参道交差点。卒業して初めて働いた街で
よくお使いに行かされた山陽堂がまだある。














2016年12月9日金曜日

私は化石になりたい。

子どもだったころには思いもつかないことが、長く生きてると起きる。

電話は持ち歩くもの、武器を外国に売り捌いて兵隊さんを外国の戦場に派遣する国に生きているとか、大きな地震で壊れた原子力発電所のせいで人の住めない場所ができたこと、どうやら年を取っても安穏と暮らせそうはないとか、政府はあちこちにカジノを作りたいらしいよ、などなど。

どうも最近TVで見かけるニュースは、明るくなれるような話は少なくて、自分自身もいいかげん先行きに無条件な幸せを信じられるような希望は底をついて、ポストにため込んで見ないようにしていたクレジットカードの引き落としの通知とか、奨学金の残額通知とかの山にため息をつくような毎日。

今日、こんなニュースが聞こえてきたよ。

子どもだったころには、思いもつかなかったことでしょう。いまや、恐竜には羽毛があったことが、定説になってきたんだぜ。中国の学者さんが、ビルマの宝石店で、琥珀に閉じ込められた羽毛を見つけた。どうやらそれは、恐竜のものらしいというニュース。

National Geographic日本版「世界初、恐竜のしっぽが琥珀の中に見つかる」(2016.12.9)

◆◇◆

そうだ、可能であればなるべくかっこいいポーズを心掛けながら、とろとろの松脂に絡めとられて、でなければきめ細かい泥に埋もれて、かっこいい化石になるという未来はどうだろう。

いつか学者さんに発掘されて、不思議な生き物がいたものだ、と、首をかしげてもらえたら?

沼津深海魚水族館で冷凍シーラカンスを見た



2016年10月11日火曜日

王様と私。

頭でっかちだからか、性格が悪いからか、親が過保護な年寄りだったからか、とにかく運動ができない。逆上がりも二重跳びもできなくて、かろうじて自転車は乗れるものの、「スポーツテスト」などやらされると、毎度毎度記録のひどさに、「ふざけてるのか」と教師に怒られる。

体育教師は、たいてい私を嫌った。こまっしゃくれて生意気な子どもの弱点を見つけて、ここぞとばかりに責める嗜虐的な心象を見たような感じもしたよ。人の子だもの、そういうこともあるよね、って今なら笑えるけど、けっこう当時は本気でしょんぼりしたものです。いっぽうで、いいんだ私は体育なんてこれから無関係に生きていくんだから、って、ますます生意気に開き直ったということも。

それから長い時間が流れて、ちょうどJが始まったころに、たまたま試合を見るようになって、初めてスポーツ観戦を面白いと思った。自分の貧しい頭で考えて考えても、絶対に追いつけない事件が、一瞬一瞬に生じるから。猫と暮らすことと、サッカーを見ることは、私のガチガチに固まった思考の筋道を破壊するのに、かけがえのない事件だったわけです。逆立ちしたって思いつかないことが起きる現場で、自分が壊れていく幸せ。スタジアムに通うようになり、意表を突いたプレイに本当に大笑いしたり(賢いパサーよりも無茶で派手なドリブラーが好きです)、贔屓チームの勝敗に一喜一憂したり。

地震があってから、気落ちもしたし、デモに行くのが忙しかったりで、すっかりスタジアムから足が遠のきました。でも、また戻りたいな。今日の代表戦で、おいおいこのままじゃ…と、あちゃーと頭を抱えたりして、またスタジアムに行きたいと、そういう時間の流れ方だってあったはずなんだと、ふと思いました。

しかし20年近くサッカーを見てても、私いまだに細かいスキルや戦術が読み取れないのは、さすがに運動神経の鈍さです。やっぱり自分でプレイするしかないのかねー?

清渓川ですよ(2016.9)