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2011年12月20日火曜日

鷲になった夢をみたお母さん

「ああ、それならば、読んでいただくといいなあ、と思った本があります。鷲の話なんです」と言ったとき、何のことやら……とお思いでしたでしょうね。書棚から出して読み返してみると、難しい余韻のある、しみじみとした話でした。きりきりと身を切るような勇ましさだけが記憶に残っていましたが、そんなに単純な話ではありませんでした。
子ども向けに書かれたこの話を、私は大人になってから読みました。もし幼いころに読んでいたら、いったいどんなふうに考えたでしょう。それはうまく想像できませんが、子どもだった自分に、尋ねてみたいような気がします。

猛禽というのは、どうしてでしょう。
人間の私は、詩人でなくても、あれが勇敢で気高い生き物のように見えて、悠々と空を舞う姿に、見とれてしまいます。
とはいえ、実際に猛禽の飛行を目にする機会はなかなかなくて、私も高尾山や奥多摩で、かろうじて何度か遭遇しただけです。高いところを飛ぶ猛禽の同定は、素人の私には無理でしたが、なにか、あまり大きくはない鳥でした。いつか巨大な猛禽の飛ぶ姿を、どこかで見てみたいと思っています。
どこか呑気な鳶も、ああ見えて立派な猛禽の仲間です。金沢八景で潮干狩りの合間にビールを飲んでいた友だちは、肴にしていた串カツを手から直にさらわれて、本気で肝をつぶしていたっけ。風に乗って舞い上がる姿を見上げているぶんには、たとえ鳶だって、やはり晴れ晴れとした気持ちになる。

となりの国で勝利の祝宴がもよおされた晩、革命にやぶれた山の国はしずかでした。夫や子どもをうしなった女の心は、その晩どんなにかさびしかったでしょう。みんな、きょうは「鷲の心」という山の国の英雄が死刑にされる晩だといいながら、兄弟の生まれた家にあつまりました。女たちは、小さい子どもたちをつれていきました。その女たちの心のさびしさは、だれにわかるでしょう。しかし、そのさびしさにもかかわらず、女たちは小さい子どもたちを無限の空にさしあげて、この山の国をすくうため、こののこった子どもたちにも「鷲の心」をあたえてくださいと祈りました。
ワシリー・エロシェンコ(高杉一郎・編訳)「鷲の心」『エロシェンコ童話集』(偕成社文庫、1993年)

鷲になって、自分が救えなかった人たちが死んでしまった谷の上をぐるぐると飛んでいるという不思議な夢をみた、あるお母さんの話を聞いて、昔読んだこの話を思い出しました。
明日お会いするときに、忘れないように本を持っていきますね。

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