3月11日以降に東京で暮らす普通の日常、この週末がどんな感じだったか、ちょっと日記ぽいことを書いてみる。
金曜日。和光大学異文化交流室が主催した映画『原発、ほんまかいな』上映会プラス監督トークを見に行く。映画に対して予備的な関心があったというより、原発事故以来自分がついつい考え込むことの孤独感みたいなものの息抜きになればいいな、と思ったのが理由。なんのしがらみもなくのびのびと遊んだ場所の記憶に支えられて、狂ってしまった日常への怒りを表現することの解放感を、先週の三鷹デモで感じたからだ(えーと、ややこしいんだけど、私が卒業した大学は二つあって、ひとつは三鷹がホームタウンのICUで、もうひとつが町田の和光大学というわけ。もぐりで通ってた大学とか職場だった大学とかがまた他にあるけど、話がさらにややこしくなるから割愛)。
マイナーな大学なので、「和光幻想」みたいなファンタジーを知っている人がどれだけいるかわからないが、世の中のいろんな仕組みに手っ取り早く絶望していた18歳が唯一、ここならば行きたいと思って選んだ大学だった。実際に入学してみるとそんなにオイシイ話はなくて、五月病をこじらせた私はすぐに大学に行けなくなり、結局は休学してしまう。
でも、渋々戻って卒業するまでの数年間、あそこで呼吸した空気はそれなりに悪くないものだった。アカデミズムの訓練を積まなくても許される大甘な雰囲気は困ったものだが、とにかく権力は疑ってみるものだ、とにかくまずはマイノリティの側に立たないと話にならない、(そして酒を飲んでくだらんことを議論するのが学生の本分だ……)といった軽薄な青臭い短絡さは、若い子が最初に手にするべき、弱々しくても最初の武器だ。RPGでいえば「棍棒」と「木の楯」かな。
今になって思うと、あそこで習得した単位は「エレベーターがなくても人力で車椅子を運ぶ方法」くらいだったように思う。毎日のように声を掛けられるので、金髪のパンクスも、授業に出ないアメフト部の学生も、青白いニューアカ青年も、パジャマに綿入り半纏で暗室にたむろしてるヘビースモーカーの私も、誰でもその単位だけは習得できました。棍棒と、木の楯と、車椅子運びの単位だけを持って、私たちは世の中に出て行った。いまやこんなご時世になって、正気を保とうとするには頼りない武器だが、素手で喧嘩するよりはまだ分があるかもしれない。
で、キャンパスに足を踏み入れたのは、金曜日が十数年ぶりだったんだと思う。細かい感傷(BGMはムーンライダーズの「まぼろしの街角」で……)はどうでもいいことなので端折るが、新設されたぴかぴかのオーディトリアムで映画を見た。監督いわく「冒険活劇反原発プロパガンダ映画」で、懇親会で先生のどなたかが言っていた「これなら和光生でも原発の欺瞞がわかります(笑)」みたいな、お茶目で優しい映画だった。事故の後、ネットにへばりついて、暗い気持ちになっていた、と監督が言っていた。その膠着状態から足を踏み出すために、結局「表現すること」しかないと思い直して、この映画を作ったのだ、と。仕事も辞めてしまって悩んでいるという若い卒業生のお嬢さんに、あなたも表現してごらんなさい、稚拙でも、どんなかたちでもいいから、と笑っていた。そう思う。本当に、私も、そう思う。
それから、日本からベトナムへの原発輸出の話についてもレポートがあって、このへんは私も原典資料をきちんと当たらないといけないなあ、と思ったんだけど、それはさておき、漁の成果を分け合って暮らす豊かな村に対して、日本の国策が企業利益に擦り寄るようにして原発を売り込もうとする話、「資本主義としては、お金がなくても助け合ってゴハンが食べていける村は、敵なんですよね」という監督のジョークが、案外当たっている気がして切なかった。
社交性のない人間のくせに、調子にのって懇親会まで出席して、もごもごと出席者としゃべった。この場所から巣立つ若い人たちが、大きなものに立ち向かうにはあまりにも貧しい装備であっても、まっとうな喧嘩を続けてくれるようにと祈りながら、タダ酒飲んで鶏のからあげをもぐもぐ。
根性がないのでロマンスカーで帰った。
帰宅して、友だちと長電話して作業着手が午前1時、翌日のTwit No Nukesデモに持っていくグッズを作らなきゃいけなかったのだ。ここんとこプラカードも飽きてきたので、ちびっこの耳目を惹く立体造形がテーマなの。時節柄、クリスマスツリーがいいなあ、と、安いウィスキーを飲みながらフリーハンドで紙工作をした。頂点の星の代わりに、原子力いらねえよのおひさまマークをあしらって、完成したのは4時ごろだったかな。
寝坊して慌てて代々木公園へ。行ってみたら出発時間を30分早く勘違いしていて、出発まで意外と時間があった。同行の友人はスネア持参。子どもたちが数人走り回っているので、見せびらかそうとツリーを取り出したが、遊んで叩いてる友人の太鼓のほうが人気があって腹立たしいぞ。ドラム隊の末席に潜入する友人のそばに陣取って、デモに出発。じりじりと出発を待ちながら、だんだん高鳴ってくドラムの音の中に身を置くのはいつでも楽しい。はじけるように歩き始めて、沿道の子どもたちにツリーを持って笑いかけるが、うーん、やっぱり微妙かな、反応は。原発いやだなあ、と思って歩いてる変な大人のこと、「なんだろう?」って思ってくれたらうれしいけど。
その後、年末総決算みたいな感じでマガジン9のイベントにはしごするために、宮益坂で離脱する。デモ隊にいた小さい男の子に、「これ、もらってくれたらうれしいんだけど……」とツリーを手渡す。女の子のほうが喜んでもらえたかな。どうなったかなあ。
代々木駅から会場へ。前回も思ったけど、ねこだらけなんだよな、あのビル。
かろうじて開演に間に合った。お友だちどうしでリラックスしてる感じのスピーカーの話にこちらも和んでしまう。ラヴァンデリアとキスカフェとPARCの報告会にも行っている「お前は追っかけか!」な聴衆だったわけですが、とにかくこのタイミングで、話を聴いておきたかったから。
帰宅後、友人とあーだこーだと話しながら、夕飯を食う。
諸々の言説を挙げて分析し始めた友人と異なり、私は一度いろんなことを消化してから考えたいと思ったから、個別の感想などをここに述べるのは、ちょっとペンディングしておきます。即時的な反応をするよりも、ああいう話は、自分の言葉や行いとして、長いスパンで応答したいと思ってしまうんだよね。
寝不足で無理したせいか、講演の途中あたりから持病の頭痛が発症し、帰宅後は起きていられないような状態になったが、まあ、それはよくあることで。
日曜日。今度は前向きに寝坊したので頭痛も収まり、ごはんを食べて近場の公園に行った。
この一週間で急に色づいた銀杏の葉がはらはらと降り積もる。
サッカーする男の子たち、大きなシェパードを連れたおじさんに、おそるおそる近寄る女の子たち。「かじったらどの子がいちばんおいしいかなーって、選んでいるんだよ」と笑うおじさんに、「えー!」とはしゃぎながら、すぐに仲良しになって、代わる代わるシェパードに抱きついている。
アコースティックギターを抱えたおじいさんが、古い歌謡曲を静かに奏でていたら、ベンチに座っていたおばあさんが二人、女同士で怪しげなソシアルダンスを踊り出した。曲は「炭坑節」から、「青い山脈」へ。
少し離れたベンチで編み物を続けながら、矢野顕子のカバーで覚えた歌詞を小声で口ずさんでみた。
「古い上着よさようなら 悲しい夢よさようなら」
「父も夢みた 母もみた 旅路の果てのその果ての」
青い山脈って、結局、何だったんだろう。
青臭い民主主義が、ぴかぴかに輝いていたころに夢みた、旅路の果てにあるどこか「ここではない美しい場所」だったんだろうか。
どうなんだろうね。
金曜から、日曜まで。
最近の日常は、たとえばこんな感じです。
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