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2011年11月9日水曜日

勇敢な女の子とオレンジぐま

「プラハの春」について古い本を引っ張り出していたら、こんな記述が出てきました。とても印象的で、気に入っているエピソードです。
ソヴィエト軍の占領から1年後、821日の「屈辱の日」を間近に控えて、かつて人びとが集まって討議を交わしたヴァツラフ広場では、小さな若者のデモ隊が警察と衝突し、二十代の若者が二人、威嚇射撃の流れ弾で死にました。警察と軍隊は、市民が集まらないよう、広場で睨みを利かせています。

それでも、市民たちは、こっそり、深夜か早朝、三色か、黒のリボンで飾った、菊やバラやグラジオラスなどの季節の花々を、騎馬像の台石に捧げにくるのです。わたしは、毎日の午後、捧げられた花束をきれいに並べて壜にさし、水をやっている、勇敢なお婆さんとあいさつを交わすようになりました。聖人像に捧げられる花束の数は、市民の抵抗の気迫と姿勢の度合いをあらわす「気圧計」です、とわたしに耳うちした市民もいました。
ボヘミアの守護聖人ヴァツラフ公の騎馬像は、ソ連がこの広場を占領したその日から、ひとつの深刻な象徴だったのです。
藤村信『プラハの春、モスクワの冬』(岩波書店、1975年)

これから年をとっても、「勇敢なおばあさん」になれるだろうか。
そんなふうに思う私は、絵本や物語に颯爽と登場する「勇敢なおんなのこ」が大好きな子どもでした。
例えば、『ももいろのきりん』のるるこちゃん。クレヨンの木を独り占めするオレンジぐまをやっつけに、きりんのキリカとクレヨン山に向かいます。「なんていさましい女の子だろう。ぼくもおうえんしよう。」と、力の強いオレンジぐまの意地悪に困りながらも、それまで縮こまっていた動物たちは、勇気を出して加勢について行きます。
で、オレンジぐまに向かって、みんなでこんな歌を歌う。

オレンジぐまは わるいやつ
オレンジぐまは よくばりで
おまけに たいした いじわるだ
オレンジぐまに ようはない
中川梨枝子;中川宗弥『ももいろのきりん』(福音館書店、1965年)

絵本の中では、強欲で意地悪なオレンジぐまは「悪い奴」、とても単純です。
大人になると、何が悪で何が善なのか、世の中そんなに単純じゃない、と、みんなが言う。
確かに、そりゃそうだ。
でも、「勇敢なおんなのこ」になりたかった単純な私は、そんな子どもだった自分のことを、忘れられないんだと思います。
というか、「忘れたら、負け」みたいな、強迫観念なのかもしれません。

キリカがオレンジぐまをやっつけたあと、るるこちゃんはこう言います。
「ああ、あたし、ほんとうはあのオレンジぐまがとてもこわかったの。」
それもまた、勇敢なおんなのこの、正直な気持ち。

こわいけど、がんばりましょう。

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