泥酔して書き殴った文章が年末年始を彩った弊紙ですが、今日は素面です。
あらためまして、新年ごにょごにょごにょ。。。
西荻デモで、こんな異常な毎日を過ごしていると、ストレスで食べすぎちゃうんだ……と訴えていらっしゃる方がいらしたが、私も「それはお前の不摂生だー! なんでも原発のせいにすんな!」という野次を受ける覚悟で申し上げると、やっぱり、どう考えても異常な状態のまま暮らしているわけですよ、あの日以来。一見平穏な日常に、ふと、裂け目のようなものが生じるときに、その裂け目の向こう側には、なんだか恐ろしいものが覗いている。見ないようにしても、聞かないようにしても、忘れようとしても、恐ろしいものは、依然としてそこに居座ったままなんだから。
どうせ孫引きになるけど、ユージン・デブスが言ったとかいう言葉が、裂け目の中から丁寧に和訳までされて聞こえてくるんだ。「下層階級が存在する限り、私はそこに属する。犯罪分子が存在する限り、私はその一人だ。牢獄に繋がれた魂が存在する限り、私は自由ではない」と。東京のイルミネーションは、昨夏の節電騒ぎなどなかったかのようにチャラチャラと喧しいが、青やピンクの電飾に照らされた交差点の真ん中に、ふと、闇の裂け目が現れる。「いまも被曝し続ける子どもたちがいる限り、私は……」。私は、どうする?
どうしよう。不甲斐ない臆病者の私は、そうして、また悪酔いする。
大昔に読んで実物も手元になく、うろ覚えのままだが、いとうせいこうの『ノーライフキング』に、世界の破滅に怯えて酒に溺れる小学生の話があったように記憶している。去年の3月ごろ、気が変になりそうな日々を過ごしながら、ああまるで、自分はあの小学生みたいだな、と思った。大人たちが普通に暮らす傍らで、世界は日々壊れていく。破滅の物語に憑かれてしまった子どもたちにはそれが見えるが、大人たちにとっての世界は、昨日となにも変わらないという、そんな話だったような。
放射能は怖いのか怖くないのか、そういった議論に科学的な正否の判断を下そうという話じゃないんだ。とにかく自分にとっては、もう、あの日、世界は決定的にぶっ壊れてしまったんだもの。
だからといって、毎日泥酔してこのまま記憶を失い続けると、いったい人生のどのくらいの割合をブラックアウトで無駄にしてしまうか末恐ろしい。。。
近いうちに、泥酔するだけの私とは対照的に、地道で建設的な喧嘩を続けている旧友の近況を、記録しようと思っています。どのみち、まだ世界を破滅させるわけにはいかないしね。
で、4号機どーなったって??
もー(涙目)。
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