海辺の町に住んでいた3年間、なんだかいつも自転車に乗って、他に何もないから神社の森の中の道や、海水浴場に向かう坂道なんかを走っていた。走りながら菓子パン食べるのが好きだった。道の先にはいつも、間抜けに広がる怠惰な青空と、道が終わる場所の海が控えていたが、つまりそれは、そのころの自分には、単純に未来と同義であったりして。
それからは、江戸時代の年号が刻まれた石碑が風化しているような、かつては農村だったはずの新興住宅地の味気ない町のアパートで、かつて未来であったものを、湯水のように取り崩すとか。
地震が来て、怖いニュースがテレビに流れてて、もう死んじゃうんだって子どもみたいに怯えて。
剪定の仕方を知らない人間が持て余しているだけなので、祖母の薔薇はもう何年も花を付けない。雑草みたいな水仙だけが荒々しく咲いている荒れた庭。友人が買った機器で放射線を計ったら、冗談みたいな数値で、でもそれは私の育った家だったし、老父母が普通に暮らす家だった。
もとから友だちなんていない町だもの。
そんでも、まあ、スローガンを信じて終わるような日々に納まることもないでしょう。変な寄り道ばっかして、効率悪く年を取っていくだろう。
胸糞悪い言葉が、だらしなく点けっ放しのテレビから流れてくる。つまらなく呪詛を返すだけでは、背中に湿疹が出そうだ。
何年目でしょう、3月11日。父親の転院に伴う事務的な手続きがあって、仕事を休んで入院先に行くというのが、今年の予定。
東十条の富士塚 |
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