「干支を意識した1年を過ごす」というテーマに、度々挑戦しているが、どうもうまくいったためしがない。年賀状に登場するだけで、正月気分と一緒にどこかへ消えてしまう干支。そんなことでよいのか、と何となく思ったことがきっかけなんだけど、やっぱり忘れてしまうねぇ、干支。
選挙があんな結果に終わったあと、年末に地元のデモを準備不足のままばたばたと開催した。仕切りが悪いと参加者から罵声を浴びせられたり、沿道の女子高生に中指を突き立てられたりして、意気消沈気味だった。
もやもやとしたまま、年を越す。
初めてデモに行った日、それはただそこにいる人はみな仲間のように思われて、一人ひとりの意思で集まった人の衝動だけがあって、自分がその渦に一体化するような気持ちがした。
あれからもう2年になるんだろうけど、それは気だるい徒労感に変わりつつある。いつまでも怒り続けるのは苦しい。ましてこの長丁場で、分かりやすい敵を名指しすることが、もしかしたら、自ら敵の体内に呑み込まれてしまうことになるんじゃないかと、ぼんやり疑念を抱いてしまうような毎日では。
リンダ・ホーグランド氏の「ANPO」では、チャラい女子高生までが浮かれてデモに加わっている映像を見た。私は安保反対運動というのが、そんなに大衆的なムーブメントだったという事実を知らなかったから、その運動が尻すぼみに終わってしまったことに、今さらながらびっくりしてしまった。
上映後のオープンディスカッションで、そのことを半ベソかいてリンダさんに告げたら、「『ANPO』を見たからデモに行くのが嫌になった、なんて言わないでね」と笑っていた。街に出て異議を唱えることは無意味ではないよ、大丈夫、がんばろうね、と。
はい、ありがとうございます、と、私も涙目で笑った。
◆◇◆
それからまた、時は流れて。
◆◇◆
先月は東京写真美術館で、「映像をめぐる冒険vol.5」を見てきた。小川紳介という人が撮った三里塚の記録映像はこれまたびっくりで、私はまたベソをかいた。
自分の土地を取られまいと、機動隊の強制排除に抵抗して、肥溜めの糞尿を我が身になすりつけて座り込むおばあさん。「俺たち百姓はこんなもん何ともねえ。百姓をなめんなってぇんだよ」と吐き捨てる言葉は、私も耳に親しく育った千葉北部/茨城南部の訛りの響きだ。きっと富士や筑波まで見渡せるはずの、空が広くまっ平らな田んぼは、私が育った場所の昔の風景とよく似ていた。戦うおばあさんたちの絣柄のナイロン合羽の上下は、今でも地元でよく見かける、農家のおばちゃんの定番ファッションだ。
自分は、いったいだれに何を奪われて、それを守ろうと戦うのか。糞尿戦術で田んぼにしがみつく、その切実さとの距離。官邸の中には、だれがいるの。「抗議」という言い方の、主体と客体の距離。その言い方にはおそらく、糞尿を我が身にまとわなくとも、紳士的に保たれるはずの距離への信頼がどこかにあるかもしれなくて。
それで、いまも「空港廃港」を訴える人の団結小屋の上を、飛行機が飛んで行く。
小学生の私は、夕暮れの校庭で、離陸からまだ低い高度を飛ぶ飛行機の尾翼を見分けては、航空会社の名前を当てる遊びが好きだった。
「さっきの飛行機はイタリアでしょ、で、これはオーストラリアに飛んで行くんだよー。ばいばーい。」
◆◇◆
で、2月になって。
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