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2014年5月1日木曜日

昨日の続きの明日がいつか歴史になって

原発大好き親父が経営している新聞社だからって、色眼鏡で見てはいけなくてよ、たぶん。

思いがけない休日に、自転車で近隣を走り回る贅沢。いくつかの図書館に行った。税金の滞納分を納めた後だったりしたのが余計に、公立図書館の恩恵に浴そうっていうケチくさい根性もあったかもね。

歌舞伎だので面白おかしく語られたニュース、地元では誰一人知らぬ偉人の行状の顕彰、関東の話だから、江戸時代の話が主だったりするが、府中に中央政府とのつながりがあった時代のことなども。稲葉博『東京古社名刹の旅』(読売新聞社、1987年)を、図書館で借りてきて読んでいました。

私は東京の出身ではないから、それでも10年以上はそこここに寄生しているので、見知った場所の昔の話として、面白く一気に読んだ。再開発で古い町並みが壊されたとしても、さすがに寺社を壊すのは気が引けるのでしょう。古刹を手がかりに、その町の古い顔が見えてくるから、「古めの寺や神社のない町に住むとろくなことはない」という実感を、年寄りの少ない町に住んではいけないという玉条とともに守ったこと、改めて省みるわけです。

とはいえ、かつて住んでいた近辺にあった吉良上野介の墓所をもつ寺が、本来の江戸である東のほうから移転したことも、たまたま知っていた。火事に地震で、町ごとが田舎に移住していく。そういうこともあるのだ。その意味では、寺社でさえけっして不動の歴史を刻む場所ではない。

しかし、まあ、それよりもなにより。

忘れられてしまうことの膨大さに、くらくらした。
有名な事件も人も、石碑に刻んでも物語を残しても、結局は消えていってしまう。
青黴の生えたような伝統を、四角四面にありがたがる必要はないけれども、やはり木と紙でできた国の軽薄さなのかな。たかが江戸時代のことすら、忘れられていくさまが、博学の人の語る地史との現在からの隔たりの遠さを前にして、これはさすがに愕然とするものがある。

ならば、どうなの。
いま自分が生きている時代の問題は、どんなふうに伝えられて/消えていくのかな。


同じ頃、自転車ででたらめに遠出したら、旧い豪農の庭地を見たり、多摩の「はけ」を越える道のりに四苦八苦したり。
町に刻まれる暮らしの記憶を、どうやって辿ろうかなどと野望を抱くゴールデンウィークでございました。

妙正寺川のこいのぼり。

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