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2013年4月13日土曜日

大好きだったお爺さんのこと


カート・ヴォネガットが死んだのは2007年の4月11日。

ネットに溢れた追悼文を漁って、気に入ったものを和訳して友人に配ったりした。そのときの後書きがあるんだけど、今読むと、なんだか偉そうで嫌だな。「3.11」の前後で、自分が変わったとか変わらないとか、あまり考えたことはなかったのに、ちょっとだけそんなことを考えた。結局はKVの文明批判や資本主義批判を、リアリティをもって受け止めていなかったんだろうか。アメリカの「9.11」以後を本気で憂いていたKVの苦言にしても、どこか自分にとっては他人事だったのかもしれない。

あれ以来、「清志郎が生きていれば…」とか、「筑紫さんが生きていれば…」とか、みんないろいろ考えると思うけど、「KVが生きていれば…」と思うことがある。でも、死んでしまった人は死んでしまった人で、生きている人間がため息ついてばかりいるわけにもいかない。
そして、彼の言葉は、今でも、だれもが読むことができるのだから。
何もしないでいるわけにもいかないだろうし。

過去に書いたものが、今の自分と乖離してしまっても、その言葉と生きていくことを厭わない変態として、ここに記録しておきます。

◆◇◆

「マンガ本の哲学者に過ぎない」(2007)

 大好きなアメリカのSF作家を追悼した記事を集めて小冊子を作って配る、という目下の自分の関心事を職場でこっそりと隣の席のお姉さんに話したところ、「それってまさにオタクがやることじゃないですか」と笑われた。彼女は職場には内緒でライトノベル(十代の子がマンガの代わりに読む小説のこと?)を出版している現役の作家でもあり、アニメやマンガといった共通の教養を解する者たちだけが内輪で楽しむコミケ(色んなマンガのパロディとかをマンガや小説にして載せた同人誌を売っているコミック・マーケットの略称?)というイベントとかにも参加している人で、自虐気味ながら「オタク」を自称している。
私にはまったくそういう教養がない(オタクなどという低俗なカルチャーに属する人間ではないという嫌味な自負だな)ので、わざとらしく困惑しつつ、やんわりと彼女の言を否定した。いやあ、別にそういうオタク的な内輪ウケを狙ったわけではなくて、ヴォネガットという人はSF作家というよりもアメリカ文学の代表作家と見なされつつある人だし、ええと、今やっている作業は、大学時代に授業で書いた構造分析的なヴォネガット論によって巻末を締めくくろうとしているところであって……云々。すると彼女は、深いため息をついてこう言った。「だから、まさしくそれがオタクのすることなんですよ」。

今回、私の手元に集まったヴォネガットの追悼記事をリストにしてみると、約70編ほどのタイトルとなった。相当の数だが、それはもちろんファイルして残す記事を選択しての結果で、世界中でヴォネガットの死に際して彼を追悼するために生産された文章の量は、さらに膨大な数に上るだろう。実際、Googleが発表している検索キーワードの頻出ランキングでも、彼の死後すぐにはKurt Vonnegutの語が上位に挙げられていた。
ここに収録した記事は、女子大生が書いた学生新聞の記事などもあるけれども、一応は何らかの公的な媒体に署名記事として書かれたものであって、ほとんどはプロの文筆家によるものである。そのほかに、ネット上に公開する自分の日記(ブログ)などに書かれた「親父の本棚にあったから読んだら意外とイケてたよ」とか「自分のヒーローなので彼の死はショックだった」といった、普通のファンによる短い感想文の類いも数多くあった。
以前、ネット・コミュニティでは、耄碌した老作家が大学の卒業記念講演で「人生で最も重要なことは、屋外で日焼け止めを塗るということであります」といった脈絡のない滅茶苦茶なことを口走って学生を困惑させたという笑い話が流布していて、それがヴォネガットだという噂になっていた(実際は全く別人だったのだけど)。そのエピソードからも垣間見えるように、アメリカのネット世代のティーンエイジャーには、とりあえず名前だけは知っているものの、現役作家としてのヴォネガットの存在に馴染みのない者も多いようだ。かといって、アメリカでヴォネガットの小説が全く顧みられなくなったという訳ではなく、むしろモダンクラシックとして評価される状況が既にある程度確立しつつあって、例えば高校や大学の文学の英文学の授業で取り上げられたり、各地の図書館の読書講座における課題図書の定番にもなっていた。また、1997年に『タイムクエイク』を発表して以来、断筆を宣言したヴォネガットであったが、その『タイムクエイク』も、断筆後の彼が唯一不定期連載を持っていた社会主義的リベラル誌『イン・ディーズ・タイムズIn These Times』に掲載されたエッセイをまとめた2005年の『祖国のない男A Man without Country』も、アメリカのベストセラー作品となった。
結局、『ニューヨーク・タイムズ』の追悼記事にある「特に1960年代から70年代の若者にとっては、アメリカのカウンターカルチャーの文学的アイドルであった。アメリカのどこでも、ジーンズの尻ポケットやキャンパスの寮で、そこここのページの角を折って印をつけた彼のペーパーバックを目にすることができた」という解説が、アカデミックエリートから一般的な教養層までを含めた、ヴォネガットに対するアメリカの模範解答的な評価と言えるだろう。マーク・トウェインと比較して「アメリカならではの庶民的な文学的伝統の継承者」と見なすことも、本当に多くの記事に見られた。
その一方で、オタクのエリートとでも言える経歴をもつアンドリュー・レナードが激怒していたように、同じ追悼記事では、ヴォネガットに対する「マンガ本の哲学者に過ぎない」という評価についても触れられていた。先に引いた「カウンターカルチャーのアイドル」という表現と併せて、ハイカルチャー指向の『ニューヨーク・タイムズ』が言外に言いたいことはつまり、ヴォネガットの作品はまともな芸術としての文学としての評価は微妙なところがある(青臭い理念をSFコメディの形式で描いた小説として、血気盛んな若者の熱狂的な愛読書にはなるが、十分な分別を身につけた大人にならばいつかはそこから巣立ち、もっと深遠な文学と対峙するはずだ)……ということであろう。

小説家としての引退を宣言してからもヴォネガットは、アメリカの好戦的な姿勢と過度の商業主義、弱者切捨ての競争原理や、環境破壊をもたらす高度工業化社会などへの批判者として知られていた。特に、9.11事件以降のアメリカの愛国主義的熱狂には辛辣な態度を取り、『イン・ディーズ・タイムズ』のようなオルタナティブ・メディアにおいて、祖国への批判と幻滅をエッセイとして綴った。『ローリングストーン』誌は、「私はエレミヤだよ」とアメリカの現在への絶望を語るヴォネガットの姿を、「ナチスの捕虜となっても、母親の自殺にも耐え抜いた彼であったのに、彼を打ち砕いたのはジョージ・W・ブッシュだった」と題して描いているDouglas Brinkley. Vonnegut's Apocalypse. 2006/08/09
今回集めた追悼文の中には、米英の労働運動団体やヒューマニスト団体、人権擁護活動などの団体による声明も多い。その一方で当然というか、共和党的な保守主義者やガチガチのキリスト教原理主義者、対アラブ強硬派のシオニストなどからの評判はきわめて悪く、タカ派的報道姿勢で知られる「FOXニュース」(ここに収録した地方ニュースとは別のケーブルTV番組)では、ヴォネガットの死に際してまで、かなりの悪意に満ちた冷笑的コメントが流された。アメリカにおけるリベラル対コンサバティブという非常に単純な対立図式に限定した場合、ヴォネガットの表象的位置付けは明確であり、マイケル・ムーアがアメリカの弱者切捨ての医療制度を皮肉った最新作『シッコ』のエンドロールに、「すべてにおいてありがとう、カート・ヴォネガット」というメッセージを記したあたりが、その辺の雰囲気をよく表していると言えるかもしれない。

ヴォネガットの作品自体を文学的に再検証するような追悼文があまり見られなかったことが、私としては不服だった。本当にヴォネガットは「マンガ本の哲学者」に過ぎず、文学としては見るべきもののない、稚拙な思想家もどきの道化的存在だというのだろうか。そこで、ヴォネガットの「人となり」――ドレスデンの捕虜体験や母親の自殺という個人的経験――からではなく、彼の作品そのものの構造によってヴォネガット作品の文学的な意義を説き明かそうとした野心作を、ここに収録する予定だった。タイトルは『Original Sin and Original Virtue: Reading Kurt Vonneguts Dystopian Novel』という。この論文の作者によれば、ヴォネガットの作品に繰り返し現れる反ユートピア的イメージは、現代文明への批判を為す上で、主題の設定と修辞的な戦略に一貫した特徴を持っているという。科学技術の過大評価への批判的態度と、ダーウィンの自然淘汰説を社会に適用することへの異議が主題であり、そしてそのように歴史を進歩の連続として見ることへの反論として、非線形的時間モデルを提起することが、ヴォネガットの修辞的な戦略であるそうだ。
書いたのは34歳にして大学生だったカウンターカルチャー(オタク?)の敗残兵、つまり私だ。多くの参考文献からの正確な引用もあって、それなりに説得力もあるのだが、改めて読み直して見ると、どうもこの論文の作者にはあまり文学的な教養がないらしい。しかも、母国語ではない言葉で書いているためか、時々小学生の読書感想文のような幼稚な論理展開が露呈されている。「というわけで、ほらね、つまり、ええと、ヴォネガットは、技術的発展がもたらす人間疎外を告発したのでした」みたいな。自分のヴォネガット論を読んでいるうちに、うーん、こういうレベルの読者がむきになればなるほど、だからヴォネガットなんて「マンガ本の哲学者」に過ぎないのさ、その程度の読者だけが喜ぶ作家じゃないか、ということになってしまうのかなあ、と悲しくなってきた。
しかし、それでも私は、とにかくヴォネガットが好きでたまらないらしい。課題を提出したイギリス人の先生に「わーお、ヴォネガット! へえ、そういえば僕も若かりし頃には読んだもんだけどなあ。すごい昔だよ。」と笑われた筆者の野心作から、一部を引用してみよう。ちょっとだけ我慢して、この人の涙の訴えに付き合ってほしい。

アメリカでSF作家として成功を収めたカート・ヴォネガットは、『Dictionary of Literally Biography, 20th Century American Science Fiction Writers』において「反SF」小説家として定義されている。SF研究家のトマス・M・ディスクは、ヴォネガットを反SF作家と定義するに当たって、彼の小説の以下のような特徴を挙げている。「文学性を‘最優越’と見なす価値観と、高い理想、そして枠にはめられることへの拒絶である」(Disch xi)。しかし、この説明になお欠けているのは、優れた小説家としての自負に満ちた彼の試みが、なぜジャンルとしてのSFと矛盾するものであり、なおかつ、なぜ彼が現実には手法としてのSFを選択したのかという疑問に対する説明である。ヴォネガット自身のSFへの姿勢そのものを検証することによって、そのことは明らかにされねばならないだろう。
実際、ヴォネガットはSFの文学的価値を、より正統的なジャンルの小説と同等に見なしているのみならず、このジャンルならではの特別な機能を認識している。ヴォネガットの小説『スローターハウス・ファイブ』の登場人物であるエリオット・ローズウォーターは、作中で「SF」の特徴的な意義をこのように定義している。エリオットは、『カラマーゾフの兄弟』のような古典的作品は「人生について必要なことはすべてそこに書いてある」としてその価値を認めつつも、「でもそれだけじゃもう足りないんだ」(Slaughter. 96)と言う。もしも文学の本質が人間の生と深く関わるものであるのならば、文学が扱うテーマが人間の社会の歴史的な変化に伴って変質を要請されることは避けられない。科学の発展の影響力は、今や古典的小説が経験し得なかったような新しい問題を投げかけている。科学技術は人間の生にどのような変化をもたらすのだろうか。それは人類の未来をより幸せにするものなのだろうか。SFが果たす役割の可能性のひとつは、このような疑問に対して「こと足りる」答えを見いだすことであろう。ヴォネガットは現代における小説のそのような使命を自覚していた。したがって、彼はSFというジャンルをあえて自ら選んだのである。
 カート・ヴォネガットにとって、科学技術は人間の未来に対する万能の解決策ではない。それはおそらく、ゲーンズバーグが1926年にSFについて定義した下記のような無邪気な概念とは相容れないものである。「科学的事実と予言的ビジョンの魅力的な融合であり、[……]今日のSFで描かれる新しい冒険は、未来には実現不可能ではなくなるだろう」(qtd. in Clute 311)。このようなSFの枠組みからの逸脱という意味において、ヴォネガットは真に「反ジャンル」的な小説家であると言えるだろう。彼の小説に見いだされる科学の進歩への予言的イメージは、楽観的なものではなく「ディストピア=反ユートピア」である。ヴォネガットの提示するディストピア的イメージを検証することは、人間の行いがもたらす帰結を再考し理解することにつながるであろう。

SFというジャンルに、実は私はことさらの興味を持っていない。まして、日本のオタクたちが大好きな『ガンダム』だの『エヴァンゲリオン』といったSFアニメの、戦争ごっこの自己陶酔的なヒロイズムにはいい加減うんざりする。第二次世界大戦で、ドレスデンで捕虜となって自分の頭の上に連合国から爆弾を落とされたドイツ系アメリカ人が描くSFが、戦争の英雄的側面への賞賛を可能にするわけがない。「戦争中のわたしたちは、子供時代の終わりにさしかかったばかりの愚かな青二才だった」と、『スローターハウス・ファイブ』の序文に記したときのヴォネガットは、既に若者ではなく、40代の半ばに差し掛かっていた。ベトナム戦争の時代、それに異を唱える若者たちの愛読書となったヴォネガットの作品は、9.11以降も、イラク戦争に異を唱える若者たちに再発見された愛読書となって、その「カウンターカルチャー=対抗文化」における文学的機能をそれなりに果たし続けている。
それに比して、日本の「サブカルチャー=副次的文化」の文脈でいっときもてはやされたヴォネガットが、一貫した語りの構造を破壊する断章的形式の目新しさや、表面的なニヒリズムばかり注目され、歴史的・政治的な文脈における意義を考慮されることなく消費されたことが、私はとても不満である。若者の青臭い理想に力を与える80歳の作家を持てなかった国に生きながら、正統的な大人の文化と断絶した世界に引きこもってしまった日本の「サブカルチャー」の未熟が、悔しくて仕方ない。『宇宙戦艦ヤマト』ではなく、『スローターハウス・ファイブ』を読んでいたら、『猫のゆりかご』を読んでいたら、それでも世界の終末に備えてサリンを地下鉄に撒いたりできただろうか。あの世代が、私の世代なのだ。

『カラマーゾフの兄弟』だけでは足りない、という現代の諸問題に対して、ヴォネガットの小説は、有効な解決策になる便利な処方箋を提示するわけではない。しかしその代わりに、ヴォネガットは無教養なティーンエイジャーでも理解できるような平易な祈りの言葉を贈る。例えば、赤ん坊の洗礼を無理やり頼まれたローズウォーター氏が考えた、生まれてくる子どもたちへの挨拶。

「こんにちは、赤ちゃん。この星は夏は暑くて、冬は寒い。この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。なあ、赤ちゃん、きみたちがこの星で暮らせるのは、長く見積もっても、せいぜい百年くらいさ。ただ、ぼくの知っている規則が一つだけあるんだ。いいかい――なんてったって、親切でなきゃいけないよ。」(浅倉久志訳『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』)

あるいは、セクシー女優ワイルド・モンタナハックが裸の胸にぶらさげている、アル中で死んだ母親の写真を入れたロケットの表面に刻まれた、アルコール依存症患者自助更生会のお祈りの言葉。

「神よ願わくばわたしに変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ。」(伊藤典夫訳『スローターハウス・ファイブ』)

もしくは、こんなひどい世の中に赤ん坊を送り出すのは間違いではないか、と手紙で尋ねてきた妊娠中の女性に、ヴォネガットが答えたという返事。

「わたしはこう答えた。聖者に、つまり、非利己的で、しかも有能な行動をしている人びとにでくわすたびに、わたしは生きがいに近いものを感じる。聖者はきわめて意外な場所に現われる。だから、親愛なる読者よ、ひょっとするとあなたも、やがて彼女の赤ん坊が出くわす聖者であるかもしれず、いつかはそんな聖者になれるかもしれないのだ。わたしはオリジナル・シン(原罪)の存在を信じる。わたしはまたオリジナル・ヴァーチュー(原徳)の存在をも信じる。自分のまわりを見まわそう!」(浅倉久志訳『タイムクエイク』)

名言集というのはアメリカ人の大好きなものの一つのようで、アメリカには「今日の名言(Todays Quote)」などの表題で、色んな有名人の言葉を抜書きしたウェブサイトが大量にある。ヴォネガットの印象的なフレーズは、そういう抜粋集にもよく好まれて掲載されているが、もちろんこういった言葉は、小説全体の文脈の中で読むと、人生を簡潔に要約していると称する類いの、口当たりがいいだけの格言として存在しているわけではない。しかし、おそらくヴォネガットの著作を読んだことがないはずの消防士たちが、本編の冒頭に挙げたローカルニュースにあるアルプローズ消防団に贈られた言葉を、自分たちの士気を高めるキャッチフレーズに使っていたりするのを見ると、ヴォネガットの単純な言葉が心に届く射程が相当な広範にわたっていることがわかる。おそらく読んだことがないはず、というのは、作者の名前の綴りがひどく間違った(Curt Vonnegutとか)ままで、彼の言葉があちこちの地方消防団のサイトに転記されているのを見たからだ。こういうところも、彼が「マンガ本の哲学者」と言われてしまうところなのかもしれない。
ヴォネガットの登場人物には深みがないとか、中産階級的な理想主義を超え出るものでないとか、やはり「文学界の世界プロレス協会」出身の作家に対して、正統的なアカデミズムからの反応は冷たいものもある。しかし、宗教家でも思想家でも、学者でも社会運動家でもなく、一人の小説家である彼の言葉は、面白おかしい物語のかたちで贈られる、現代の世の中への祈りの言葉だ。人間がもう少し助け合って、他人の都合や未来のことを考えながら、親切を惜しまずに生きていければ、という祈り。現実がそうでないことを知っているからこそ、ヴォネガットの言葉はアジテーションや理性的分析や教条主義的主張ではなく、それぞれの事情で様々な生を送るすべての人に向けて、真剣に祈る言葉だったのだと思う。「わたしたちはぶらつくために、この地上に生まれてきたのだ。他のことを言う人がいても、言うことを聞いてはいけませんよ」という言葉で締めくくられる彼のエッセイ(『A Man without Country』に所収。別ヴァージョンの同じエピソードが『タイムクウェイク』にもある)は、近所の雑貨屋へ封筒を買いに行ったり郵便局の列に並んだりしながら、そこにたむろする様々な人たちを見つめて、他愛もないおしゃべりを楽しむ老作家の一日を生き生きと描いている。インド人の店主夫人の額のルビーや、郵便局の窓口にいるおしゃれな女性の毎日変わる髪形に驚嘆し、「すごくいい時間が過ごせた」と家に帰る。
彼を追悼するゆかりのある人たちが思い出すのも、何だか他愛もないエピソードばかりだ。おかしな電話をかけたり、階段に腰掛けて通行人を眺めたり、ズボンに焼け焦げを作っていたヴォネガット。子どものおもちゃに鍋釜を用意したり、ココアの袋をひっくり返したり。パーティーの席でうたた寝をしてグラスを蹴っ飛ばして、両足をジュースに浸してしまった7歳の女の子に、「おねむのあんよはジンジャーエールが飲みたくなるのさ。君くらいの年頃の男の子が前にそう教えてくれたよ」などと慰めるヴォネガットの言葉を、大きくなって友達のブログに書いていた女子高生――ジミー・ブレズリンの孫娘――もいた。「人生の意味は、生きるに値すべき、笑うべき瞬間にこそある。それは、不味いチキンサンドイッチであり、そこに意味があるのだ」とローリーン・ヴォネガットは書いているが、何よりもカート・ヴォネガット自身が、ガーディアン誌のアンケートの「いちばん幸福だったのは、どんな時、どんな場所でしたか?」という問いに対して、かつてこんなことを書いている。

「十年ほど前、わたしの本を出しているフィンランドの出版社の社長が、あの国の永久凍土のすぐそばにある小さい宿へ案内してくれた。わたしたちはあたりを散歩して、藪で熟したまま凍っているコケモモを見つけた。口のなかでそれを溶かしてみた。まるで天のだれかさんが、わたしたちにこの世界を気に入ってもらおうとしているような感じだった」(浅倉久志訳『死よりも悪い運命』)。

偉大な人の人生には一貫した主題があり、その追求の道こそがその人の思想であったと、歴史上の哲学者たちは振り返られることになるのだろうが、誰にでもあるはずの「凍ったクランベリーを食べて幸せを感じた瞬間」は、その思想にきちんと足跡を残しているのだろうか。私はそんなことがとても気になる。そんなの哲学には関係ないというのならば、やはり私は哲学者よりもカート・ヴォネガットの方が好きだし、いつか自分が死んだ後に残るものも、そのような思い出であればいいなあ、と願う。
だって生きていくってそういうことじゃないか、文学が向き合うのもそういう存在である人間の生なんだから、と、どこかで今も私は思っているから。

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