ちょっと演歌ぽいタイトル(違うか…)。
出遅れた私の「反核デモ仕事初め」は、脱原発世界会議に合わせた横浜になりました。
運河に面した公園で空の広さを感じながら、年明けの再会にあちこちであいさつをかわしつつ、多彩なスピーカーの発言に高揚する集会もいい感じ。お年寄りや子ども連れのファミリーもたくさんいて、大規模デモならではのごたまぜ感が楽しい。クリスチャンと仏教者がほのぼの話し込んでいたり、労組系の幟と、トゲトゲのパンクスが入り混じっていたりして。
デモでうれしいのは、車道を堂々と歩けること。しみじみ考えると、日ごろ「歩けない」というのも不自由な話なんだけど、丁寧に許可を取り付けてくれる主催者に感謝したいポイントかもしれない。
今回は警察もあまり意地悪ではなく、場所によっては車道いっぱいに広がれるスポットもあって、そのへんを機敏に察してさーっと展開してくれたクラウンさんたちのフットワークも絶妙だった。言いたいことを言いながら広い道を歩く解放感は、「街はだれのものなのか」という感覚を喚起してくれる体験でもある。
信号待ちは一切なしという皇族並みの待遇(笑)。長距離だから疲れたけどね。海を見ながら、埋立地の高層マンションからレンガ造りのハイカラな町並みまで、様々な顔を見せる楽しい道を歩いて、おしゃれなレトロ風味の観光バスから奥様方に手を振られたりするものですから、よし、がんばって歩きますよ、と。まあ、寒いし、あまり沿道に人はいなかったという事実もあるものの……。
生のビートに包まれたかったから、先頭のドラムブロックに混ざった。間近で交わされるさまざまなリズム間の対話のうねり。とてもエモーショナルで、単調なシュプレヒコールよりも雄弁ななにかが、あるんです。
歩く間は汗をかくくらい暑くて、山下公園で残りの2ブロックの到着を待っている間には手がかじかんでくる。それでも、全員のゴールに立会いながら、合間にふと、観覧車や氷川丸や工業施設のさまざまなイルミネーションを、一人でぼんやり眺めてた。鴎がふわふわ飛んでたり、夏にはアジサシの急降下を観察したりしていた平和なデートスポットであるこんな場所で(うん、自分もデートで来たことあります)、プロテストの意思表示をするという異常な現在が、いったいどれだけ追い詰められた状況なのかと、ちょっぴり悲しくなったりするわけですよ。つまらない感傷だから、浸っているヒマもないけど。
明けて15日、同じ横浜で脱原発世界会議に行ってきました。
古い友だちと、新しい友だち、これから関われそうな人たちと会えて、十数年ぶりの再会とかもあったりして、そういった広がりに行く末の可能性を感じつつ。縁のなかった経済系の話や、新鮮な目で見たヨーロッパからの楽しい抵抗運動の報告とか、知らなかった地方自治体レベルの動きとかも聞けました。
まあ、今年もぼちぼち、躓きながら転びながら、やるべきことを片付けていきたいです。
というわけで、「さあ、始めよう」というのが、閉会イベントのタイトルでしたよ。
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