もともと、サッカーの贔屓チームの浮き沈みなど、馬鹿話をのんびりするためのアカウントだったんだけど、地震の後は慌てていろいろ情報を集めるために使ったりして、さらにその後は、反原発デモ界隈でフォローする人が大半になった。
正月に両親が本格的に介護の必要な状態になったあたりを機に、反原発に関するあれやこれやに、以前ほど熱心になれずにいる。正直、それどころじゃないや……という、自分の身の回りのモンダイに気をとられることが多くて。目下の深刻さは、ただ自分の半径数十センチメントールに停滞していて、そういう個人的なことはだれとも共有できる問題でもないから、ある「イシュー」のもとに連帯できる人たちの言葉を眺めていると、余計に気が重くなってしまうことがある。
地震の後に、サッカーを見るのがしんどくなってしまったのと同じように、親が倒れてから、デモに行くのがちょっとしんどくなった。
それはたぶん、モンダイと自分との距離なんだと思う。
世の中への義憤に駆られて、デモに行っていたわけじゃないんだ、たぶん。
それは、とても個人的な怒りだっただけ。
でも、きっと自分にはそういう距離感でしか、あらゆる「イシュー」との接点が探せないんだと思う。そして、そのことは無責任かもしれないけど、自分にとっては誠実な態度だと思っている。
社会派ではない自分が、そのようにして外界と繋がろうとすることは、今さら無理矢理に社会派になることなんかより、真面目な方法だと思う。
そこで、ふと思う。
津波で家族を失った人や、原発でふるさとを失った人たちは、どんなふうに東京の反原発デモを見つめていたんだろう。
東京にいた私たちにとって、心底の恐怖と、個人的な怒りによって止むに止まれなかったあの頃の身の振り方だったのに、おそらく彼らにはきっと、「こっちは、それどころではない」という思いだってあっただろう。そのことは想像してはいたけれども、今、きわめて個人的な痛みの中に閉じこもって、だれとも共有できない喪失感や重荷と向き合う羽目になってしまうと、あらためてその「壁」を痛切に感じる。
就活が大変で、デモどこじゃないよ、と、冷ややかに路上で太鼓をたたく私たちに背を向けた大学生の気持ち、とか。
◆◇◆
親しい友には、深刻なからだの障害を持っている人や、不治の病に苦しむ人や、日本での民族的なマイノリティに属する人や、面倒な家族の事情を抱えている人がいるんだけど、彼女たちと喋っていると時折、「そうは言っても、健康な、日本人な、普通の家庭で育ったあんたになんか分からないよ」という強い拒絶に遭うことがあった。その頑なな壁を壊そうと、あなたの孤独を何としても和らげようとして投げかけるどんな言葉に対しても、全身全霊を以て拒絶するような高い壁。
その壁の前に、友であると信じる自分は、ただ友の痛みにけっして同一化できないことを、黙って引き受けることだけしか、許してもらえなかった。どんなに仲が良くても、けっして踏み越えられない痛みの場所を守るため、壁を築くこと。だれでも、そんな壁を持っている。
それはとても悲しいことだけど、だれもが分かり合えて、他人の孤独を肩代わりできるなどという夢想は、やはりどこかで傲慢なものでしかないかもしれないから。
だからといって、その壁を壊そうとする試みが全て、否定されるというものでもないし。
高い壁の前で途方にくれながら、それでもだれかと繋がろうとしながら、その無力を噛み締めつつ。
だれもが孤独であるということ、そのだれもが圧倒的に不可避である事実の前に私たちは、けっして孤独ではないという逆説。
今はとりあえず、そんなことをぼんやりと思いながら、また先に進もう。
まさかの二度目の大雪(2/14夜中) |
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