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2011年10月22日土曜日

防災婦人は自転車で走る[1]

極度の緊張は、異常な高揚感をもたらす。
311日の東京をどのように過ごしたかという話は、細かいディティールに差異はあるにせよ、おそらく私もあなたと、同じように怯え、混乱し、空回りする「何かしなくては」という思いに、右往左往していただけだ。
その話は、とりあえず後回しにして。

錯綜する情報に振り回されながら、張り詰めて過ごした緊張がぱちん、と、弾け飛んだのがいつだったか、今となっては明確ではない。日記めいたメモをいま読んでも、事実と感情が不分明な筆致からは、信頼に足りる記録が再構成できないのだ。

戦時中でも妙に醒めた視線を確保できた人たち――例えば坂口安吾みたいな――と同じような正気を保つのだと常々自戒していたつもりが、いざとなると、まるで頼りないものだね。
そういえば「あんた、坂口安吾になるなんて、無理無理。あたしらなんて所詮、もしも戦時中に生まれていたら、立派な軍国少女になって、テンノーヘーカのためにホイホイ作品を捧げるくらいなオッチョコチョイよ。決まってんじゃない」と笑ってたピアニストの友だちがいたな。
彼女の言ってたことは、半分はアタリで、半分はハズレってとこか。
戦争を知らない自分が初めて感じた「死ぬかもしれない」という体験は、生理的な恐怖として私の理性の大半をブッ飛ばしたけど、大本営発表のような言説への懐疑心ならば辛うじて残った。多分それは、東京と震源地の距離感に比例した混乱の度合い、みたいな感じだったんだと思う。
その数日間というのは、切れそうに細い綱の上を早足で駆け抜けるような勢いで膨大な情報を処理する毎日だったから、少なくとも、泣いたり喚いたりはしなかった。

何かがぱちん、と弾けた日は、いつだったか。
TVやネットにかじりついてた週末が過ぎ、月曜になって会社に行ったんだ。
とにかく、その後のことだ。

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