@mikanshibano on Mastodon

Mastodon@mikanshibano on Mastodon

2011年10月24日月曜日

防災婦人は自転車で走る[2]


地震のあと、会社と自宅が近かった自分は、いっぱしの防災婦人団といった風情でえらく張り切り、社内の徒歩帰宅者のためにスニーカーだのコートだのを差し入れしたりと、何だか走り回ってた。

夜には、「帰宅難民」になった友人を家に泊めた。
長らくケンカをしていた友だちなんだけど、あんまり驚いて仲直りしちゃったね。

闇の中、あちこちに火の手が上がる仙台の街の映像を呆然と眺めながら、いったい何人の人が死んだのだろうとぼんやりと考えていた。
土曜日、コントロールを失っていた福島の原子炉が爆発した。避難指示が出たとか、それでも危険はないとか。
TVにたくさんの専門家が入れ替わり立ち代り現れては、もっともらしい見解を述べるけど、ネットではさらにカオティックな情報が飛び交っている。

いちばんよく覚えてるのは、月曜の朝のニュースだ。
たしか、浦和駅だったか。
出勤のため駅にやってきた人びとが、停電で電車が動かないことを知って苛立ち、「どうしてくれるんだ。これじゃあ会社に行けないじゃないか」と駅員に詰め寄っている姿が中継されていたのだ。

余震が続く月曜の朝。
東北ではまだ何千人が命を落としたのか、救援を待っているのかも分からない月曜の朝。
原発から漏れ出した放射性物質が、いつ東京を飲み込むか分からない月曜の朝。
東京に住むわれわれは、それでも会社に行くために、電車が定時に間に合わないことを怒っている。

麻痺していた頭がようやく目を覚ます。
この状況は、異様だ。何かオカシイ。
何でこんなことになってまで、それでも会社に行かなきゃならないんだ?

とはいえ、結局自分も出社するわけですよ。
上の空のまま、それでも原稿なんか書いたりして。
だけどネットは繋ぎっ放しで、Twitterに流れる虚実混交の情報とか、何とか手綱を握ろうとして、本当はちっとも仕事なんかしていない。
隣席では、実家が東北にある人が、国土交通省が撮影した航空写真をネットで食い入るように見ている。一面の泥の海に消えてしまった故郷を指差して、力なく笑っていた。
「このへんが、自分ちのはずで、あ、ここは同級生の家があったんだけど。本当に何もないね。みんな逃げたかな。連絡取れないんだよね」

「お昼ご飯、食べてきます」
そう言って会社を出た。
昼間の街をぐるぐると当所なく自転車で走り回って、初めて涙が出た。
わんわん泣きながら、自転車で走った。

ぐるぐる、ぐるぐる、わんわん、わんわん。
それじゃ、なんだか「いぬのおまわりさん」みたいだなあ。
そんなふうにしか、泣けなかったんだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿