鯉のぼりが大好きだ。
子どものころ、鯉のぼりは「おにいちゃんのもの」だったけど、一年に一度、庭に立てた高い竿でひらひらと泳ぐのを誇らしく見上げた。押入れから取り出されて掲げられるまでの間、畳の上に寝そべっている鯉のぼりは自分の背丈よりも大きく、中に入ってみたいなあ、といつもうずうずするんだけど、「触ってはいけませんよ」と大人たちがやけに厳粛に言うものだから、なんだか神々しい存在に見えたものだ。
中学生くらいになって、そのころは「おとうとのもの」になっていた鯉のぼりを畳の上で見たとき、鯉のぼりに入ってみたいという衝動が消えていることにふと気づいて、うーん、自分も大人になったもんだなあとしみじみ思った。
なぜか、そんなことをよく覚えている。
定期検査で最後の原発が停止する5月5日を祝って、緑色の鯉のぼりを持って歩くことが、今年の流行です。アースデイのエネパレでも、昨日の1000万人デモでも、小さな緑の鯉のぼりが小旗よろしく参加者の手に配られました。海外メディアの取材にとっても、魚の形の不思議な旗は格好の題材になるようで、子どもの健やかな成長を願う鯉のぼりが脱原発の旗印に使われるという物語が、BBCやシュピーゲルなどで報道されていたみたい。
昨夜遅く停止した泊原発が最後の一基。北海道電力のウェブサイトで、リアルタイム発電量グラフの赤い線がゼロに近づいていくのを見ながら、今日の杉並デモに持っていく鯉のぼりに、最後の仕上げをしていた。中野の手芸用品屋さんで買った安い生地とスパンコール、友だちのステージ衣装の余り布、以前友だちに帽子を作ったときの余りのビーズ。おばあちゃんの嫁入り道具だったミシンと裁ちばさみを、久々にフル稼働した。
楽しいな。鯉のぼりをつくるのは楽しいな。
真鯉、緋鯉、錦鯉、これから毎年つくろうかなあ。
高円寺のデモから一年、いろいろ慌ててあちこち歩いたが、今日はまた高円寺に戻ってくる。原発全停止の端午の節句を迎えたことが、たくさんの脱原発の「成果」だったのかどうかはよくわからない。ただ、一年前のあの日、それまで誰かがどこかで決めたことを無気力に「仕方ない」とぼやくだけだった自分が、嫌なことは嫌だって、はっきり言おうと決意したことは確かで。
未来は自分でつくる。傍観している間に、勝手なものを押し付けられないように。
そういう気持ちを表すために、今日は自作のポンコツ鯉のぼりを連れて、高円寺を歩こう。
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