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2012年4月28日土曜日

金曜日はいつも雨降り


毎週末、習慣化してしまった官邸前の抗議。今日も雨でした。
あの場で大飯再稼動妥当との判断を閣僚会議が決めたと聞かされたときには正直気落ちしたが、懲りずにたくさんの人が参集しているよ。
ただ立ち尽くし、官邸すらよく見えない場所から、途方にくれつつ「大飯再稼動はんたーい」とか、叫んでいる。

街を歩くデモと違って、じーっと立っているだけのスタイルはしんどい。オープンマイクで、喋りたいことがある人が自由に喋る。さすがに「異議なし!」はないけど、「そーだそーだ!」とか、そういう合いの手を入れる群集のひとりになる。
たまに、「……いや、べつに自分はそうは思ってないんだけどなあ……」というような主張があっても、さすがに西荻デモみたいに「えーと、それは違うんじゃないかー」とかは言いにくいね。

喋り方も人それぞれな感じだった経産省前の小規模な集まりのころから比べると、怒りの抗議演説のスタイルが一定の方向に洗練されて、なんとなくプロレスのマイクアピールっぽい感じに固まりつつあるのは、なぜかな。「皆さん、こんばんは! おい、いいかー! よく聞けー、野田! 俺たちはなあ、お前にー、怒っているんだぞー!」みたいな。
うーん。

マイクを持つ勇気のない私が、言いたいこと。毎回、あの場に立ちながら、自分はなにを訴えたくてここにいるんだろうと自問する。
「怒り」という表現を忘れてしまった、意気地なしの自分の場合は?

たとえば、こんな調子か。

チェルノブイリの事故があったとき、私は高校生でした。あのとき、とても怖くて、もう人間は滅びてしまうのではないかと、本気で怯えていました。原発はヤバいって、本気で思ったはずなんです。
それなのに、自分はなにもしなかった。そして、福島の事故が起こった。だから、責めたい敵がいるわけじゃない。なにもしなかった自分を責めるより他にない。
あのときに守れなかった未来が、現在の福島なのだから、それで、いま私は「未来を守れ」と叫んでいる。なにもしなかった自分が許せなくて、いま。
無垢な庶民と無慈悲な政府なんて、そういう陳腐な対立の図式に乗っかって、あなた方政治家を責めるために来たわけではないんだ。あなた方が私たちの代表であるのならば、かなえたい未来を、自分の声で、あなたたちに伝えるしかない。その方法がよくわからないから、私はここで私は立ち尽くしている。せめて思っていることを、聞いてもらいたくて。
主権在民という古臭い言葉を、小さいときから信じていた。あなたたちは、私たちの言葉を聞かなければいけないはずだ。人びとの声を代弁して、この国の行く末を決めることが、あなたたちの仕事であるのなら。
シュプレヒコールなんて、得意じゃないんです。
責める相手は、敵である政府ではなくて、こんな事態を招いてしまった「われわれ」で、そのひとりが自分なんだもの。
なんの責任もない、子どもたちのためにある未来を、今度こそは大人として守りたいから。
こうして、雨の中に途方に暮れて、木偶の坊みたいに立っているんです。

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