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2014年11月3日月曜日

クラスタ化が進む…最近の雑感

秋の行楽シーズン、真夏のうんざりする暑さもようやく衰えて、10月はあちこちでいろんなデモが開催されました。
自分はというと、どこにも参加してないです、最近。

SASPLという、特定秘密保護法を勉強して、それに反対する学生さんたちが運営しているデモ、初回は「沿道から手を振る通りすがりのオバサン」をやりに新宿へ行きました。おそるおそる参加する人には、何よりもそういう応援があるといいかな、と思って。さすがに若作りして隊列に加わるのは憚られたから。
今月末にあった同団体のデモに初めて参加した若者の初々しいレポートが『マガジン9』に上がっています。そうそう。歩いていると、泣けてくるときがあるよね。ただ笑いかけてくれる人がいるだけで、すごくうれしくなる。渋谷原宿あたりの欧米系観光客が応援してくれるってパターンも、何故か私の歩いた反原発デモと同じだ。福島事故後の反核というテーマなら、国は違っても賛同してくれる人が多いからかな、と思っていたけど、日本の国内法に関する主張でも、温かい視線になるのね。単純に、デモという方法で意志を示す風景を、好ましいものとして見ているのかな。サウンドカーとか、ドラムとか、そういう華やかなパレードでもあるしね。
一方で、この子が経験したのと同じく、やはり変な目で見られることもあるし、若いお嬢さんに中指を突き立てられたこともある。雨天の中野だったか……すごい目でこちらを睨んでいた。原発が必要と考えるから、反対の意志を表明したのか、それとも、「能天気にデモなんかやってんじゃねーよ」っていう反応か……。
いずれにしても、「私はいろいろな意味で涙ぐみました」という感想は、やはりデモには無関心な立ち位置から参加者に転じた自分にとって、すごい共感するところがあります。

SASPLは学生さんのデモで、やはり最近開催されたスーツデモはサラリーマンのデモ。こちらはサラリーマンの意思表示ということで、初回はインチキくさいスーツ着て行ったんだけど、今回はパス。やっぱり普段スーツで働いているわけではない自分がスーツを着ても、それじゃあ単なる仮装になってしまうしね。ここは、若作りして学生さんのデモに加わらないお行儀と同じく、本物のサラリーマンにお任せしたほうが潔い。サラリーマンの街である新橋って空間に自分が割り込むことの違和感みたいなものも、初回に参加したときにあったから。

福島事故後の右往左往も、2014年になって、いろいろとクラスタ化の方向に落ち着いているような気がする。同じ主題でも、「あの人たちが主催なら、ちょっと……」という消極的な分裂もあるだろうし、次第に自分たちの仲間が居心地のいいところに固定化して、それぞれの得意な路線に進んでいるということもあるだろうし。

最初の高円寺のデモは、真面目そうな主婦からただの酔っ払いまで、とにかくやむにやまれず集まった人たちの種々雑多な感じに、すごい解放感を感じたんだけど、そんなことなかったのかな。このごろ、そういうふうに感じることって、なかなかないのだ。
趣味の違いとか、表現の違いとか、主張の細部の違いとかにこだわって、集団が「均質」であるほうが安らぎを覚えるのって、デモに限らずよくあることだから、そういうほうが、日本人には向いているのかな。

共通である部分を探すよりも、違う部分を探してしまう、(たぶん)悪い癖。
「連帯の可能性」なんてことに悩むうちは、きっといきなり「われわれ」になろうとしても、それは無理があるし。
これじゃ、「ゴール裏におけるライトサポ」モンダイとか、そういうよくある話がまた繰り返されるだけのように思えて、気持ちが暗くなる。

かつての通学路にて








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