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2014年10月1日水曜日

6頭立ての葦毛の馬車で、山を越えて。

子どものころ、確か伊東屋で買ったんだと思うが、紙細工のおもちゃで遊んでいた時期がある。切り抜いて、半立体に組み立てると、お祭りのシーンが出来上がるというおもちゃ。赤いリンゴや黄色いリンゴが山盛りの木の樽を並べて、丸太の柵を組んで、白黒のブタさんや茶色いニワトリさんを配置する。クラシックな服装をしたたくさんの人もいて、いろいろとレイアウトしてお祭りごっこをして遊んでいた。
ローラ・インガルス・ワイルダーの本をすべて読みふけっていた小学生でもあったし、「アメリカの田舎のお祭り」はとても楽しそうに思えた。チャーリー・ブラウンとペパミント・パティも、可愛らしいカーニバルでボーリングのピンを倒したり、わたあめを食べたりしていたよね。

大人になって、それがどうやらカウンティフェアという伝統らしく、大きく育てたカボチャや、丸々育てたブタさんなんかを農家の人が自慢する「村の品評会」で、レモネードを飲んでダンスをするようなお祭りであると、何かの本で知った。
マーク・トウェインのように、作家が各地に巡業して朗読会をすることがあったり、巡回遊園地やサーカスが田舎町にやって来たり。ワイルドランドな合衆国の庶民文化の形成に、そういう類のお祭りなどなどが大きく寄与しているとか何とか、たぶんそういう話。

(※映像はイメージです)

◆◇◆

激安チケットが取れたから……と友人に誘われて、強行軍でLAに遊びに行くことになった。
ユニバーサルスタジオも、ブロードウェイもとくに興味ないし……ということで、友人は海岸線のドライブを計画。旅程のうち1日は私が計画立案を担当することになり、LAカウンティフェアを提案申し上げたわけです。ブタさんのレースがあるという宣伝文句に興奮。
つまりはかつて夢みたあのお祭りが、そこにある!と。

LAは私も友人も初めてで、そのポモナという田舎町が宿を取るLAダウンタウンからどのくらい離れてるかも、感覚的によく把握できない。とりあえず50 kmくらいか……公共交通機関を調べたが、平日には電車は止まるのかどうか覚束ないし、だいたいそんな長距離移動をダサい観光客が安全にこなせるのか? ついでに根本的なことを言えば、白人の農家の人とかが客層の主流だったら、アジア人のわれわれは肩身が狭い思いをするのではないか? などなどと、不安は尽きない。
結局ホテルのコンシェルジュさんに聞いても、「えー、ポモナ行くの?」ってなもんで、検索に四苦八苦の末、日に5本しかない電車を教えてくれたところでせいいっぱい。

諦めかけたが、友人が夜中まで執念深くネット検索をしてくれた末に、ようやく長距離バスで行けることがわかった。

で、当日。バス停を探すのも一苦労だったんだけど、他のバスを待っていたおばあちゃんが話しかけてきて、「いい天気ねー。元気?」「…あー、どーもー。私ら、ポモナのカウンティフェアに行きたいんだけど、バス停はここでいいんでしょーか?」「あら素敵。バス停はここでいいのよ。」「ありがとうございます。LA初めてで、昨日日本から来たばっかなんで……」「まあ!ようこそ!それはスゴイわー。私、LAは暑いから嫌いなのよ。日本はこんなに暑いのかしら? そういえば昔、私の近所にも日本人の一家がいてね、そこの娘さんと仲良くしてたのよー、それでね(以下、長話諸々)」

というわけで、無事にバスに乗った。料金は4ドル弱。
乗り換えもあるので最後まで気が抜けなかったが、何とかかんとか会場に辿り着くことができた。

屋台の色彩はとても派手。
田舎の村祭りは、いまはむかし。
LAカウンティフェアは、トヨタの車や、ジャグジーバスセットや、野外キッチンのご商談ブースなんかも完備した、大規模なショーギョーシュギ的なお祭りでした。
それでも、炭焼きのターキーレッグやクラフトビールの屋台もあるし、牛さんも豚さんも「ふれあい動物園」みたいな感じで鎮座しているし、キツネザルやシマウマのいる移動動物園もある。サーカスに移動遊園地もあれば、地元大学生が解説する植物園という「文化的」な出し物もあるし、便利なキッチングッズの実演販売はまさに香具師の口上。
訪れる地元の家族連れは、ヒスパニック系の人たちがメインで、勝手に想像していたような白人の農家の人……とかは、どうやらこの界隈には元々あまり存在していなかったのかもしれない。遠足らしき小学生や中学生の集団が何グループもいて、きゃーきゃーはしゃいだり、いかにも中学生的な自意識過剰を垂れ流しつつ、仲良し同士でからかい合ったりしているのが可愛らしかった。バカみたいな感想だけど、あ、子どもってどの国でも、やっぱり子どもなんだなあ、とか。

祭の家族連れ。遠くに山が見える。

LAへの帰路の長距離バスは、夜勤に向かう勤め人らしき人々を中心に混み合っていた。お金持ちはバスになんか乗らずに自家用車を使うのか、どれも慎ましい身なりの人ばかりだ。ひどく疲れているような人もいれば、おしゃべりに興じるおばちゃん連中もいる。

バスの運転手さんはがたいのいいオッチャンで、乗車の列に割り込んできたヤンキー(日本語的な意味でのヤンキーです)のお兄ちゃんを、「待て、先に並んでいたこちらのお嬢さんが先だ。ここは俺のバスだ。文句を言わずに下がれ。割り込むつもりなら俺はお前を乗せない」などと叱り飛ばす。強面の兄ちゃんが渋々ふて腐れて譲ると、上機嫌に大声で歌を歌いながら運転していた。

別の停留所では、降車した少年が、発車しかけたバスに駆け寄り窓をこぶしで叩いた。オッチャンは「バカヤロウ何しやがるんだ!」とまたしてもすごい剣幕。少年が指差したのは、バスに乗り遅れた黒人のお父さん。乳母車で赤ちゃんを連れている。「この人を乗せてあげて」と、少年。
オッチャンは「わかったが俺のバスを二度と叩くんじゃねーぞバカヤロウ」と、親子のためにドアを開けた。オッチャンの悪態に向かって、野球帽にダボダボの腰穿きズボンの少年は、バスの外から誇らし気にピースサインを突き出した。
乗って来た赤ちゃんは、にこにこと隣席のおじいさんに笑いかけていたが、気難しそうなヒスパニックのおじいさんは、不機嫌にうつむいて頑なに目を合わそうとしない。やっぱりマッチョな文化圏の男たるもの、赤ちゃんに愛想は振りまけない沽券があるのかしら……などと想像しながら、アジア人のオバサンである自分は、変な顔して赤ちゃんの気を惹いて遊んだ。
オッチャンの朗唱が響くおんぼろのバスは、そんな調子で、夕暮れのハイウェイを走って行った。

◆◇◆

異国からの観光客にとって街の人々は、景色のように遠くにいて、ただ一瞬のすれ違いで過ぎ去ってしまう。多分に無責任な距離感でしか、関わることがかなわない「アメリカ」の風景にすぎないんだけれども、それでも何だか人懐こい親切心と、無遠慮な勝手さに妙にほっとすることが何度もあって、短いけど楽しい旅だった。
今回のハイライトは、この「“俺のバス”を仕切る元気なオッチャン」のほかにも、「リベラルなスローガンを書いたステッカーを路上で売るオールドヒッピーらしきおじいちゃん」「海辺で一緒にコントみたいなやり取りをする羽目になったバカ大学生たち」「ついにホールドアップだ万事休すだと思ったらハーツの親切な店員さんでした本当にごめんなさい」「弾丸トークが止まらない老運転手さんの地元自慢」などなど、うーん……とにかく人情の旅でした。

帰国後、LAに住んでたことのある友人に電話で、「いやあ、意外だったよLA。人情の街だねー」とそんな珍道中を報告した。「ほら、TVや映画だと、キラキラしてセレブしかいないような、そんな印象じゃない?」と、素朴な感想を告げる。
友人は笑って言った。「あ、ビバリーヒルズ高校白書とかね、あれはSFの世界だから」。
SFかあ……。

ゴージャスな正装で仮面舞踏会を開くお金持ちがいる(初めて見たよマジだったよ)ホテルの2ブロック先では、車椅子に全財産を乗せたおじいさんがゴミだらけの路上で力なく横たわっている。
9.11を迎えたワシントンからの、ISISなんかを改めて非難する演説に、FOX TVのアナウンサーたちがさらに扇動的な解説を加えるのをぼんやりと聞きながら、メキシカンファストフードの豆と米をプラスチックのスプーンで食べて、巨大な缶の薄いビールを氷で冷やして飲んだ。

たしかにSFかも。

A tree in the land of science fiction.

◆◇◆

でも、近頃じわじわとこの国を蝕んでいくような閉塞感に、息が詰まりそうになっていた自分は、ペリカンの群れが飛ぶカリフォルニアの青い空の下で、久々に深呼吸してた。

自分が世界だと思う場所は、世界のほんの一部分で、そうだ「ここではないどこか」を夢みることができなくなったとき、おそらく本当に自分は小さな世界で窒息してしまうかもしれない。
だから、広い海の彼方に、いまも別の世界の別の人々の暮らしがあることを、それがあらゆる海の彼方に、様々なかたちで存在していることを、時折こっそりと思うようにしよう。












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