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2014年7月7日月曜日

誰がニュースを作るのか?(わたし、とすずめがいいました)

日中仕事をしながら早朝はワールドカップの試合をTVで見ながら夜は集団的自衛権閣議決定に抗議したりしていると、確実に中年の身体にはガタがきている。部屋掃除、親の愚痴聴き、家賃の支払い、切らしていたせっけんを買いに行く、鉢植えの手入れ。実に雑多なchoresの狭間で優先順位を見失いながら、また一週間が巡る。

先日の官邸前には、集団的自衛権に関する閣議決定を何とかしたいと思う人たちが、結構な数の人波になって押し寄せてた。TVはそれをどう伝えるか、新聞はそれをどう伝えるか……ニュース番組の構成にも、紙面の配分にも、それを伝える人の決める編集という行為があるから、結局はあの場に実際に参加した人間がそこで自分の身体で体感する「情報」とは、大きな隔たりがある。そのことにもうあまり不平はない。スタジアムでサッカーを毎週見ていた頃から、どうせTVのスポーツニュースでは、今日の試合は大きく取り上げられることなどないし、って、そういう経験はいくらでもあったから、だったら「マスコミ不信」なんかになるのすら馬鹿らしく、TVの前に座っているよりも、とにかく現場に行ってしまうのが正解って思ってる。
幸い、ネットというものがあるから、その場所にいる人や、問題の当事者からの無編集な直接の発信というのも可能になったので、一次情報に接するのが難しい遠い場所の話であったとしても、ただ受動的に商業的な報道を待つだけではなく、あちこちに自分なりの情報網を作って聞き耳を立てることもできる。

だれもが、自分で自分用の新聞を毎日作っているようなものだ。
そのニュースにvalueがあるのかないのかは、他人に決めてもらわなくてもいい。だれかの都合に合わせなくてもいい。

しかし、私の新聞の紙面は混沌としている。
一面で安倍の動向に怒りながら、スポーツ面でアルジェリアの最後の1点に涙を流し、そうだ掃除機のフィルターパックを買わなけりゃ掃除ができないぞ、なんて注意書きも書き付けて、半分だけ残っているズッキーニをどうやって食べようかな、という家庭欄。レンタル自転車を借りて、学会で講義を聴いて、午後の福島の健康調査を追ったドキュメンタリー映画を待つお昼には、武蔵野うどんを食べに行く。
母からの気の重い電話を切って、眠れずに起きた深夜に、何か自分の生活に全く関係のないことを考えたくて、Googleの検索窓に「デロリアン」と入れてみた。ステンレスの車、扉が上に開く車、バック・トゥ・ザ・フューチャーの車、酔狂な人の作った酔狂な車。取りとめもなくしばらく文字の連なりを追いながら、白む窓の外でヒヨドリが鳴き始めるころには、何だか少しは気が楽になってきた。

自分で決める自分のニュースはカオス。
大事なことの順位は今日もよくわからないまま、嫌な時代の節目になるかもしれない一日を、明日へつないでいく。

官邸の周りを抗議して走る車(6/30)



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