「こうありたい」と願うだけのことはとても無責任で、「今ここにある私」との距離がどれほどか隔たっていても、幼いころにその距離を望むことは、「いつか」という前借りした希望の前に、何となく免責される都合のよさがあった。
歳を重ねて、もはやそういう言い訳が見苦しくなる今になっても、青臭い物言いを断罪できるほど、立派な大人になれたわけじゃない。ぐだぐだで、ゆるゆるで、身贔屓のズルは結局、子どもの自分が何で泣いたかすら、忘れることもできない。
「今度書くお話のタイトルはね、『木の手鏡』というの。まだ、どんな話になるかは、これから考えるよ。」私は、そのお話を書き上げることができなかった。
「あ、こういうのはどうよ。昔々……樵が池に、手鏡を落としました。すると女神が出てきて、お前の落としたのは、この金の手鏡か、銀の手鏡か。樵は思わず『金の手鏡でございます』。すると女神は言いました。『この、ばっかもーん!』」
◆◇◆
今は呆けてしまった父がよく言っていた。「江川がけっして成し得なかった幻の成績が、彼が引退しても希望だったんだね」。
私は野球のことがわからないから、その言葉の真意がよくわからない。
でも、間抜けな頭なりに、何となくそれは、私が書くはずで書けないでいた小説のような類比を感じているんだけど。
ただ違うことは、エガワとかいう人のピッチングにそういう夢をみた人は日本中にたくさんいたんだろうけど、私の幻の成し得なかった未来を知っているのは、地球上に自分ひとりしかいないということ。
「それがどうしたなんぼのもんじゃい」という呪文がかの国にはあるようですが、「馬鹿で結構晩飯食うな」というのが、関東の言葉への翻訳かと思います。
いちは ひとりで べんじょそうじ
には にかいの べんじょそうじ
さんは さんざん べんじょそうじ
よんは よろこべ べんじょそうじ……
運動神経が鈍いから桜の低い横枝に腰掛けて、いくらでも作り話を聞かせて友だちを笑わせていた、幼い私の歌うデタラメな歌。
もうババアになってしまったのに、ふと思い出す。
秩父で見たねじれた変な木 |
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