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2014年5月29日木曜日

戦場のガールズライフ!

雑誌って読まなくなっちゃったなあ。
最近買ったのは、『精神看護』5月号。記憶と認識が衰えつつある老父にどんなふうに接したらいいのかわからなくて、すがるように記事を読んだから、まあそれは、「おいしい鯵の南蛮漬けの作り方」が載っている『栄養と料理』を買う新妻のような、その程度の切実さということです。

今朝はむにゃむにゃ眠っていた早朝に、母からの電話で叩き起こされて、「あなた、今度はいつ来るの。元気なの」って。ついこの間会いに行ったばかりだし、朝早く起こされては、仕事も毎日あるんだから、ねえ。「元気なの」は、ないでしょうよ。

暗い気持ちで、仕事に向かうバスに乗る。
理知的で、大らかで、自制心の強い父母だった。そんな夫婦に育てられたんだと思ってたんだもの(子どもの認識としてはね)。
あんなふうに、不安に苛まれながら、老いていくこと、何より、自分もそうなるのかと思うと、本気で怖くなる。かろうじて梅雨前の青空の下なのに。
老親の死を願う開き直りにはさすがに抵抗があっても、せめて、自分の命くらいは、まだ自分の理性で制御できるうちに、終わらせてしまってはどうかなあと、バスの中で俯く。
でも何故、「自殺はいけない」と神様は言ったことになってるのかな。
そりゃ酷だぜ、神様……。

とあるバス停で、車椅子の青年が乗り込んできた。運転手さんが後ろのドアにスロープを設置して乗車の手助けをしている間、バス停の人たちはそれを待っている。急いでいる人なら腹を立てるかしら……という心配は下衆な杞憂で、みなお行儀よく、後から乗車していた。

(そうか、もし自分の命を終わらせることに何か理由を選んだとしたら、それを「生きるに値しない要件」として、他の人が生きることを否定することにもつながるのかも。貧乏だから…身体が不自由だから…知力が衰えつつあるから…病気が治らないから…それを死ぬ理由にしたら、そうやって生きている人も間接的に殺してしまうんだもの。それならば、どんなに辛い状況があったとしても、それでも生きられるよう、辛さの原因を何とか解決できるよう、動くほうが前向きだよね)

バスの中なのに、何か涙が出てきて、仕方ないから、とりあえず「主の祈り」でも使って、神様にお礼を言おうかな、と思ったけど、不信心な自分の場合は、見事にうろ覚え。

えーと。
あなたの元にあるような正しいことが、この地面でも行われますように。
そちらのような、素敵なことが、地上にもありますように。
あと、日々の糧をお与えください。ご飯食べられないと困っちゃうもの。
働くからね、今日も、何とかかんとか、身体動かして、日銭を稼ぎますよ。
私、一生懸命イヤだなあって思った奴だって、自分を棚に上げて責めたりしないで、せめて親切にしようって、がんばるつもりです。
だもんで、どうぞ、そんな感じで私のことも、ちょろっとはお目こぼしいただければ、もっとがんばります。
私は、弱いから。とても、弱いから。
あなたに頚木の半分を、背負っていただくことで、ようやっと歩いております。
ですから、私が迷うときも、どうぞ、一緒にいてください。神様。
どうか、どうか、よろしくお願いいたします。
アーメン。

仕事から帰りの電車では、ココナツとオレンジの香りのするきれいなお嬢さんが、間近に座っていた。きれいに結った髪を眺めて、ちょっとうれしくなった。

「ゆうきをだして あるかなくちゃ。うえをむいてむねをはって。」
……とかね。

とかね。

中野駅南口のたい焼き屋さん。













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