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2013年8月28日水曜日

ベイベー、逃げるんだ

この前、ロッテリアに煙草を吸いに行ったら、トレイ上の紙に、書籍の広告が載ってて。
『逃げない―13人のプロの生き方』つー本だった。ミュージシャンとか、スポーツ選手とか、各界で華々しく活躍する人たちの名前が並んでいる。たぶんいまの「栄光」を得るに至った努力の道筋なんかが書いてあるんだと思う。ふむふむ、よくあるよね、そういう本。

宣伝文句も勇ましい。「日本に生きる者として自分の居場所から決して逃げない」というの。「日本に生きる者」というカテゴリーが何を意味しているのかよくわからないが、そのあたりは版元さんの名前とかを見るとまあ、なんとなくそういうことなのかな、という感じだ。

不味いアイスコーヒーを飲んで煙草を吸いながら、しみじみとその宣伝文を眺める。そりゃあ、自分の才能に一か八か賭けて、だれもがなれる訳ではない職業で名を成すには、「自分の居場所から決して逃げない」という覚悟や根性は、絶対に必要だろう。

しかし凡庸な人間がこの本を読んで、そういう人の姿に自分を重ねながら、「よし、俺も自分の居場所からは逃げずに頑張るぞ」と思うのだとしたら、それは悲しくはないか。
凡庸な人間という言い方はよくないかもしれない。
少なくとも、「自分の居場所」は必ずしも、逃げずに努力した頑張りが額面どおりに受け取られる場所であるとは限らない。いくら頑張っても、不公平な扱いを受けることはあるし、毎日のルーティン仕事で時給は同じなんだから、ちょっとでも手を抜いたほうがいいや、などという絶望だってある。

それでもそれを、とりあえずは「自分の居場所」だと思って、生きていかなければいけない日々にいるのだとしたら……。つまり、逃げなければいつかは名を成し報われる、なんてことはない。
だれもが香川真司になれる訳じゃないんだ。「自分の居場所」がコンビニの店員ならば、コンビニの香川になればいい、派遣の事務OLならば、派遣の事務OLの香川になればいいというのならば、そんな夢物語に我が身を重ねて、社会構造の不条理しかない「自分の居場所」を甘受せよというのは、酷な話じゃないか。

と、まったくこの本を読んでない(し読む気もない)のに、そんなことをぼんやりと考えた。

近所のお祭りにて


中学生のときも高校生のときも、学校が嫌いで、辞めたくて仕方なかった。親はまあ、親だから、「いま逃げたら、一生なにかから逃げなくてはいけなくなるよ」と、娘を諭した。で、子どもはまあ、子どもだったから、その言葉に結局従った。高校もなんとか卒業して大学にも行くことになった。
どちらかというと学校選択の制約が大きかった田舎から、もう少し広い世界に出てみて初めて、「ああ、もっと早く逃げちゃえばよかったなあ」としみじみ思って笑った。逃げ切れるまで、逃げたっていいんだ。それは、ちっとも卑怯なことなんかじゃないんだから。
「この場所がどんなに辛くても、ここにしか自分は居られない」なんてことはない。もっと広い選択肢に目を向けて別の生き方だって選べるんだから、あんなに無理することなんてなかったんだ、と思った。

だから、それ以来、私はどこまででも逃げてやろう、って思って生きてる。
何度も職を変えたし、家庭も自分から壊した。
一生逃げる人生でいい、って決めたから。

上野の深海生物


そんな午後を経て数日後、またまた妙な映画を見に行った。『標的の村』も気になったけど、上映時間にうまく合わなかったので、『陸軍登戸研究所』。構成がいささか散漫だし、長尺も時折きつかったが、こういう歴史を全く知らなかったので、面白く見られた。NHKスペシャルとかだったら、ひとつひとつの時代背景の丁寧な説明があるだろうから、もっと分かりやすい「解釈」を提示するものになっていただろうけれど、この映画は関係者の証言が行きつ戻りつ重ねられていく作りで、生の語りがぼこん、と見る者に委ねられる感じ。
すごいですよ。おじいちゃんたちの回想ですから。人によっては、何度も記憶を語ることで、生々しい体験を語りの定型のなかに鎮めているような追憶もあるし、今でも関連業務に現役である感覚の延長線上に、ビジネスの逸話のように語る追憶もある。そんで最後にぶっ飛んだのは、幽霊になって「情のない人」であった夫としての自分を詫びる幻影を語った、偉い軍人さんの奥さんの話。偉い人だったのに、散々だね。一緒に見た友人は、「あの話で終わっていいのかよ(笑)」と脱力していたが、いや、きっとそんなもんだよ、奥さんに嘆かれちゃぁ、どんなに偉い軍人さんも仕方ないね。

この映画に記された、潤沢な資金で奇妙な研究をしていた男たちはきっと、「逃げない」男だったんだと思う。それなりの軍事情勢だって組織には伝えられていたはずだから、この研究が本当に戦局を打開する秘密兵器かどうかなんて、きっと研究者たちは少なくとも分かっていたはずだ。だけどきっと、みんな「日本に生きる者として自分の居場所から決して逃げない」という生真面目さを胸に、自分がそういう秘密の事業を成し遂げているというナルシシズムから逃げられなかったんだね。
だからきっと、人殺しの兵器を必死で開発する人たちの真摯な心は、それが仕事の日課であるというルーティンと結びついて、自らの行動のもたらす結果の倫理性は如何なんていう不純なことを考える間もなく、純粋に愚鈍であり得たのだろう。逃げない男。武士は食わねど高楊枝。

「原子力 明るい未来のエネルギー」
いま逃げたら(大事な面子を)失ってしまうから、逃げない?
たとえば、そんな感じ。

私は逃げる。

卑怯者って言われても逃げたい。


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