まだ経産省前のテントに喫煙所があったころ、「原発いらない福島の女たち」のお母さんたちに遊んでもらう合間に煙草を吸ってたら、通りすがりの街宣車に「こりゃー、千代田区は路上禁煙じゃー、この薄汚い極左めー」と怒られた。
別に極左じゃないし、と苦笑。現体制を右側のほうから批判したい人たちが区の条例を楯にするんだ、と不思議な感じがしたのだけれど。なんでまた唐突に、権威みたいなものへの素朴な信頼があるんだなあ、って。
バブル期に女子大生だったんだもん。あらゆるイデオロギーはかっこ悪いって時代だったんだもん。だから構造主義とか記号論とかそういう流行には乗ったけど、極左への反動として極右になる、って発想はなかった。それはさすがに思いつかなかった。
昨今自民党が調子に乗ってる憲法改正の話だの、その他諸々のあれやこれや……はまったくひどいもので、こういうヤバさを生理的に忌避する感覚は誰にでもあるのかと思いきや、どうやらそうでもないみたい。いったいなんで、ネットには「ウヨ」の言説が溢れているのか。それはたぶん「左翼的なるもの」のしくじりやダサさへの反動から来ているんではないか、という話を友人がしていて、たしかに自分もサヨクの胡散臭さへの反動があったからこそ、そんなバブルちゃんだったんだと思うけど、「リベラル的なるもの」への信頼は案外揺らいでいなかったから、右傾化することは思いつかなかったんだと思う。
少なくとも、わが極左大学に化石のように生き残っていたゲバ文字のビラやタテカンを鼻で笑うことはあっても、学内に大量にいる障害のある子たちや、ややこしい出自の子たちを馬鹿にしたりするようなことは論外だった。そんなダサいことは選択肢にない。留学生の親友と飲めば、戦争で日本がしたことを避けて通ることはできないし、歴史認識がどうのこうのと言う暇もなく、お互いの身の丈の言葉で、拙いながらも思うことを話すしかない。
主義主張に仮託した浅薄な詭弁やナルシシズムは、そういう場面では通用しないものだ。
むしろ、それまで田舎で感じていた自分の居心地の悪さみたいなもやもやが、さまざまなマイノリティとしての切った張ったを生き延びてきた同年代の子たちのたくましい知恵に出会って、救われることが多々あった。
要するに、個々の顔と向き合うときに、大きな物語の欺瞞を解体せざるを得なくなるということ。それが、『逃走論』なんかの流行っていた時代に、自分の生きていた泥臭いリアルのもうひとつの側面だった。
まあ、結局はそんな自分の私的な感傷はどうでもいいんだけどね。
国粋主義みたいな人たちまでが、昭和のごたまぜでヤケクソな「日本のプレゼンス」という幻想の延長線上にすんなりと、(人件費を値切れる相手を)安く使って、(金の取れる世界中の場所へと)高く売りつける価値を至上とする「グローバリゼーション」にあっさりと呑み込まれていく茶番に、おろおろしているだけなんだ。
バブル世代のスカしたおしゃれさんは、頭が悪いから、右往左往しています、いま。
(つづく……)
窓から夜明けの月を携帯のカメラで撮った。 |
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