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2013年3月12日火曜日

テレビには映らないこと


日付の区切りはあまり意味がないが(とくに生々しかった事象を過去のものとしてしまう動きへの抵抗として)、不思議な道筋に迷い込んだあの日から、2年にもなった。

310日は、久しぶりに、日比谷の大きなデモに行った。
いつものドラムブロックを離れて、去年の全原発停止のときにミシンで作った「緑のこいのぼり」を手に、ファミリーブロックへ。ミュージシャンの人たちが、優しい歌を作ってくれた。優しい路上の友のお誘いを受けて、素人の貧しい声ながら、一緒に合わせようという趣向。

ふんわりした素敵なソプラノと、手堅い軽快なリズム。前のめりで不器用でも強面なドラムを刻み続けた日々とは違う開放感があった。小さな子どもが着飾ってかわいく歌って、おじいちゃまも歌詞カードをもらいに合流してくれて、寒空の下でも笑いながら歩ける隊列だったね。

前日の9日には、本当に久しぶりにスタジアムに行った。路上に歩き出す前には、あそこが自分の居場所だった。でもあの日以来、そこに行くこともなんとなく辛くて、足が遠のいていたんだけど。緑の芝の上にある奇跡に熱狂する喜びを許そうと決めたのは、あの日以来スタジアムから一緒に路上にシフトした友人との、なんとなくの相談。
昔みたいに駅前の「ますや」で肉屋のおじさんが揚げてくれるからあげを買って、昔みたいにおにぎりとポテトサラダを作って(でも、おにぎりは家に忘れたのです)、昔みたいに安い席に座って「ユルネバ」を大声で歌って、昔みたいに野川で鳥を見て帰った。瓦斯は、まともにボールをつないで、結構余裕で柏に勝った(それは昔と違うぞ……)。

久々のスタジアムで感心したのは、太鼓一個で数万人の声を引き出す、そういえばスタジアムでは当たり前だった風景。初めて来た人でも、一度聞けば声を挙げたくなるような仕組みが、「チャント」って伝統芸には継承されている。祭囃子や、賛美歌みたいなものにも通底するメソッドとして、長い間に蓄積されているんだと思う。

翌日のデモでは、きれいな旋律は素敵だったんだけど、そういう原始的なノウハウの物足りなさを感じてしまった。誰もが声を合わせたくなるのは、無骨で素朴な声なんだよね、きっと。
それは別に、方法論への批判ではなくて、せっかくスタジアムにいたわれわれが、そういうノウハウをデモのカルチャーに伝達できなかった不甲斐なさへの自省である。うーん、悔しい。
サカサポなんて、ただの阿呆かもしれないけど、ほら、海外のデモで聞こえてくるのは、やっぱり「チャント」で、日本にはもっと単調なシュプレヒコールしかないんだもの。で、日本でスタジアムに行くような「クラスタ」は、デモへはたぶん来ない。

そういう壁を壊したいね、と、友人と話した。
一方で、「もう人も増えたし、わしらの役割は降りてもいいのかな。人のまばらな経産省前や官邸前で、必死に太鼓を叩いていたときとは、ずいぶん様変わりしたね。わしらみたいな下手糞が太鼓を叩かなくても、今は上手な人がたくさんいるからね」なんて話もした。

311日、政府の追悼式をTVでチラ見しても、腹立たしいばかり。

探して、多分間違っても、寄り道しても、自分のリアルから、また歩き出そう。そのリアルさが個的であることの限界を自覚しながら、壁にぶつかる痛みを、それもまたリアルな痛みとして悲しみながら。

頭ぶつけて、たんこぶ、ぼこぼこだよ。でもね。

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