2月11日、「アカデミズムは原発災害にどう向き合うのか」に行ってきた。
どういう議論があったかは、あちこちに情報があるだろうから触れない。
あくまで私的な体験として言えば、坪倉医師の話に涙が止まらなくなって、無機質な階段教室でぼろぼろ泣いてた。全然冷静じゃないし、泣いちゃったことで結局、アカデミズムが何であれ、それは自分とはあまり関係のない話になってしまった。
でも、質疑応答の場面になると、やはりあの事故を契機に噴出した「アカデミズムに属する専門家への市民の怒り」みたいな質問が相次ぐにつれ、何だかむずむずしてくる。いいんだよ、その怒りは正当だから。でも、あれ以来、懸命に情報を集めて、ベクレルとシーベルトの換算(だっけ?)まで、そらでできるようになってしまったような人たちが、「われわれ庶民」として「東大の先生的な何か」を断罪する姿が、私はとても居心地が悪かった。
だから、私も、つい質問したんですよ。
あの、もごもごとした質問の真意は以下のようなものです。うまく言えなかったけどね。
「あれ以来みんながプチ専門家みたいになっちゃって…でも、アカデミズムではアタリマエに要求されるような論理構築の訓練を積んでいない素人の疑義の立て方は、そんなに精緻なものでもないから、“私こそが真の情報を知っている”というようなかたちでの専門家への不信になってしまって、極端になれば陰謀論に帰結してしまうような危うさも孕んでいる。それに対して、あなた方は正直ウンザリしているとしたら、そのへんの甘さを、素人に対して突っ込んでくれませんかね。」
ですので、「専門家の言うことはいろいろ食い違っているからどれを信じたらいいのか」なんていうことを問いたいのでは全然なかったし、「どうしたら我々素人も専門家の言説の虚実を正しく判断できますか」ということを問いたいのでもなかったのですよ。
でも、私のもごもごとした問いは、うまく伝わらなかったようです。「たとえ知識がなくても、専門家の論理矛盾は暴くことができます」みたいな答しか、いただけませんでした。
科学者と市民が対話できる機会を、反省的にアカデミズムが希求するのであれば。専門家のグロテスクな陰画みたいになってしまった市民に対して、「アプリオリな真理を正当な手段によって追究すれば正解に辿り着く」という図式なんて、とっくに壊れてしまっているのだから、みんなで従来の正解が当てはまらない世界の生き方を考える方法を一緒に考えましょうよ、という技術を、シェアしてもらいたかったんだよね、私は。
◆◇◆
かつて「知の虚妄」という言葉を弄んでいた学生がいました。
だけどそれは80年代の終わり頃だったので、生活実感に根差した草の根の暮らし(主知主義へのオルタナティブとしてのヒッピー的なコミューンとか)に向かうこともなく、あらゆるイデオロギーを漂白した「遊び」や「抽象芸術」を頼りにすることが、精一杯の誠実さであるように、学生には思われました。
「ラテンアメリカのマジックリアリズム」は良くても、「一杯のかけそば」は許せない、そんなふうに虚勢を張ることが、学生なりの誠実さであると、明るく胸を張っていたのです。
◆◇◆
論理に回収されない個別の体験の「語り」は、一般化することができない。しかし、その特殊な個別性・一回性を、学的な枠組みの中に構成される普遍性への異議として、等価に対置することは難しい。
「私に固有の出来事」は、繰り返し語られるうちにいつの間にか、ステレオタイプな価値構造に侵食され、単純な善悪の対比といった思考停止に陥ることがあるからだ。本来、固有の生の現前にある一回性においてのみ「真」であったことが、経験を語る際の線形的な物語構造に沿ううちにひとつの型をなぞるようになり、動的であったはずの生々しい現実を、強固な意味のうちに固定化してしまうのだ。
あらゆる活動とは、その直接的な経験の固有性において、本来は衝動的・感情的・一回的なものであったはずだ。私が2011年の高円寺にいた、あのときのように。
語りによる固定化は、その一回性を剥奪し、意味づけることの誘惑から自由になれない。活動の形骸化とは、たぶん同じ道のりを辿っている。反復と模倣と洗練により、固有の経験は儀式化していく。
儀式とは、同じ感情を呼び覚ますスイッチであるから、ひとつの感情(あるイシューに対する怒りとか)を持続させる仕組みとしては、おそらく効率のよいものであるのだろう。しかし、そこで人は大きな物語に殉じるために、自らの固有性を手放すしかない。小異を捨てて、イシューの大同を支える。ところが近代的自我というものを疑わず生きてきたわれわれ「個人」にとっては、その中で様々な軋轢が生じることにもなり、そうなってしまったら、あとはただ「宗派」の争いだ。この流儀こそが正しいという、儀式の正統性を言い立てる諍いにもなりうる。われわれと、それ以外が、中途半端にあちこちで対立したりして。
だからこそ、中途半端な「われわれ」の党派性という限界を無化するために、複雑な生の一回性をそのままに、その本質を抽出してみせるのが、芸術なり学問なりの仕事であったはずなんだ。固有の体験は、学問への異議ではない。固有の体験を貫く道筋を、物語以外の説得力でもって描き出して普遍化してみせるのが、学問の芸当ではなかったの?
◆◇◆
東大から帰ってきて、焼肉屋で私は、「ホメロスになりたいんだよ、私は。あなたはあのホメロスになればいいのよと、昔Sさんが言ってくれた。そのときはその意味がわからなかったけど、当たっていたんだと思う。私はホメロスになればいいんだ」と言いながらまた泣いた。大好きな映画「ベルリン天使の詩」に出てきた、ベルリンの荒れ野を歩く老詩人。街を通り過ぎる歴史の声を聞き取って、言葉に記す人。
学者になれない私が、活動家にもなれない私ができること。
言葉にできなかったことを記していくことの入口に立とうとして、今はまだ途方に暮れている。
京葉線の車窓から。冬の青空。 |
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