「こだわり」とか、そういう言葉は好きじゃなくて、清濁併せ呑むってのが大人ってもんよ、と思うんだけど。
喧嘩のスキルに欠けるのも、年上の世代に呆れられるところ。それでも、空気なんてものを読まなきゃいけないとかいう若い人たちよりかは、もう少し勝手なふうに育ってきたかもしれない。
日本に遅れて入ってきた構造主義とかの上っ面を誤解して、あらゆるイデオロギーを漂白できるってお目出度く信じてた思春期、つまんない「相対絶対主義」のジレンマで頭痛くなったさ。
そのあげくが、このご時勢。
それは、いい加減だった自分のせいなんだよね。
今日は官邸前の再稼動抗議に、ぼんやりと枯れ木も山の賑わい。
お爺様、お婆様の勢いに気圧されて、もごもご言葉を濁しつつ。
それでも、いろんな事情がぶつかる世界で、自分なりの責任の果たし方を失敗しながら。
答えを出さないことがオシャレだった時代は、終わってしまったんだもの。
ねえ。
「いのちのみちをあゆめ」
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