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2012年2月14日火曜日

We areっていう


代々木公園には大江健三郎とかいたけど、あまり話を聞かずに、けやき並木の路肩に腰掛けて、煙草なんか吸ってた。もはや鼓舞される必要もなく、ただ淡々と歩くつもりの自分には高揚感すらなくて、時折顔見知りと挨拶したりして、大きな白い「脱原発」の墨書きの旗を子どものように見上げるほうが、素朴にわくわくする気持ちがした。

なのに、色とりどりの幟。
高円寺から歩き始めたから、ああいう昔ながらの「動員デモ」って不思議な感じ。
幟には、各々の所属する団体名などが、主に記されているわけです。
この日の私は、夜からのドラムデモと掛け持ちだったから、先日のTweet No Nukesのときに北風に煽られて翻った手製の旗を、竹竿から外して背中に背負っていた(両手を太鼓のために空けたかったからです)。それは貧乏臭いスカーフの旗で、言いたいことはただ、簡単にスペルできる「No Nukes」ってメッセージだけ。百円ショップで買った金色のリボンをしつけ糸で留めただけの、馬鹿みたいな旗です。

私、地震が来るまでは、あちこちのスタジアムにいました。
いろいろな議論があったり、いろいろな芸風があったりしてね。
えーと、好きじゃないんだけど浦和方面の某チームは、「We are Reds」と叫ぶものだから、「あいつらウィーアーはさ……」なんて揶揄されてた。とはいえ「We are Tokyo」なんて叫んでいましたけどね、飛田給では私も。
鹿島のゴール裏もよく知っているんだけど、あそこでは、「俺たちサポート、インファイト」って歌います。大きなフラッグもたくさんあるけど、そこには、各地のサポーターグループの名前が書いてあるケースが多い。つまり、「応援するわれわれは何者か」を誇示するのが、フラッグの役割だったりする。
We are……」という言い方には、それがない。われわれはチームと不可分であり、チームから離れて別個に主張する主体というものがないのだよ。

動員系デモの幟を見ると、「○○県何とか組合」とか書いてあって、つまりは「この主張をするわれわれは何者か」を示す意味合いが強いことがわかる。
それが悪いというわけじゃない。
サポーターにもいろんなやり方があった、そのことをただ思い出して、なるほどなあ、と思っただけ。

シュプレヒコールは嫌いだから、いつものメンバーのブロックに加わって、太鼓を叩いた。お年寄りたちが物珍しそうに写真を撮っているなか、歩き始めたよ。そのブロックには、きれいな幟はない。自分はそういう歩き方が楽だった。

解散地の公園は、国立で大きな試合があるときによくたむろする場所。新宿西口に出るには、大江戸線の駅が便利だから、試合の時に身につけた動線をすんなりとたどって、友達と新宿に出た。
ちょっとだけ、お酒を飲んで。

夜の新宿は、おとぎ話みたいだった。熱が出そうなくらい、現実味のない世界。
信じられないような大きな音を出して、見知ったはずの車道を歩く。
今までのドラムデモではニコニコ笑っていた私だけど、なぜ怖い顔をしてたんだろ。
あんなに楽しかったのに。
沿道には、いつもの新宿があった。でも、車道を意気揚々と歩く自分には、何だか違う景色が見えてた。それはとても切なくて、楽しいけど、悲しかった。

ゴールデン街の歩道で解散するとき、「うるせーっ!」って怒鳴られたよ。
それで、ようやく笑ったんです。
そうだよね、うるさいよね、って。

太鼓の響きにだけ耳を澄まして、言葉にならない思いを確かめる会話は、とても内省的な道のりになる。
身体がはじけてしまいそうな官能と、言いようもない孤独感があって。
無駄なネオンに照らされながら、幸せで、悲しくて、何度も泣きそうになった。

We are……?
名前もないわれわれは、何者なのか。これから、どこに行くの?

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