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2012年2月20日月曜日

見知った街の景色を変えながら


蚕糸の森公園は、よく遊びにいく場所。
今日も小学生がサッカーをしてたけど、ご父兄に混じって、試合を見ていたことが何度もある。しょぼい川にいるのかいないのかザリガニを、子どもたちが夢中で探しているのを見ていたこともある。
そんな場所に、あんなにいろんな人が集まったことが、やけにうれしい。

黄色い風船の下には、子どもたちのためのお散歩カートがあった。保母さんたちがフォローするって本当だったんだね。先に到着した彼女たちの穏やかな顔を見たときに、ああ、この笑顔ってあの業界の人たちだよなあ、って妙に納得した。お菓子を満載した夢のような台車も、子ども時代の楽しいお祭りを思い出す。

いっぽうでは諸々の政党の幟なんかもはためいていて、ご年配の方々が風刺川柳をプラカードにして、なぜか甘酒を売っていたりする。
出発前の集会で発言された一水会の方が、「右も左もない、画期的なことです」と。幟の下に立つお父さまたちからも、拍手が起こる。

和田のお魚屋さんが始めた、ビキニ水爆実験に端を発する反核署名運動のこと、娘さんから報告がありました。恐怖の蔓延で魚が売れなくなり、廃業するご同業者が増えていくなか、見かねて立ち上がる魚屋さんの始めたムーブメント。まだ、泣いてはいけない。泣いてはいけない。

出発が近づき、音を奏で始めたドラムブロックに合流する。
合図を待ちながら、青梅街道に出て行くとき。
いちばん好きな瞬間。いつだってどきどきする。

せっかく今日はサウンドカーもあるから、太鼓も持ってないし、そっちに行こうかな、なんて。カラオケカーに脱力して笑い、でも待機しているランキンさんやジンタらムータの出番はかなり遅くなりそうだから、うろうろしたあげく走ってドラムブロックに戻った。
列の前半はドラム隊、後半は平野さんオリジナルコール隊といった感じで、境目にいた自分はその両方を聞いていた。歩く道は、どこもよく知った道。うちの近所の、いつも遊んでる街。
たくさんの人の思いを一緒に運びながら、一足ごとに景色が変わっていく。

そう、去年の春に初めて高円寺を歩いたときのことを思い出して、やっぱり泣いてしまうんだ。手を振る人に頭を下げ、子どもたちに笑いかけながら。

小学校でのドラムサークルのあと、他の隊列も見に行こうぜ、って、もう一度道に出た。阿佐ヶ谷の駅前で遭遇したのは、なんとシュプレヒコール隊。「ひょっとして、これがいちばんパンクじゃね?」って笑って、合流した。幟はためくなか、私のふざけたパンダのオブジェを並べてみたかった。でもちゃんと声を合わせて、一緒に歩いてみたかった。

再度解散地へ到着。
ちゃんと歩いたので、お菓子ももらってもいいですか。
どうぞどうぞ、と笑われて、レモン味のラムネを食べた。
小学校の校庭は、だれでもがほっとする場所ではないだろうか。
安っぽい土埃の上で、フォークダンス隊が、輪を作っている。
校舎の壁に沿って高い場所で立ち枯れている大きなヘチマを見上げた。

泣かない、泣かない。
泣いてはいけない。
さすがに校庭では煙草吸えないよなあ、と、近所の煙草屋さんの喫煙所で薄荷の煙草を吸う。
高円寺まで歩いて、駅前で焼き鳥を食べて帰った。

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