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2012年2月26日日曜日

サイエンスはお嫌い?

今日はNNMHの渋谷デモで踊ったあと、島薗進氏の発表を聴きに西新宿へ。
科学技術の発展が「進歩」であると無邪気に信奉してしまいがちな傾向に、倫理的な問いをぶつける必要があると警鐘を鳴らす人、かな。

原発事故以来、それを説明する専門家の言説はそれなりにもっともらしく扱われてきたかもしれないけど、生活実感としては、なんら「説明」になっていないというもどかしさが、だれにでもあったのではないでしょうか。島薗氏の問いは、「いわゆる専門家の信頼性は、なぜ失われたのか」という原因を、通常であれば複数の研究によって相対評価しうる課題が、政治的な都合に結びついた機関による独占的な言説の生産により、そういった均衡を失った事態を指摘することから始まりました。

自然科学者は、個々の科学論文のみを検証の対象とするのかもしれません。しかし、島薗氏は史学的なアプローチを取ることにより、たとえば現在の科学者が「ゴールデンスタンダード」としている、広島長崎の疫学的調査が、実は、最初の5年間のライフスパンサーベイを欠落しているという事実を指摘しました。にもかかわらず、その欠落を意識しないまま、それを包括的なデータとして出発した多くの科学者が、その事実を看過しています。そしてそのような科学者らが国家の委員会への識者として名を連ね、決定される政策に影響を及ぼしていたりすることが、現在行われています。島薗氏は、個人的な痛みの伴う話も明らかにしたうえで、彼自身の怒りや心配を率直に語ってくれました。そのことは、話を聴くとても少数でしたが(笑)、われわれの胸に届いたと思います。

私はドイツの例を聴いたりしましたので、政策に影響を及ぼしうる有識者が単に自然科学者だの経済学者に留まらず、宗教学者など人間の根源的な「倫理とはなにか」を問う人たちであってほしいと思います。そういう文脈のうえで、私たちの未来が、作られていくべきだと思うんですよ。
そんなことをもやもや思いつつ、まだ考え続けます。

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