空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。
自分の書棚にあった『坂口安吾全集14』(ちくま文庫、1990年)を探したら、この短いエッセイのページだけ欠けていた。そういえば誰かに手紙を書いたときに、乱暴にカッターで切り取って同封したような記憶がある。いったい誰に何が言いたくて、送ったのか覚えてないけど。
本来の文脈は、『FARCEに就いて』と対になるような文学論であるのだけれど、引用した冒頭の一節はそれを離れて、とにかく若いころの自分にとって、自分の価値判断の基準を一言で言い表してもらった感のある強烈なスローガンだった。
屋根に登って竹竿を振り回す滑稽さを笑われても、空で光る星を手に入れようと真剣に願ったことのない人なんて、私は信用しない。かつて平然と、自分自身にこの一節を誓った私は、屋根から転げ落ちたり、竹竿を失くしたり、嘲笑されることに怯えたりもしたけど、それでも星を手に入れる無謀な願いを、あきらめるつもりはない。
「すべからく『大人』になろうとする心を忘れ給え」と、また安吾が勝手なことを言う。そうだそうだ、卑怯者になんかなるものか、と情けなく笑ってみる。子どものころや二十代の自分に、「そんなら、君と話をしない」と言われてしまうのは、とても悔しいことだから。
たとえば原発事故がなぜ起きたか……という原因のひとつは、つまり、私がいつの間にかそういう卑怯なズルをしていた、っていうことだったんだ。その事実をうまく誤魔化すことはできないが、とりあえず、せめて自分を含めてそういう「大人」とは、今度こそ「話をしない」って決めた。
竹竿で星を落とす誠実な戦略のほかに、進むべき道はたぶんない。
それはけっして愚直な夢想ではないと、行動でもって証してくれた人たちがすでにいる。ズルをしていた自分は知らなかった話だけど、そういうことを、月蝕の夜に教えてもらったよ。「Reclaim the street」のstreet partyの映像を見ながら、けらけら笑いながら、泣いちゃいそうだった。
そういえば、中学生のころに何かで読んだな。「歩道の敷石を剥がせば、そこには海があるかもしれない」って、誰かが言ってたとか。
自分が生まれ落ちた「所与の世界」に対して、受動的で無力な存在であると諦めて生きることは耐え難い。それをただ恨むだけの毎日なんて不健康だ。
どこかで、自分が世界に関与しうること、何かを変えられると感じることが、どんな小さな経験でもいいからあれば、きっと世界と自分との関係は変わるはず。
ベルリンの壁の崩壊は、物見高い人たちが何となく集まってきた偶然のなかで進行したという話を聞いて、私は全然違うことを思い出してた。
いつだっけ、鈴木隆行が代表で初起用されたインターコンチだっけか。雨の横国で、中田のフリーキックが決まったときだっけ?
いい加減な記憶しかないんだけど、とにかくアウェイ側にいた私らの一人が、勝手に「煽った」んだよね。そしたらわーってすごい人数のコールが始まって。数千人が動いた、とか。
変な例だけど、いわゆる組織的なコールリーダーやサポーター集団を中心にしなくても、同一の目的に向けて、それぞれ勝手にいろんな楽しいことができるって、スタジアムで実感したことが何度もあった。ネットを使って、メンバーを限定しない流動的なアクションが起きたり、メディアを自作する人たちや、新しいグラフィックが生産されたりしたでしょ(そういえば自作の密造酒の振舞いなんかもあったよね……知らない人とお菓子や煙草を分け合ったりするのは、スタジアムでは普通の光景だし)?
面倒くさい議論を重ねて、いろんなことを決めたりもしたし。
本当に些細なことだけど、自分にとっては、それは何かしら、ある種の自由を感じる経験だった(あ、チームによっては、もっとヒエラルキーの強固な集団もあるけどさ)。
だから、スタジアムの仲間といまは路上を歩く私たちは、新しい直接行動の祝祭性という側面や、顔の見える小グループの集積がより大きな力を発揮できるという可能性に対して、すんなり何の抵抗もなく、あっさりとその効力を信じられたんだと思う。
余談だよな。
真面目なアクティビストには怒られちゃいそうだけど。
でも、空にある星が本気でほしいなら、入り口なんて、どこにでもあるよ、って話。
わたしは よく思うんです さかだちしてみる 上下逆の風景鏡にうつった 鏡の中の風景なんてそれらは いきいきとあかるく 目にうつるんでしょうそんなものは虚像だと わかってはいるけれどでもその あかるさだけで あっちのほうの世界のほうがもっとはるかに 赤裸々に 生きられる世界ではないかと 思ってしまうどうしたら あの光りかがやく 世界に行くことができるかどうしたら手に入れられるのかそれが知りたかったんです大島弓子『10月はふたつある』(初出1975年)
斯様に凡庸で怠惰な人間が、如何にして?
それでも、何かを信じて、何処へか歩き続ける。
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