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2012年12月2日日曜日

肩を落として、朗らかに


(ご縁をいただいて、「杉並勝手連」さんのページに収録してもらった。もともとここに、こっそり書くつもりだった作文なので、記録しておきます。トウのたった、明るくなれない乙女の愚痴。)

選挙権って、「選挙券」って文字に頭の中で変換されてしまうことがあって、投票所に持っていくハガキが届くと、「あ、選挙券届いた」っていつも思う。あのハガキの名称って正式には何ていうのかな、って調べたら、投票所入場券というらしい。

二十歳になって、はじめて「選挙券」が届いたとき、とくに感慨はなかった。政治になんか興味はなかったし、投票したい人もいない。どこかの団体に所属する知人から、急に馴れ馴れしい電話がくるのが煩わしい。普段は大して仲がいいわけでもないのに。街中を走る候補者を乗せた車は、ただ名前を大声で連呼するだけで何をしたいのかわからない。白い手袋で握手とか、雨中の街頭演説で他人に傘を差しかけてもらう姿とか、とにかく若者の眼には、すべてが醜悪で滑稽に映る。
選挙なんか、行かないよ。
それが、自分の二十代。

三十代になりかけたころ、選挙に行かない私に「それはもったいない」と苦言したのは、何歳か年上の人だった。真意はわからなかったが、世情に一言あるときには、とりあえず信頼できるような人が、とても真面目な顔をして言ったものだから、私は選挙に行ってみることにした。選挙公報を読んでも、いろいろ調べても、信じたい人は大していなかったが、少しでもマトモなことをしてくれそうなほうへ。私が投票した人が当選することは、ほとんどなかった。
何でこんな政治家が、私たちの意見を代表していると言えるのか、そういう出来事ばかりが続く。いったいあんな奴に、誰が投票しているんだろう。むなしい気持ちになりながら、それでもせっかくの「選挙券」――商店街の福引券みたいな、「春のパン祭り」の点数シールみたいな、とりあえずあれば使ってみるもの――を行使するために、投票所に通い続けた。当たらない宝くじを買い続けるみたいに。

去年の原発事故が起きたときに、今まで自分は何をしてきたんだろう、と思った。怖いって、嫌だって、ずっと思ってきたのに、こんなことになるまで、自分は状況を放置してしまった。他人のせいにして責めれば気が楽になるけど、生きるための土地を失ってしまった人たちに対して、自分は何の責任もないのか。そんなはずはない。
ぐるぐると、出口を見つけられない思いが、ぐるぐると、回る。情けなかったし、腹立たしかった。

だから、初めてデモに行った。
サッカーを観に、スタジアムで過ごしていた土日だったはずが、あちこちの路上を歩くようになって、もう1年以上になる。情けなさも、腹立たしさも変わらないが、少なくともそれを表現することは、情けない自分が背負うべき責任のひとつ、なのかもしれない。

「デモじゃ何も変わらない」「選挙じゃ何も変わらない」……何もしなくて「そら見たことか」って笑うのは、勝ちなんかじゃないよ。何の当事者にもなれないのは、不幸なことだよ。冷笑することで作った自尊心なんて、いつでも他人の顔色を伺うことでしか、保てないのだから。今はそう思う。

嫌いは嫌い、好きは好き。
言いたいことは言う。
そうやって、今度こそは、未来は自分でつくる。
だから、四十代になってしまった今の私は、デモに行くし、選挙に行く。
肩を落として、ため息ついて、堂々と朗らかに。

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