土曜は「No nukes all star
demo」。デモは晴れるという謎のジンクスを信じたが、本当に雨がやんだ。湿度が高かったので、せっかく作った紙製の立体造形が見事にしおれてしまったのが残念。ちびっこの人気を集めたいという野望は、エネパレさんのカッコイイきりんさんやしまうまさんの前にはかなく消えたぜ。ちょっとしゃべったお子さんも、「……(笑)」という微妙な反応でした。気を遣って「ちゃんとお花に見えるよね」とフォローしてくれたお父さん、ありがとうございます。負けずに次がんばる。もっとカッコイイの作るぜ。
駅前の街宣車にいたパンダとの対決とか、謎のアトミックサイトブロックって、あれ? いつの間に! マジ生成・増殖してたんだあ? とか、いろいろ見どころがありましたが、参加直前に新宿BERGでご飯を食べたおかげで「あ!」と思ったのが、同所で展示されていた福島の子どもたちの絵を持って歩いていたアーティストの存在。ジェフ・リードさんという方で、対話を通じて、アーティストによる子どもの肖像画と子ども自身の絵のコラボレーション作品を作っていたみたい。
子どもの描いた、とっても怖い顔をした福島第一原発の絵をBERGで見て、「この絵を経団連の会議室とかの壁一面に貼ってやりたいよな。こんな凶悪なものが、あっていいはずないって、誰でも思うよね」って友だちと話してたので、その絵を持って参加されたアーティストの心意気が、とても胸に響いた。デモできちんとお話をしたいと思ったけど、タイミングが合わずに果たせなかったのが惜しまれます。
しかし、おいしいご飯を食べているのに、子どもたちの絵を見ていると泣けてくるという非常事態が生じている現在のBERGってどうよ……どうせまた行くけど、また泣いてしまうだろうな。
それで、デモ後の呼び物は例のFlying
Dutchmanのライブ。11月に経産省を囲んだときに、エンドレスでスピーカーから流してる人がいて初めて聴いたけど、いろんな問題提起がぎっしり詰まった曲だ。酔っ払っていたせいか、生で聴くと、やっぱり涙が出てしまった。
改めて面白いなあ、と思ったのが、原発を否定する理屈として、単純な自然回帰ではなく、代替エネルギーの存在や、原発そのものの経済的な非効率性までもを歌詞に盛り込んでいるところ。いろいろよく勉強しておいでなんだなあ、と感心しつつ、政治と経済のあり方、労働問題、富の不均衡と地方の開発問題、そして科学技術と倫理の問題みたいな、多様な領域にまたがって複雑に絡み合った諸状況を猛スピードでおさらいし直すことが、いま原発を考える人にとっては当たり前になっているという事実を実感した。
いままでは、おそらく、「原発? ヤバイっすよね。ロックもレゲエもラブアンドピースっすから、反核でいいっしょ?」程度の牧歌的なスタンスを取ることは若者の間にあったとしても、核種別の半減期を知っていたり、再生可能エネルギーの世界的な動向なんてものを意識することは、あまり一般的ではなかったんじゃないかな。それはあまり、幸せなことではないけれど、福島が私たちに突きつけたリアルって、きっとそういうものだったんだ。だから、年寄りなくせに、今まで何もしなかった私は、彼らの歌を聴いて、余計に切なくて仕方なかった。
自然科学が扱う主題が、科学者や技術者だけの問題では済まない時代。
はるか昔にウルリッヒ・ベックが警鐘を鳴らしていた事態を、今更になって慌てておさらいしている自分だけど、今更ついでに、大昔に買った吉本隆明の『反核異論』(1982年、深夜叢書社)を本棚から引っ張り出してみた。比喩ではなく本当に埃をかぶっていましたよ。
自分なりに大まかに要約すると、当時の著者の主張は、1)日本の反核運動はアメリカの核を責めながらもソ連の核は意図的に看過する党派性に満ちたもので、2)現代の切実な諸問題に何ら解答を提示できない日本の左翼知識人や朝日・岩波文化が苦し紛れに見つけた、自分だけが安全な場所から発言できる言説で、3)まして、自然科学がその原理を見いだして平和的な利用方法を追求している原発まで悪者にしてしまうのは乱暴で不毛な原始への回帰という噴飯もののファンタジーなんだからふざけんな、
といったところ、か。
いや、これを真面目に読み直すべきといった性質の書目では、たぶん、ないのですが。
自然科学による真理の追究を、無自覚に「善」とする考えって、本当、根が深くてややこしいなあ、と最近思うものですから、吉本がどうのこうのという個別の話はさておき、ちょっといろいろ考えてみなきゃな、と思った。
おそらく、私の希薄な脳みそには余る課題であるのだが、いまや日本に暮らす誰もが、避けて通るわけにも、いかなくなっちゃったんだもんな。
とりあえず、昔『反核異論』を買ったときには、核問題を考えなければいけないという圧倒的な息苦しさから逃げたくて、何かしら言い訳を補強したくて、そのタイトルに惹かれたんだと思う(私がこの本を読んだのは、刊行当時ではなく、20代のころだった)。
そういう自分の怠惰こそが、たぶん、この事態に結びついているんだよね。
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