身近に子どもがいないと、いつの間にか、彼ら彼女らの緩急の激しい話し方に耳を澄ます間合いや、大人とは違う理屈の筋道を看取する運動神経を、かなり忘れてしまう。
大学生になったころ、生家が幼稚園である友だちに、夏休みのバイトにおいで、と誘われた。
「え、子どもとどう接していいのかなんて、わかんないよ。どっちかというと苦手だし……」という私に、「別にさ、子どもが大好きなんですぅ、みたいな人ばかりは必要ないの。いろんな人間と付き合うことが、子どもには必要なんだし」と一笑に付されて、年長さんのお泊りキャンプの手伝いに行くことになった。
緊張してぎこちない大人を気遣って遊んでくれるのは、結局のところ子どものほうで、友だちは「よかったね、あんたも、お友だちが作れたね」と面白がっていた。
それからしばしば、幼稚園の子どもたちに遊んでもらうようになった。
まだまだ思春期の仏頂面をぶらさげていた自分が、まるで当然のように庇護や理解を求める立場から、小さな人たちを前にして否が応でも、庇護する側、理解するために奔走する側に立たされた経験は、根っからの教育者であった彼女が私に与えてくれた荒っぽいレッスンだったのだと、今では思っている。
二十代の終わりに、仕事のない私を引き取ってくれたのも、その友だちだった。
もちろん私は教員免許など持っていないので、雑用係として、毎日幼稚園で働くことになったのだ。事務室に詰めて電話番をしたり、お昼の麦茶を用意したり、配布するプリントを作ったり、汚れ物の着替えや洗濯などなど。教科教育的な方法を採らないその幼稚園で何が毎日起きていたかを説明するのは、原稿用紙が何百枚か必要なので割愛するけど、まあ、「先生」ではなく、子どもたちから名前に「ちゃん」付けで呼ばれていたのが、私の仕事上の役割だった。
銀行の閉店時間をにらんで焦りながら、入金計算をするために事務室で電卓を叩いていると、マミちゃんたちがふらっと寄ってくる。
「ねえねえ、見てー。このね、宝石みたいの、何だと思う? さっき見つけたの」
「うーん、どこで?」
「あのね、花壇のとこ」
「えーと、何だろね。丸くて、何かの卵みたいだけど」
「あー、きっとそうだよー。かたつむりがね、いたもん。かたつむりの卵かなー」
どこまで計算したっけ。やり直しだ。うー、銀行間に合うかなあ。
急ぎの電話の取次ぎで先生を呼びに走っていくと、ケンタくんに通せんぼされる。
「かんかんかん、ここは踏み切りです。なぞなぞに答えないと通れません」
あー急いでるんだってば。
お昼に間に合わせるため、百人分くらいの麦茶を沸かしていると、アヤノちゃんが、
「ねえねえ、手品見たい? じゃーん、はい、何もない箱から……くまさんが出ましたー」
「今のタネはわかっちゃったもんね。そっちの手に隠してた」
「じゃあね、じゃあね、今度のはすごいよ。もう一回ね」
熱いやかんには、近寄らないようにしておくれ。
もう、これじゃあ仕事にならないよー。もうすぐ退園時間なのに、どうしよう。
「……ねえ、手伝ってあげようか」
「え? じゃあお願い。このお手紙、クラス別に分けてもらっていい?」
「いいよー」
ありがとう。本当すごい助かるよ、君たち。
年長さんくらいになると、普通に戦力になるんだよね。
その後、いろいろな仕事に就いたけど、どの職場にも、今度は大人しかいなかった。
何とかに関する定例会議とかで、「えー、つまりそこはニーズとシーズの両方を見極めるべきでして…」なんて会話を聞いていると、ああ、子どもがふらっと入ってきてくれないかな、なんて思う。
「見ろー、これが最強ロボだー。オレ様の必殺技を受けてみろー」
って、牛乳パックで作った凶暴なマシンからビームを発射してほしいな、なんてね。
真面目な顔をして仕事をしていると、ふいをつかれて、一緒に笑ってしまうあの感じ。
それも含めて、仕事の全体なんだって気づく瞬間の、晴れ晴れした、あの感じ。
新聞の経済欄を読みながら満員電車に乗って会社に行って、人間工学に基づき作業効率アップに配慮したミーティングルームで、案件だとかプロジェクトだとか、ここはオールジャパンのイノベーションで国際競争力を最優先の課題にしたり、他社との差異化を図るべく弊社のストロングポイントに特化したマーケティングストラテジーを構築したりしていると、きっと、変な方向に行ってしまうよ。
女子どもに、何がわかるか、なんて言って威張っているおじさんたちのせいで、こんなことになってしまったんだから。
「ねえねえ、何やってるの? 手伝ってあげようか?」って子どもに聞かれたとき、どうする。
「うるさい。大人は忙しいんだ。黙ってろ」は、もう、なしにしたほうがいい。
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