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2011年11月29日火曜日

消せない言葉

「もどらないよ。もどらないってみんなに約束したんだ」
「あら、そんな約束、だれも覚えてないわよ。出ていったって、だれも気にしない。だれもどこに行くのかなんて聞かないわ」
「きみは気にしてくれる?」とぼくはいった。彼女の言葉の中に、気にしているのかいないのかを聞きとることができなかった。
ジョン・クロウリー(大森望訳)『エンジン・サマー』(福武書店、1999年)
もともとあまり友だちは多くはないし、だれかと喋るのもそんなに得意じゃない。
たくさんの知らない人が、緩やかなつながりを結ぶ場所にいることは、とても心地よい半面、どうしていいのかわからなくなって、あとからまるで二日酔いみたいに、きりきりと苦しくなることがある。
まるで思春期から進歩してないダサい自意識を持て余して、余計なことばかり考える。
じゃあ何で書き言葉を晒すのは平気かというと、平気というよりも、これもたぶん病気だし。

ただ言葉になってしまって、生身の自分などは消えてしまえばいいなどと、生意気な欲望を抱えながら大人になってしまったが、そういうことを言っていると、それもいつかは成就するだけのことで。

かつて、だれにも届かずに朽ちてしまう愛の言葉を、ただ路上に投げ捨てることを夢みていたのだから、その報いには。

今日の夜は、久々に会う旧友が突然誘ってくれた法学系のシンポジウムに行って、大きな大学の広いホールで弁護士さんや学者さんたちの話を聞きながら、かりかりとノートをとっていた。賑やかな祝祭の場所を離れて、こっそりと一息つくような時間を過ごす。
「なぜ、ドイツでは原発の撤廃を目指すことが実現したのか」という問いに、諸々の歴史的な経緯(市民運動による批判的な世論の形成、行政法による規制や憲法に基づく生存権の尊重の有効性、反核を掲げる政党が連立与党となった一時期の意味などなど)を説明したあとで、ドイツの法学者さんが語ったこと、あれは半ばジョークだったのかな。
「ドイツにはロマン主義の伝統があり、理詰めではなく情緒的であるということも、文化史的な要因のひとつとして、考慮すべきかもしれません」

誘ってくれてありがとねー、と機嫌よく手を振って帰りました。



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