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2011年11月1日火曜日

自動運転中のわが四十二年間

「トラウトはふたたび彼の前に立ってさけんだ。『目をさませ! 目をさませ! あんたは自由意志をとりもどしたんだ。しなけりゃならん仕事がある!』などなど。
なにも起こらない。
トラウトは霊感にうたれた! 自分でも信じていない自由意志という概念を売り込むのをやめて、彼はこういった――『あんたはひどい病気だった! だが、もうすっかりよくなった。あんたはひどい病気だった! だが、もうすっかりよくなった!』
この真言(マントラ)は効を奏した!」
カート・ヴォネガット(浅倉久志・訳)『タイムクエイク』

311日以降に起きたことを記録することがこのノートの目的であるのだが、開始早々にクロノロジカル・オーダーが破綻している。いま起きていることと、かつて起きたことを、往きつ戻りつしてうろうろする羽目になりそうだ。おそらく私はまだヴォネガットが言うところのPost-Timequake Apathyみたいな状態から、まだまだ病み上がりで間もない。私の病気が本当によくなって、やるべきことをきちんとこなしているのか、いまでもときどき、わからなくなる。

人間の力ではどうしようもない自然災害に直面してみると、人々は意外と日ごろの分断をあっさりと越えてしまえるものなのだと感じたのを覚えている(ケンカしていた友だちとどさくさまぎれに仲直りしてしまった話はもう書いたね)。
私は直接的には東京の状況しか知らないけど、知らない人どうしが互いを気遣って言葉を交わしたり、気前よく人助けをするような雰囲気があちこちにあった。助け合わなければ死んでしまうような恐ろしい体験をみんなが共有したことによって、「自然」に対する「人間」という甚だ頼りない共通項であっても、私たちはとにかく「われわれ」になり得たのかもしれない。
「ひとつになろう」だの「絆」だの、いかがわしい宣伝文句をだれかから喧しく言われなくても、あのとき、ただ私たちは生き延びるために、一人でも多く生かすために、黙々と助け合っていた。

ところが、自然対人間という単純な構図によって結ばれた連帯感は、またしてもあっさりと切断されてしまう。
原子力発電所の事故が起きると、地震に対しては「生きたい」という気持ちで助け合った人々が、何だか足を引っ張り合うようなことになった。

私はおめでたい人間なので、そのことが最初よくわからなかった。生き延びよう、一人でも多く生かすために、気前よく助け合おうと思うみんなの中にいたのだから、命を脅かす事態として、地震と原発に違いがあるなんて発想はなかったのだ。まして地震は止められなくても、原発ならば、人間が止めることができる。人間が生きることにとって、地震がとても恐ろしい脅威であるのと同じように、原発が恐ろしいものであることを、あの状況で感じないでいられるとは、思いつかなかった。
「怖かったですよねえ、地震」という話の続きに、「怖いですよねえ、原発」と笑いかけても、何だか急に相手の歯切れが悪くなる。ひそひそ話でしか、語られないような疑心暗鬼。そのうちに一人、また一人と、いろんな理屈を挙げては、怖いものを怖くないかのように言い聞かせる人も増えていった。
自分のデスクに私が貼った、原発事故に対する政府や東京電力のやり方を批判するようなグラフィックのことを、話題にする人は会社に一人もいなかった。地震のときには気前よく助け合った会社の同僚たちは、見えないもののようにそれを無視していた。

きっとみんな、私と同じように、チェルノブイリの事故があったときに何もしなかった自分が、今度の福島の事故の加害者の一人であるという現実に、打ちのめされてしまったのだろうか。それを認めるのは、とても悔しいし、腹立たしいし、つらい。

だけど、これからも同じように生きていくなんて、もう無理だ。
とてもしんどいし、何から手を着けていいのか、まるでわからなかったし、いまもたぶん、よくわからないが。

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