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2012年7月6日金曜日

歌が生まれる場所[1]


あれは諫早湾の干拓で、堤防が閉じられていく映像だったか。
あー、本当にやっちゃうんだ……と呆気にとられながらニュースを見ていた。
今では「狭い視野」「誤判断」「走り出したら止まらない公共事業」なんてタグを付けられてデータベースに入れられているが、そのときは、あの水門を閉じて干潟をふさぐことが正しい判断であると、そう思ったんだろう。だれかが、そう判断したんだろう。
でもあのときも、「これはおかしい」と思った人が、たくさんいたはずだった。
あの話だって、まだ続いているはずだ。

大飯原発の再稼動作業が行われた映像を、私は見ていない。たぶんその頃は、新宿アルタ前にいたから。太鼓の音と「再稼動反対」のコールに声を合わせながら、それでもとても疲れて、デモ参加者の都合に合わせてテイクアウトを許してくれた、ベルクの冷たいビールを飲んだ。

その夜、帰宅して。
大飯原発に通じる道路をふさいで訴える人たちの姿を、IWJの中継で見ていた。いつまでも続く太鼓の音と「再稼動反対」のコールを聞いていると、緊張しながらその声に吸い込まれていくみたいな、不思議な気持ちになる。ずっと見ていないと、もっともっと嫌なことが起こりそうな気がして、なかなかPCの電源を落とすことができない。

さかのぼって、金曜の夜には、数十万人が集まった首相官邸の人の渦のなかにいた。前週に参加者数が急激に増えており、TVニュースでの報道もあったから、すごい人出になるだろうと踏んで、手ぶらで行った。

国会議事堂前の駅から地上に出ると、案の定身動きも難しいような人の数だった。横浜国際競技場で日本代表の試合が終わったあとの、新横浜に向かう道くらい。この一年、いつも一緒にあちこち出掛けた友人とも、会えないだろうな、とあきらめつつ、一応携帯で連絡を取りながら、友人がいるという議事堂正門前方向に進んだ。

経産省前、経産省別館前、ほんの数十人でもマイクを回しあって立ち続けた冬の頃と比べたら、ベビーカーを押す若いお母さんや、サラリーマンたち、若いお嬢さんなどなど、とにかく人の数も顔も違う。小雪の舞うなかで、けっして開かない窓に向けてやるせなく怒号を投げたあの冬から、季節は梅雨になって。群集であることの力を確かめ合い、それに歓喜するような人の群は、どことなく晴れやかで、なんだかお祭りみたいだった。

口々に「再稼動反対」とコールする人の間を縫いながら、警備担当でもないのに、「子どもがいまーす、道を空けてくださーい」なんて言いながら正門前に向かった。これだけ多くの人が自分の意思で集まった場所への礼の尽くし方を、おそらく一人ひとりが大事にしなければ、ここは「私たちの空間」ではなくなってしまう。一年以上街を歩き続けて、いつの間にか覚えた咄嗟の身振りだ。

あの雑踏のなか、奇跡のように友人と合流する。
友人は、今までのデモで顔見知りの「でんじろう先生の空気砲のお兄さん」と「ピカチュウのお姉さん」(ご本人も知らないであろう、あくまでもわれわれ限定の呼び名です……)たちと一緒にいて、二人に合わせてコールしていた。「このなかで偶然よく会えたねー」とみんなで笑う。

結局その後、さまよいながら、他の人とも合流して、夢みたいな輪を結んだ。「再稼動反対」の止まらないコールと、たくさんの人と、リズムと、たなびく黄色い旗と。まるでおとぎ話みたいな。おとぎ話みたいな。雨の日も風の日も、ずっと歩いてきた人たちが、叫びながら笑っている。

あの夜、日本の原発はすべて止まっていた。
私たちは歌うようにコールしていた。
広い車道を埋め尽くして。

(cc) NODA Masaya / JVJA】


耳から消えないリズムが、大飯の現場へ、新宿の夜へと、私のなかではつながっていく。

まったく本題に入りませんが、稿を改めて、続きを記します。

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